FF8をちゃんと見たら、全部おかしかった
前回の記事 スコールってめんどくさい男すぎない?|その距離感、普通に難しい
はじめに|名作だと思っていた
FF8は名作だと思っていた。
美麗なグラフィック。壮大なストーリー。感動的なエンディング。発売当時、多くの人が「すごいゲームが出た」と感じた。
今でも語り継がれる作品だ。
でも——
ちゃんと見たら、全部おかしかった。
いや、おかしいというか。
普通に狂ってる部分が多い。
世界がおかしい。物語がおかしい。キャラクターがおかしい。
しかも「細部がちょっとおかしい」レベルではない。根本からおかしい。構造がおかしい。「これ、誰もツッコまなかったのか」というポイントが、いたるところにある。
でも——最後まで読んでほしい。
このおかしさが、実は全部繋がっている。その話を最後にする。
まずは——おかしいところを、丁寧に整理しよう。
第1章|世界がおかしい
FF8の世界、よく見るとかなりおかしい。
①GFを使うと記憶が消えるのに、誰も気にしない
FF8の世界では、GFという存在をジャンクション(接続)することで、魔法や能力を使える。
でも——GFを使うと、記憶が失われる。
これ、かなり重大な副作用だ。
「このサプリメント、飲むと記憶が少しずつ失われます」と言われたら、普通は飲まない。「このスマホアプリ、使うと個人の記憶が削除されます」と言われたら、普通はインストールしない。利用規約にそう書いてあったら、さすがに一回止まる。
でもFF8の世界では——みんな普通に使っている。
スコールも、セルフィも、ゼルも——「まあ記憶なくなるけど、しゃーないよね」くらいのテンションで使っている。誰も「ちょっと待て」と言わない。「副作用が心配だ」と言う人間が、一人も出てこない。
記憶が消えることへの危機感が、ゼロだ。
しかも訓練校のカリキュラムに組み込まれている。子供の頃から使わせている。
「この学校、体育の授業でGFジャンクションします。記憶が少し消えますが、単位に関係するので必ず受けてください」
普通に問題だろ。
PTAが黙っていない案件だ。「うちの子に何させてるんですか」という保護者会が毎月開かれているはずだ。しかしFF8の世界では、そういうざわつきが一切ない。なぜか。その答えは後で明かす。
②SeeDという制度が普通に狂っている
SeeDとは——魔女に対抗するための戦闘員を育成する組織だ。
子供を集めて、戦闘訓練をして、試験に合格したら傭兵として世界中に派遣する。
待って。
子供を傭兵として派遣している。
しかもその子供たちは孤児院出身が多い。選択肢が少ない環境で育った子供を集めて、GFを使わせて(記憶消えるやつ)、戦闘員として育てている。
これ、現実だったら国際社会が黙っていない。
「バラム・ガーデン、子供に記憶消えるGFを使わせながら傭兵育成している疑惑」というニュースが出て、アカデミーが調査に来るやつだ。国連の特別委員会が設置されて、ガーデン側の担当者が記者会見で「適切な手続きに基づいて運営しています」と言い訳するやつだ。
でも物語の中では——誰も疑問を持たない。
スコールも「そういうもんだ」と思っている。セルフィも「SeeD試験頑張ろ!」と言っている。キスティスも「試験に向けて準備して」と言っている。全員が完全に慣れている。
全員が「これが普通」として受け入れている。
その理由の考察は別の記事に譲るとして——とにかくおかしい。
③魔法のシステムが根本的におかしい
FF8では、魔法は「ドロー」して「ジャンクション」するものだ。
つまり——魔法は敵から吸い取るか、魔法ポイントから引き出して、ステータスに装備する。魔法を撃つと、その分ストックが減る。ファイアを99個持っていて、それを撃つと98個になる。
魔法が消耗品だ。
「魔法を使いすぎると弱くなる」という仕組みになっている。強い魔法ほど、撃つと痛い。
「撃てば撃つほど強くなる」RPGに慣れている人間には、かなり異質な体験だ。「ケアルラを撃ったら、HPの上限が下がった」という体験は、FF8でしかできない。
しかも敵も魔法を持っている。敵から魔法を吸い取ることができる。
ボスに「ファイガ」でダメージを与えながら、同時にボスから「ファイガ」を盗んでいる——という場面が普通に発生する。
これ、現実で言うと、敵と戦いながら「あなたの武器、少しいただきます」と言っている状態だ。
しかもこのシステム、強くなろうとすると「魔法を撃たない」という選択が生まれる。「ケアルガを99個持っているが、ジャンクションしているので撃てない」という状況が普通に発生する。最強の回復魔法を持っているのに、撃つと弱くなるから撃てない。
最強の魔法を温存したまま戦うRPG。
これがFF8のバトルシステムだ。おかしいが、独自だ。
④時間圧縮の説明が、ほぼない
FF8のラスボス、アルティミシアの目的は「時間圧縮」だ。
でも——この「時間圧縮」というもの、作中でほとんど説明されない。
「過去と現在と未来が混ざり合う」とは言われる。でも「それがどういう状態か」「なぜそれをやりたいのか」「それによって何が起きるのか」——の説明が、かなり曖昧だ。
プレイヤーのほとんどは「なんかやばいことが起きる」くらいの理解で戦っていたはずだ。
「時間圧縮とは何か」を人に説明できるプレイヤーが、世界に何人いるか。
たぶん少ない。「うまく説明できないけど、とにかくヤバいやつ」という認識のまま、ラスボスを倒した人間が大多数だと思う。
でも「とにかく止めなきゃいけない」という感覚は伝わる。理屈が分からなくても、「これは止めるべきことだ」という感情は動く。これはこれで、ある意味すごい。
第2章|物語がおかしい
世界だけでなく、物語の構造もおかしい。
①主人公が途中から別人になる
FF8の主人公はスコールだ。
でも——物語の途中で、突然ラグナという別の人間を操作させられる。
スコールとは正反対のタイプだ。陽気で、不器用で、戦闘中に足がつる。口が達者な割に、行動が裏目に出る。格好つけようとするたびに、何かが失敗する。
「主人公変わった?」と思いながらプレイしていた人は多いはずだ。
しかも一回ではない。複数回ある。
スコールを操作していると思ったら、急にラグナになる。ラグナを操作していると思ったら、またスコールに戻る。「え、今どっちのパートだっけ」と整理しながらプレイする必要がある。
「ドラゴンクエストをプレイしていたら、突然勇者ではないおじさんを操作させられる」みたいな感覚だ。しかも、そのおじさんのパートがそれなりに長い。
でも——ラグナ編がないと、この物語は成立しない。そういう設計になっている。おかしいけど、意味がある。
②ラスボスの動機が、最後まで分かりにくい
アルティミシアは、なぜ時間圧縮をしたいのか。
作中でちゃんと説明されるかというと——されない。
「魔女だから」「世界を支配したいから」——そういう単純な理由ではないのは伝わる。でも「では何なのか」は、はっきりとは語られない。断片しか与えられない。
普通のRPGなら、ラスボスの動機は明確に描かれる。「世界を滅ぼしたい」「神になりたい」「復讐したい」——理由がある。プレイヤーは「だから倒さなければならない」という納得感を持って戦える。
でもアルティミシアは、最後まで謎めいたまま退場する。
ラスボスの動機が分からないまま倒した、というRPG体験はなかなかレアだ。
でも——倒したあとも、何かが残る。あの孤独の重さが残る。
動機が分からないのに、何かが伝わった。これも、ある意味すごい。
③エンディングが本当にハッピーエンドなのか分からない
スコールとリノアは再会する。仲間たちは笑い合う。エンドロールが流れる。
ハッピーエンドだ。
でも——なんか変だ。
スコールが戻ってくるシーンの映像が、不安定だ。夢のような質感がある。「これ、本当に現実なのか?」という感覚が残る。演出が微妙に、普通のエンディングと違う。
普通のRPGのエンディングは、もっと「終わった!良かった!」という感覚がある。敵を倒した、世界が救われた、皆が幸せになった——という明確な着地がある。
でもFF8のエンディングは——「良かった……?」という感覚が残る。
喜んでいいのか、まだ何かあるのか、これで本当に終わりなのか——判断がつかない。喜びと不安が同時にある。
ハッピーエンドなのに安心できないエンディング。
これ、かなり特殊だ。終わったはずなのに終わった気がしない。でも——その「終わった気がしない感覚」が、20年以上この作品を語り続けさせているのかもしれない。
第3章|キャラクターがおかしい
世界も物語もおかしいが——キャラクターも、よく見るとみんなおかしい。
①スコール:「関係ない」しか言わない主人公
主人公のスコールは、とにかく「……whatever」と言う。
「関係ない」「どうでもいい」「……whatever」。
これが主人公だ。
普通のRPGの主人公は、もっと前向きだ。「世界を救うぞ!」「仲間を守る!」「やってやる!」——そういうタイプが多い。熱くて、率先して動いて、仲間を鼓舞する。それが「主人公」だという共通認識がある。
でもスコールは「……whatever」だ。
しかも操作しているとスコールの内側の声が聞こえるんだが——「また来た」「面倒くさい」「どうせ俺には関係ない」「早く終わってくれ」という内側の声が聞こえ続ける。
内側の声がネガティブすぎる主人公。
外側では冷静にこなしながら、内側ではぐちぐち言っている。この「外側と内側のギャップ」が、スコールのリアリティを生んでいた。
「こういう人間、いる」という感覚があった。感情を出すことに慣れていなくて、でも感情がないわけじゃなくて、「関係ない」と言いながら結局助けに来る。
「……whatever」と言いながら助けに来る男。
これが主人公として機能したのは、ある意味すごい。
②リノア:初対面の相手を強引にダンスに連れ出す
リノアは、出会ったばかりのスコールを強引にダンスに連れ出す。
スコールは明らかに嫌がっている。「え、ちょっと待って」という顔をしているのに、リノアはお構いなしに手を引く。断る間を与えない。
現実だったら、普通に断っていい場面だ。「すみません、人違いでは」と言って離れていい場面だ。
でもリノアは引かない。笑顔で引っ張る。
その後も何度も踏み込んでくる。「……whatever」と言われても引かない。壁を作られても越えようとする。「俺に近づくな」という空気を醸し出されても、笑いながら近づいてくる。
ここまで来ると、もはや才能だ。
スコールの「……whatever」を何十回受けても引かないメンタル。これ、並大抵ではない。「普通の人間なら三回目で諦める」という距離感を、まったく感じていない。
でも——その「引かなさ」が、スコールを変えた。世界を動かした。
おかしいと言えばおかしい。でも、その「おかしさ」がなければ、物語は動かなかった。
③アルティミシア:何がしたいのか分かりにくいラスボス
アルティミシアは時間圧縮がしたい。
でも——なぜ時間圧縮がしたいのか、よく分からない。
普通のラスボスは「世界征服」「復讐」「神になりたい」——動機が明確だ。「俺の邪魔をするな!」という分かりやすい敵意がある。倒す理由が分かりやすい。
でもアルティミシアは違う。
何がしたいのか分かりにくい。動機が曖昧だ。セリフは多いが、「つまり何がしたいのか」が整理されない。でも——孤独そうだ。すごく孤独そうだ。
「なぜ戦っているのか」より「この人、なんでこんなに孤独なのか」が気になるラスボス。
ラスボスとして戦いながら、「大丈夫ですか?」と聞きたくなるラスボス。
「倒さなければならない敵」に「でも誰かに助けてほしかったんじゃないか」という感情を持つ体験は、なかなかない。これ、他のゲームではなかなかない体験だ。
④エルオーネ:能力の使い方が迷走している
エルオーネは、過去の人間の意識に接続する能力を持っている。
でも——その能力の使い方が、物語の中で迷走している。
「アルティミシアを倒すために使う」という目的はある。でも、実際に何度も試みて、うまくいったりいかなかったりする。「今回はなぜできなかったのか」「どうすればできるのか」の説明が、追いきれない部分がある。
能力の仕組みが分かりにくい。どこまでできて、どこまでできないのか、プレイ中に整理しきれない場面が出てくる。
プレイ中に「エルオーネの能力、結局どういう仕組みだっけ」となった人は多いはずだ。「前回はできたのに今回はできないのはなぜか」を追いながらプレイするのは、なかなか大変だった。
でも——エルオーネがいなければ、この物語は成立しない。
おかしいけど、必要な存在だ。
最終章|でも、そのおかしさが全部繋がっている
ここまで読んで、こう思ったかもしれない。
「FF8、めちゃくちゃじゃん」
でも——ここで少し、びっくりする話をする。
このおかしさ、全部繋がっている。
GFを使っても誰も気にしないのは——GFが記憶を消すから、違和感を感じる記憶ごと消えているからだ。「おかしい」と思う根拠が、消えている。おかしいと気づくための記憶が、すでにない。
SeeDが普通に運営されているのは——子供の頃からGFを使わせることで、疑問を感じる基準ごと消しているからだ。「これはおかしい」と思う前の段階で、おかしくない状態にしている。ゼロから洗脳しているのではなく、疑問を持つための記憶を作らせていない。
スコールが「……whatever」と言い続けるのは——感情を出すことへの恐怖から身を守るためだ。「どうでもいい」と言うことで、傷つく可能性を先に消している。おかしく見える行動に、ちゃんとした理由がある。
リノアが引かないのは——感情を外側に向け続けることが、彼女の構造だからだ。おかしく見える踏み込みに、ちゃんとした理由がある。スコールが内側に引き込む力を持っているなら、リノアは外側に押し出す力を持っている。二人の「おかしさ」が、噛み合っている。
アルティミシアの動機が分かりにくいのは——彼女が「悪役」ではなく「感情が壊れた存在」だからだ。動機が分かりにくいのではなく、動機が「悪意」ではないからだ。悪意がある人間の動機は分かりやすい。でも「悪意ではない何か」が動機のとき、それを言語化することは難しい。
魔法が消耗品なのは——感情も消耗するからだ。この世界では、力を使うことはリソースを削ることだ。GFで記憶が消え、魔法を撃つたびにストックが減り、戦うほど何かを失っていく。
エンディングが安心できないのは——あの再会が「現実」なのか「願いが成立した現実」なのか、曖昧だからだ。この物語において「現実」の境界が、もともと曖昧なのだ。
おかしく見えたものが、全部「感情が現実に影響する世界」という構造から来ていた。
この世界では、感情は最下層にある。記憶より深く、時間より深く、世界より深い。GFは記憶を管理する。SeeDはその構造を利用する。時間圧縮は感情が臨界点を超えたとき起きる。スコールの「……whatever」も、リノアの「引かなさ」も、アルティミシアの孤独も——全部、この構造の上で起きていた。
おかしく見えていたものは——全部、この構造の上で起きていた必然だった。
「ちょっとおかしい」と思っていたことが、実は全部繋がっていた。
FF8は狂っているのではなく、設計されていた。
そしてその設計が——「分からないのに忘れられない」という体験を作っていた。
頭でおかしいと思いながら、感情が動いていた。設定が理解できなくても、何かが残っていた。論理の前に感情が届いていた。だから説明できないのに覚えている。説明しようとすると難しいのに、忘れられない。
おかしかったのは、この物語が感情に語りかける設計だったからだ。
論理より先に、感情が届く。だから分からなくても残る。
そして——分からないまま残っているものが、この物語を20年以上生き続けさせている。
おかしい物語だった。でも——だからこそ、忘れられない。
分かりやすく、きれいに整理された物語は、忘れやすい。整理されているから、一度理解したら終わりになる。
でもFF8は、ずっと整理されない。「あれはどういう意味だったのか」がずっと残る。プレイしてから20年経っても、「あのエンディングは何だったのか」という問いが消えない。
整理されない物語だけが、ずっと考えさせる。
そしてずっと考えさせる物語だけが、20年後も語られる。
FF8は今日もおかしい。だから今日も、誰かが語っている。
GFが記憶を管理する構造の詳細は「GFは何者なのか|ずっと内側にいた、名前のない存在」で読める。
SeeDという制度がなぜそうなっているのか——「SeeDという制度は正常か|彼らは本当に、自分の意志で戦っていたのか」で読める。
エンディングが安心できない理由は——「エンディングの意味|あの再会は、本当に"現実"だったのか」で読める。
アルティミシアの動機の正体は——「アルティミシアは本当に「悪」だったのか|壊れるまで愛した者の話」で読める。
