リノア=悪女説は、どこから生まれたのか
前回の記事 この物語は、なぜこんなにも心に残るのか
はじめに|言われてみると、確かに思い当たる
FF8の話をすると、必ず出てくる話題がある。
「リノアって悪女じゃない?」
「スクウェア三大悪女の一人らしいよ」
「スコールがかわいそう」
初めてこれを聞いたとき、「そうだっけ?」と思った人も多いはずだ。プレイ中はそんなこと考えていなかったのに、言われてみると——確かに思い当たることがある。
ダンスのシーン。強引に手を引かれるスコール。「え、ちょっと待って」という顔をしているのに、リノアはお構いなしに引っ張っていく。
あれ、そういえばスコール同意してなくない?
一度気になり始めると、止まらない。
依頼の押しつけ方も強引だった。断っているのに引かない。スコールが心の中で「……べつに」とつぶやいているのに、また来る。「おまえには関係ない」と思っているのに、また来る。
スコール、何回「べつに」って心の中で言ったんだろう。
あの「……べつに」という心の声は、ある意味でリノアの踏み込みの回数を記録するカウンターとして機能していた。しかも声に出ていないから、リノアには聞こえていない。完全に内なる独り言だ。一人でひたすら「……べつに」「……べつに」とつぶやき続けるスコール。その姿を想像すると、なんかもうかわいそうを通り越して笑えてくる。
こうして振り返ると、確かに「悪女」という評価が生まれる理由は分かる気がする。
でも——本当にそうなのか。
そしてなぜ、そう見えるのか。
この「見え方」の正体が、実はかなり面白い。
第1章|「スクウェア三大悪女」とは何だったのか
まず、その「三大悪女」という話がどこから来たのかを整理しよう。
「スクウェア三大悪女」は、1990年代から2000年代初頭のネット黎明期に自然発生的に広まった非公式の称号だ。公式でも、雑誌でも、誰かが正式に認定したわけでもない。いつのまにか「そういうことになっていた」という、インターネットあるあるのやつだ。
オリジナルのメンバーは——バハムートラグーンのヨヨ、ライブ・ア・ライブのアリシア、そして魔界塔士サ・ガのミレイユとされている。スーパーファミコン後期にこの三作が次々に発売され、ヒロインたちの言動に衝撃を受けたプレイヤーたちが「三大悪女」と括ったのが始まりだという。
そこへFF8が発売されると、「ミレイユの代わりにリノアを入れるべき」という声が上がり始め、「ミレイユ説」と「リノア説」が混在するようになった。こうして三大悪女の構成には諸説生まれ、今もなおうっすら錯綜している。
この「三大悪女」を理解するには、まずヨヨとアリシアを知らなければならない。なぜなら——この二人のインパクトが強すぎて、後から加わったリノアが「三枠目の数合わせ」と言われてしまうほどだからだ。
ヨヨ——バハムートラグーンの筆頭悪女
バハムートラグーンは、主人公ビュウと幼なじみの王女ヨヨが中心のシミュレーションRPGだ。序盤の雰囲気は「騎士と王女の純愛もの」に見える。だがゲームが進むと——ヨヨは敵国に連れ去られ、再会するまでの数年間で敵将軍パルパレオスに惚れてしまう。
ここまでなら、まだ「戦争と恋愛の悲劇」として理解できる。問題はその後だ。
ビュウとかつて訪れた思い出の教会——カップルで行くと結ばれるという伝説がある場所——に、ヨヨはパルパレオスと一緒に行く。そこで「思い出の場所なんだろう?」と聞かれたヨヨは、こう答える。
「思い出の場所なんかじゃない、私たちこれからはじまるんですもの」
これを読んで何も感じなかったプレイヤーはほぼいなかったと思う。当時のネットには「この一行で全てが終わった」という声が溢れた。
さらにパルパレオスの竜に乗ったヨヨは、ビュウの竜サラマンダーと比べてこう言う。
「サラマンダーより、ずっとはやい!!」
これが伝説のセリフだ。サラマンダーはビュウが育て続けた相棒の竜だ。それを「遅い」と言い、新しい竜の速さに無邪気に感動する。悪意があるわけじゃない。だからこそ刺さる。
しかも物語終盤、さんざん傷つけてきたくせにヨヨはビュウにこう言う。
「私、ビュウに嫌われてるだろうけど、私はあなたが今も大切! 今だけ昔と同じようにして!」
断れない状況で(ヨヨに協力しないと世界が滅ぶ)これを言う。感謝の言葉もない。当時のプレイヤーのメンタルダメージは計り知れない。
アリシア——ライブ・ア・ライブの悲劇製造機
ライブ・ア・ライブの中世編、主人公オルステッドは武闘大会で優勝し、王女アリシアに求婚する。アリシアは快く応じ、「誰よりもあなたを信じます」と誓う。
その夜、アリシアが魔物に攫われる。オルステッドは命を賭けて仲間たちと助けに行くが——仲間は死に、親友ストレイボウとも別れ別れになり、なんとか魔王山の頂上にたどり着くと、そこにいたのはストレイボウだった。すべては親友の謀略だった。
そこで救われていたアリシアが言った言葉が、これだ。
「なぜ来てくれなかったの?ストレイボウは来てくれたわ!」
命がけで助けに来た男に向かって、この言葉を叩きつける。
その後アリシアはオルステッドを拒絶し、ストレイボウと共に去る。オルステッドはすべてを失い、行き場のない憎しみを抱えたまま——後の「魔王」になっていく。
アリシアの出番は物語のわずか冒頭とラストだけだ。その短い登場でこれだけのダメージを与えたのだから、「三大悪女の二番手」と呼ばれるのも納得できる。
さて——ここまでの二人を踏まえて、リノアの話をする。
ヨヨは「思い出の場所なんかじゃない」と言った。アリシアは「なぜ来てくれなかったの?」と言った。
リノアは何をしたか。
ダンスに強引に誘った。断られても依頼をした。「私のことが……好きになーる、好きになーる……ダメ?」と言った。
うん。格が違う。
第2章|なぜそう言われるのか
事実を並べる。
リノアはスコールに強引に絡む。自分の組織の依頼を、個人的な形でSeeD訓練生のスコールに押しつける。「一緒にダンスして」と強引に手を引く。断られても引かない。その後も何度も踏み込んでくる。
スコールは明らかに嫌がっている。心の中では「べつに」「おまえには関係ない」とつぶやき続ける。でもリノアは引かない。
この構図だけを切り取ると——確かに、強引に見える。
しかも、ゲームの序盤で出会ったばかりの相手だ。まだ名前もろくに知らない段階で、あの距離感の詰め方はなかなかのものだ。現実だったら友達に相談案件かもしれない。
「ねえ聞いて、知り合ったばかりの人が突然ダンスに引っ張っていくんだけど」 「それ普通に断っていいやつだよ」
という会話が成立するくらいには、客観的に見ると強引だ。
さらに物語が進むと、リノアは魔女になる。敵対勢力のガルバルディアとの関係も複雑で、「何か隠している」「信用できない」という印象を持つプレイヤーもいた。序盤から「この人、大丈夫か?」という感覚を持っていたプレイヤーにとっては、魔女化は「やっぱりそういう人だった」という確信に変わったかもしれない。
「スコールがかわいそう」という感想は、ここから来ている。
事実として、リノアはスコールの意志を無視して踏み込み続けた。それは否定できない。
でも——「事実」と「解釈」は、別のことだ。踏み込み続けたことは事実だ。でもそれが「悪意による行為」だったのか「感情による行為」だったのかは——別の問いだ。
第3章|でも待って、スコール側にも問題があった
ここで少し、冷静になってみる。
スコールは確かに「べつに」と心の中で言い続けた。でも——「べつに」と思いながら、毎回助けに行っている。
「関係ない」と心でつぶやきながら、気づけばそばにいる。「どうでもいい」と感じながら、危機のたびに体が動く。
これ、どっちが問題なんだろう。
言葉と行動が一致していない人間が「関わるな」と言っても、受け取る側としては判断が難しい。口(というか心の声)では拒絶しながら、行動では近づいてくる。そりゃリノアも「この人、本当は嫌じゃないんだな」と思うかもしれない。
むしろリノアの立場から考えると——スコールはかなりシグナルが混乱している相手だ。「来るな」と思いながら来る。「関係ない」と感じながら関わる。「どうでもいい」と言いながら心配する。
これ、リノアが「空気読めない」のではなく、スコールが「発信が矛盾している」という見方もできる。
もちろん、スコールには理由がある。感情を閉じなければならなかった過去がある。だから言葉と行動が乖離している。でも——リノアの視点に立ったとき、その「理由」は見えない。見えるのは「口では拒絶しながら、行動では近づいてくる人間」という事実だけだ。
スコール視点では「強引な女」。リノア視点では「届けようとしていた」。
どちらも間違っていない。同じ行動が、視点によって全く違う意味を持つ。
これが——「リノア悪女説」の最初のカラクリだ。
第4章|「悪女」と「空気読めない」は違う
ここで少し、整理したい。
「悪女」という言葉には、意図的に人を操るニュアンスがある。計算高く、自分の利益のために他人を利用する。感情ではなく、戦略で動く。
ヨヨが「思い出の場所なんかじゃない」と言ったのは、そのときの感情に正直すぎた結果だ。アリシアが「なぜ来てくれなかったの?」と言ったのも、混乱の中の言葉だ。どちらも悪意があったかは微妙なところだが——ダメージが「実害」として残っている点で、悪女の格がある。
リノアには——計算がない。
むしろ計算なさすぎる。思ったことをそのまま行動に移す。空気を読むより先に体が動く。「私のことが……好きになーる、好きになーる……ダメ?」と真顔で言ってしまえる人間が、計算高い悪女であるはずがない。悪女はそんな恥ずかしいことを言わない。計算高い人間はもっとうまくやる。
「悪女」というより「空気読めない情熱系」の方が正確かもしれない。
FF8はスコールの視点で語られる物語だ。プレイヤーはスコールとして旅をする。スコールの内側の声を聞く。物語の序盤から、スコールの「……べつに」という内側の声がプレイヤーに届く。その内側の声は——リノアへの苛立ちを含んでいることが多い。
この内側の声を聞き続けたプレイヤーは——リノアを「スコールを困らせる存在」として認識していく。
視点が決まれば、善悪も決まる。
リノアが悪女に見えるのは、リノアが悪女だからではなく、スコールの視点で語られているからだ。
もしFF8がリノアの視点で語られていたら——スコールは「感情を閉じた、不器用な男」として描かれていたはずだ。「スコールって難しい男じゃない?リノアがかわいそう」という評価になっていたかもしれない。
どちらが「悪」かは、どこから見るかで変わる。
第5章|「振り回している」ように見える理由
「スコールが振り回されている」という印象は、なぜ生まれるのか。
ひとつには、スコールの方が「主人公らしい」からだ。FF8の主人公はスコールだ。物語の中心にいる。だからプレイヤーは自然とスコールに感情移入する。主人公が困っているように見えれば、その原因は「問題のある存在」として映る。
でも——「邪魔をしている」と「変化を与えている」は、違う。
リノアがスコールに踏み込み続けたことで、スコールは変わった。壁に亀裂が入った。感情が漏れ始めた。誰かのために動くようになった。
リノアの踏み込みは、スコールにとって「邪魔」ではなく「触媒」だったかもしれない。
触媒は、反応を起こすために必要な存在だ。でも反応の過程では、摩擦が生まれる。その摩擦の瞬間だけを切り取ると——「邪魔されている」ように見える。
リノアがいなければ、スコールはあのまま壁を作り続けていたかもしれない。「だったら壁にでも話してろよ」と心の中で言い続けながら、自分自身も壁になっていたかもしれない。
「振り回している」ではなく「動かしていた」。その差が、物語の表面には見えにくい。
第6章|構造の差が、印象を作る
スコールは感情を閉じることで、自分を守っていた。壁を作ることが、彼の生き方だった。失うことへの恐怖から身を守るための、精一杯の方法だった。
リノアは感情を外側に向けることで、自分を生かしていた。踏み込むことが、彼女の生き方だった。感情を外に向け続けることが、彼女の存在の仕方だった。
この2人の構造は、正反対だ。
閉じようとする人間と、開こうとする人間が出会ったとき——当然、摩擦が生まれる。そのぶつかり方が、プレイヤーの目には「スコールが振り回されている」と映った。
でも——この2つの構造は、補い合っていた。
スコールは閉じることで、感情を守り続けた。でも閉じたままでは、外に届かない。リノアの踏み込みが、閉じた感情に出口を作った。リノアは開くことで、感情を外に向け続けた。でも向け続けるためには、向ける先が必要だ。スコールという存在が「そこにいた」ことが、リノアの感情の向き先を守り続けた。
閉じる力と、開く力。2つが出会って、初めて何かが動いた。
悪意ではなく、構造の差が——「悪女」という印象を作った。そしてその構造の差こそが——2人の関係を成立させていた。
第7章|第一印象は、覆らない
「リノアが不人気なのはディスク1だけで、それ以降は印象が変わる」という意見がある。実際、そう言うプレイヤーは少なくない。物語が進むにつれて、リノアは成長する。魔女になった自分が周囲に害を与えないよう、自ら封印されに行く。エルオーネと共に敵陣に乗り込む作戦の中心となる。最終決戦でスコールを助ける。後半のリノアは、明らかに別人のように見える。
でも問題は——多くのプレイヤーが「序盤のリノア」で評価を固めてしまうことだ。
一度「うざい」と感じたキャラクターが成長しても、「うざかったキャラが成長した」という認識のまま進んでしまう。リノアへの嫌悪感を序盤で持ったプレイヤーにとって、後半の成長は「挽回」であっても「再評価」にはなりにくい。
「スクウェア三大悪女」というレッテルが序盤に貼られ、それが後から剥がれなかった。
さらに——ヨヨやアリシアと比べると、リノアは「予備知識」を持ってゲームに入ってくるプレイヤーが多い。FF8はヒットタイトルで、情報が広く出回った。「リノアは悪女らしい」という前情報を持ってゲームを始めた人間は、序盤の言動をすべてその文脈で読んでしまう。
先入観は、フィルターだ。フィルターをかけて見ると、すべてがそう見える。
そしてもうひとつ。「三大悪女」というフレームは、リノアを「ヨヨやアリシアと同格の悪女」として扱う。でも実態の差は、読んできたとおりだ。ヨヨは「サラマンダーより、ずっとはやい!!」と言った。アリシアは「なぜ来てくれなかったの?」と言った。リノアは「私のことが……好きになーる、好きになーる……ダメ?」と言った。
どれが一番「悪女」に見えるか——考えるまでもない気がする。
最終章|それでも、少しだけ怖い話をする
リノアは悪女ではない。
「空気読めない情熱系」でもない——正確には。
感情を外側に向け続けることが、彼女の構造だった。踏み込むことが、彼女の生き方だった。その生き方が、スコールの壁に亀裂を入れた。世界を変えた。
でも——最後に少しだけ、怖いことを言う。
リノアとアルティミシアは、同じ構造の上にいる。
感情を外側に向け続けた存在。踏み込み続けた存在。届けようとし続けた存在。
その感情が——スコールという向き先を失ったとき、どうなるのか。
「悪女」ではなく「魔女」になる。
感情を向ける先を失ったとき——感情は内側に向かい始める。蓄積する。処理できなくなる。やがて——世界の構造を書き換えるほどになる。
リノアが「悪女」に見えた理由と、アルティミシアが生まれた理由は——根っこが同じかもしれない。
感情を外側に向け続けることの、光と影。踏み込み続けることで誰かを変えられるときは、光だ。でも——踏み込む先を失ったとき、その感情はどこへ向かうのか。
そう思って振り返ると、あのダンスシーンも少し違う顔を見せる。強引に手を引かれるスコール。「え、ちょっと待って」という顔。心の中では「……べつに」。
あの瞬間のリノアは——ただダンスに誘っていたのか。それとも、感情を外側に向け続ける構造が、すでに動き始めていたのか。
答えは出ない。
でも——あのダンスが、すべての始まりだったとしたら。
世界が壊れるほどの愛の、最初の一歩が、あの強引な手の引き方だったとしたら。
「悪女」という言葉は——少しだけ、的を外しているのかもしれない。
三大悪女のうち、ヨヨは「思い出の場所なんかじゃない」と言った。アリシアは「なぜ来てくれなかったの?」と言った。リノアは——「好きになーる」と言った。
その違いが、すべてだ。
この構造の詳細は「リノアは、なぜスコールを諦めなかったのか|その愛は、どこから始まったのか」で読める。
リノアとアルティミシアの関係については「リノア=アルティミシア説|愛の果てに、彼女は何になったのか」で読める。
なぜアルティミシアはひとりだったのか——「なぜ、あの魔女はひとりだったのか|その孤独は、どこから始まったのか」で読める。
👉 次回|ラグナは、本当に"父"だったのか【前編】
