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【小説】ホームズ 完全版《総集編》

⚠連作版に加筆修正を加えた、完全版です。

《プロローグ》
薄暗い部屋に、換気扇の音が響く。
椅子に座らされた男から少し離れたところに、いくつもカメラが設置されている。「広報担当」のワッペンをつけた大勢の警察官がカメラのうしろで息を潜め、やがて男が顔を上げたと同時に、画角の中に「探偵」がやってきた。
「みなさん、お揃いですか。」
いかにもな服装に身を包んだその探偵の前に、濃い顔の刑事たちが頭を下げる。
「ええ。フクシマ探偵、お待ちしておりました。この者が、被疑者となります。ただ、どうしてもこいつが被害者を殺したトリックが掴めずじまいでして…」
「なるほど。では、あとは私におまかせを。」
探偵の顔にカメラが寄る。
「被疑者はこれを使ったんですよ。」
いつの間にか、探偵の手にはボールペンが握られていた。
「ええー!?そんなもので!?」
刑事たちはありえないという顔をする。
「ボールペンの芯を使って殺害後、芯を戻した。」
おおお、と、歓声が上がる。
「なるほど!芯を戻せば凶器だとバレることはない!」
探偵はボールペンをカチカチとしてみせた。トリックが暴かれた瞬間であった。
「おい、どうなんだ。」
刑事に凄まれ、座らされていた男──被疑者は観念したように顔を上げた。「くっ..私がやりました…」
「なぜこんなことをした!」
「そ、それは…」
「それは私が説明しましょう。」
探偵は男の肩に手をやる。照明は暖色に変わり、カメラは探偵と男、二人を画角に収め始めた。
「この男は犬を飼っていました。だがある日、犬は殺されたんです。….隣人によって。」
男の顔が、苦悶にゆがむ。
「隣人は度々あなたとトラブルを起こしていた..今回はそれがエスカレートした上で起きた、悲しき復讐劇だったんです。」
カメラの後ろのスピーカーから、ワン、ワンと犬の鳴き声が流れ始める。
「…シロ!シロなのか…!?」
男は亡き犬を探すように頭を振りかぶる。だが残酷なことに、探偵はそのまま続けた。
「シロは死にました。そしてあなたは…隣人をボールペンで殺害した。」
探偵は嘆息し、そしてカメラを向いた。
「シロを思うあなたが、この事件の中では《クロ》なのがあまりにも悲しい。」
涙を誘う音楽が流れ始める。男はうなだれ、手錠を求めるように腕を差し出した。犬の鳴き声はもう、しなかった。
代わりに「はいカット!」という声がした。

「探偵」がブランドとして確立したのはもう10年も前のことだ。
警察志願者が年々減少していく状況に対して、国は警察の仕事をアピールするために、「探偵」という役職を作った。
全国に30万人といる警察の中から、厳しい審査基準を満たした者が探偵となる。
探偵は、刑事の捜査が済んで、犯人逮捕となったらいよいよ仕事が始まる。被疑者を大衆の面前に晒し上げる。そして、探偵は被疑者の罪を暴いていく。シャーロック・ホームズのように、はたまた、金田一少年のように。事件で逮捕された者は「New司法取引」を行う。探偵劇への参加をすることで罪を軽くすることができるのだ。台本を作り、演技をして、探偵が事件を解決しているように見せかける。
その努力は制度施行から5年で実を結び、あらゆる媒体で放映される、まるで推理小説のクライマックスのような寸劇は、警察志願者数を5年連続で倍増させた。
今、探偵としてマスコットとなっているのは、福島という男だった。顔立ちがよく、素直で、扱いやすく、演技力がそこそこあった彼は、「厳しい審査基準」と銘打たれた審査を経て探偵となった。
彼はいまやアイドルを超える人気ぶりであり、シールやキーホルダーとして商品化され、警視庁のマスコットキャラクターは彼をデフォルメした「フクシマくん」へと変更された。
小学校では「探偵ごっこ」が流行り、子どもたちはその存在に熱狂した。多くの評論家やご意見番は、この一連の流れを稚拙で幼稚だと切り捨てた。子どもたちも、成長していくにつれて探偵が直々に捜査しているわけではないと気づき始める。
だが、それでよいのだった。サンタクロースの正体が親だと気づくように、年端もいかない子どもたちに探偵という「夢」を抱かせることが、何よりの目的だからである。

福島武雄はアラームの音で飛び起きた。
窓からさす日差しが、彼の頭に遅刻の2文字を浮かばせる。手早く準備を済ませ、警視庁直轄の「探偵事務所」へと走る。
既に事務所内には、宇治川警察庁幹部とその側近が到着していた。ボサボサの髪のまま、彼は応接間の下座に座った。
嘆息した宇治川が背もたれにもたれかかると、側近が慌てて口を開いた。「君、理由を説明し給え。何時間待たせるんだ」
既に時刻は正午を迎えている。そもそもこの会議自体、早朝に組まれていたものだった。
「申し訳ありません、昨夜はスカイツリーの方でイベントがありまして..」「たるんでいるな。全く。」
武雄は謝りながらも内心不思議だった。宇治川は多忙であり、1日スケジュールはびっしりだ。なぜこんなに長くここで待っていたのだろうか?
「まあいい。それよりも福島くん。これは私直々の要請なんだが」
探偵ブランド全体を取り仕切る宇治川直々に?武雄は血の引いていた顔に熱が灯りだすのを感じた。
「はっ。ワタクシ福島、なんでもさせていただきます!」
「ああ。頼むよ。おい。」
促された側近は、顔写真を2枚置いた。一方は、5歳くらいの少年。もう一方は、どこかの制服をきた女の子だった。中学生くらいだろうか?
「…これは?」
「私の息子と娘だ。」
あっ子供…武雄は心のなかで反芻する。そして、寝ぼけた頭は急激に爆発した。
「子供ですって!?」

宇治川たちが帰ったあと、事務所長の岩村さんが声をかけてきた。
「僕は先に聞いていたんだけどねぇ。まあなんだ、どんまいって感じだねぇ」緊張感のない声が武雄を苛つかせる。宇治川警察庁幹部といえば、昔、若手の頃にとんでもない交際トラブルを起こしたことで有名だ。そのとき、彼は記者陣に
「二度と女性と関わりは持ちません!」
と宣言していたのである。隠し子の存在など、絶対にバレてはいけないはずだ。
「道理で、早朝からずっと居座ってたのか…」武雄はさっきの会話を思い出していた。

「私の子供を、しばらく子守してくれないか。九州のほうまでいってくれ。」「そんな、探偵業はどうなるんです。」
「撮り溜めた分がある。しばらくは休め。私の側近が付いて回るから、彼の指示に従うように。」

有無を言わさぬまま、宇治川は去っていった。早速来週から九州の、しかも宮崎まで行けという。事実上の左遷。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。思えば、増えてきた白髪、痛くなってきた腰、などなど、探偵をクビにされる理由はいくらでもある。
賞味期限切れか──。
にしてもなぜ、隠し子と抱合せなのだろうか?一瞬浮かんだそんな考えは、すぐたち消えた。久しぶりの休みだからだ。
武雄は事務所を後にし、早速《旅行》の準備を始めた。

真島警察庁幹部はテレビで流れる映像をじっと見つめた。部下は恐怖でおののきながらただ沈黙を耐えていた。
「これ、元の事件はなんだ」
「はっ。隣人トラブルが殺人事件に発展したものです。」
「凶器はボールペンなのか。」
「いえ、まだ判別はできておりません。小型の鋭利なものだろうと。」
「犬の話は本当か。」
「いえ、加害者が犬を飼っていたという事実はありません。」
真島は深いため息をついた。
「どんどん杜撰になるな。」
真島にとって、この一連の流れは面白くもなんともなかった。幹部として長年警察志願者数増加を試みてきたものの、目立った成果は挙げられなかった。そこに幹部に昇進してきた宇治川が探偵ブランドで志願者数を伸ばし、真島の出世コースに暗雲が立ち込めたのである。だがそれも、今年で終わりだ。
歳を重ねた福島武雄はもうじき引退が勧告されるだろう。そうなれば次の探偵を決める必要がある。幹部からの推薦状がなければ、候補生は探偵の審査にも通してもらえない。今の警察組織において最も影響力のある探偵というブランドを、自分の支配下に置くこと、
すなわち宇治川一強の時代を終わらせ、自分がイニシアチブをとること。それこそが、かつて狂犬と恐れられた真島秀一が密かに計画を進める野望なのであった。
テレビには、武雄のキメ顔がでかでかと映し出されていた。

羽田空港。帽子を被り、マスクを付け、サングラスを装着した武雄が空港内に滑り込んできた。当然の変装である。
「遅い。君、また遅刻じゃないか。」
宇治川の側近こと、石田は本当に嫌そうな顔をして言った。
「すみ、ません、電車が、その、遅延してまして…」
武雄は息を整えながら深々と謝罪する。石田と武雄は、搭乗ゲートへと走った。
「お子さんはまだ来てないんです?」
席に座るやいなや聞いた武雄に対して、石田は何も答えず、スマホを寄越した。アプリなどはいっていない、連絡用としてのみ使える特注品だ。
石田のアドレスは登録されているらしく、メッセージが表示されていた。
『今後子供の話を口に出すな』
『え?なぜですか』
『尾行されてる』
武雄は目を見張った。少し身を傾け、後方を振り返る。機内には大勢の客が座っている。
『子供はもう3週間前から宮崎にいる。とにかく今は、素知らぬ体で座っておけ。』
少しづつ状況が見えてきた。これは、粗探しだ。宇治川にとって、今後も発言力を維持するためには、次の探偵を宇治川の推薦で決める必要がある。そのとき、隠し子の存在がバレれば、宇治川は失脚する。
さらに、宇治川の息のかかった自分が、なんらかの不祥事を起こせば、同じようにゲームオーバーだ。
(そうか。これは…事が収まるまで身を隠せということか。)
『了解です石井さん。やります、やれます。』
『石田だ。』

宮崎空港からバスで市内を突っ切り、レンタカーで郊外に到着した。廃倉庫の中を歩き続けていると、前方に2階建ての一軒家が見えてきた。周囲は工場や倉庫で囲まれ、外からはその存在を認識できない。家の屋根は他の工場と同じ材質であり、空撮してもバレなそうだった。
「ここでひとまず2週間、暮らしてくれ。」
石田に促され、武雄は家の中にはいる。どこにでもあるような家だった。玄関から最初のドアを開けると、リビングがある。その先にはキッチンが、キッチンの隣のドアを開けると洗面所と浴室が、洗面所の、キッチン側でないほうのドアをあけると、廊下があり、その廊下は途中で折れ曲がってリビングへと通じていた。廊下にはトイレのある小部屋と、2階への階段がある。
「いいとこですね。」
「子どもたちは2階にいる。まあなんだ。節操のないことはするなよ。」
「任せてくださいよ。」
「それから、宇治川さんとかには連絡するな。完全に遮断するんだ。いいな。仕事関係の電話が来たら適当に言い訳をしろ。」
石田は近くのビジネスホテルにいるという。定期的に物資を渡しに来るから、家から出るなとのことだった。出たとしても周囲は鉄の壁で、庭は荒れた土なので、特に面白くもなんともない。
武雄は早速、子どもたちと対面を果たすことにした。階段は途中で折り返し、1階の廊下部分は、やはり2階でも廊下だった。3つドアがあり、まずは右から攻めた。ノックしてみる。
「はい!」
元気そうな声だ。ドアが開くと、果たしてそこには写真にあった5歳位の少年がいた。どことなく宇治川に似ている。
「わあ、福島探偵だー!」
目を輝かせた彼は、健太と名乗った。
「健太くん。元気してるか?」
「うん!ここマジ楽しい!」
健太を連れて、次は2つ目の部屋である。ノックしても返事がない。健太が「ねえちゃーん?」と声をかけたがドアは開かない。仕方なくドアを開けてみると、ヘッドホンをつけたあの写真の女の子がいた。
「!」
鬼気迫る表情になった彼女はすぐさまヘッドホンを外し、こちらを睨みつけてきた。
「…だれ」
「あー、福島武雄っていいます。ほら、探偵の。」
「ああ。」
彼女は途端に小馬鹿にするような顔をした。
「あの子供だましの。」
はは、と苦笑交じりに返す。
「今日からいっしょに暮らすことになったから。名前教えてくれたりする?」
「舞。」
「舞か。いい名前だね。ごめんよ邪魔して。とりあえず、よろしく。」
踏み込む必要などない。仲良くなる必要もない。上司の子だし。武雄はドアをゆっくりと閉め、3つ目のドアを開けた。
「ここ、福島探偵の部屋だよ!」
さっきからずっと裾をつかんでついてくる健太が言った。
「おおありがとう。じゃあ、ちょっと休ませてもら…」
「ねえねえ!いつもなんであんなにトリックがわかるの!?」
ベッドに座った武雄に、質問が飛んできた。そこからは長かった。ダムが決壊したように、しばらく健太は解放してくれなかった。

夜。舞はキッチンにいれてくれず、舞の料理が振る舞われた。ひとことも喋らない舞と、喋りまくる健太と食事をし、健太を寝かしつけた。探偵帽がほしいとせがったのでくれてやった。
「ふう…..」
とりあえず石田さんに報告しよう。そう思ってスマホを持った時、違和感に気づいた。
「これ、石田さんにもらったスマホじゃない…」
そういえば石田は、この家についてから一度荷物を置いていた。そのときスマホを取り違えたのだ。
明日も来ると言っていたし、まあいっか。そう思ってスマホをおいたそのとき、通知が来た。
『首尾はどうだ?こちらは..』
通知として表示された文章は先は読めなかったが、それよりも武雄が驚いたのはその相手だった。
真島秀一。
武雄の知る限りでは、真島秀一は宇治川に真っ向から対立している派閥のトップオブトップである。
なぜ真島と石田が連絡を──?
そして、疑念が浮かんだ。さらに、いいようもない不安が心を支配した。ここは安全なのか?もしかしてここは──監獄?

次の日の朝、石田が訪ねてきた。
「君。スマホ取り違えてたろ」
リビングまであげて、武雄は石田のスマホを差し出した。
「そうなんですよ。はい、どうぞ。」
石田はスマホを受け取り、しばらく画面を眺めた後、顔を上げた。
「なんか見たか。」
「えっ!?いやなにも。外面を見て、あ、これ石田さんのだなって分かったんで。」
ならいい、と石田は立ち上がった。
「いいか、私以外の誰かが来ても絶対に家にいれるな。姿を見せるな。いいな?」
はいもちろんです、と武雄も立ち上がる。
石田を見送り、玄関のドアを閉める。その瞬間、舞が2階から降りてきた。
「ねえ。探偵さんはどっち側?」
一瞬面食らった。なにもかも意味不明だ。
「えっと…どういうことかな」
「今のひと、あのひとお父さんを裏切ってるよ。」
「…なんでそう思うんだい?」
「最初にここに連れてきたときからおかしかった。ずっと誰かと電話してたの。しかもその内容が、『いつでもいいですよ』とか、『もうあとはトドメをさすだけです』とか、すごい嫌な感じだった。」
舞の目は至って真剣だ。いつの間にか健太も舞の後ろに隠れている。
ふたりが石田のいる時は降りてこなかったのはそういうことか。
舞は続ける。
「探偵さんはどっち。お父さんの味方?」
武雄の中でなにかが蠢く。
「もちろんだよ。ふたりのお父さんに、僕は恩があるからね。」
今までの、首輪に繋がれるだけの人生が終わろうとしている予感、そして恐怖だ。
「じゃあ今すぐここ出ないとまずいよ。」
舞の言葉はいやによく響く。
「でも、確定ってわけじゃ…ここが安全だと思うんだけどな」
作り笑いをし、必死に演技で隠す。だめだ。知り過ぎちゃだめだ。右に習えで指示に従わないと。
「これ見て。」
舞が、石田の持ってきた物資をもちあげた。
「この食べ物、私と健太にアレルギー反応がでるものばっかだよ。」
「そ、そんな…」
「しかも探偵さんが寝てる3つ目の部屋には、隠しカメラと盗聴器があった。あと、キッチンと…トイレ。」
舞の顔をもういちどまじまじと見つめる。なんという観察力だろう。それと同時に、感心した。その知っていることをおくびにも出さずに今まで生活してきたのか。
まだ確定じゃない。だが、真島からのメール、アレルギーを引き起こす食品、ただ身を隠すだけなら必要ないはずの隠しカメラと盗聴器。様々な要素が、確定へともっていく。
もし、もし真島が宇治川の秘密の証拠を手にいれようとしたと同時に、宇治川の指示で子どもたちがここに来たとして、真島はそれを利用しようとしているのではないか?
ここに縛り付け、食べ物やその他の、まだ見つけていない手段で、いやこれから始まるのかもしれないが、とにかく子供を弱らせようとしているのではないか?
脱走を試みないようにするためだ。閉塞的な空間で完全に身も心も削りきったところで、
「私達をどうするつもりなのかな。」
舞はそこで初めて不安そうな顔を見せた。
最初から真島の目的が証拠を見つけることではなく、隠し子を人質に脅すつもりなら?
宇治川を失脚させれば容易い。だが、宇治川派閥の者は真島に従わないだろう。だから、宇治川を脅し、探偵ブランドを真島に譲らせるつもりなのではないか?
弱らせ、死に体の子供を見たら、宇治川はまちがいなく真島の傀儡になってしまうだろう。

なら、武雄はどうなるのか?
「ねえ探偵さん、探偵さんはもともとここに来る予定はなかったんだよ。でも健太が子守は福島探偵がいいってごねたから、探偵さんはここに来たの。」
それはつまり、武雄は完全なイレギュラーな存在ということになる。本来なら子供たちを弱らせるはずの家に、武雄がやってきた。

この子達を救えるのは、自分だけなのではないか─?
一瞬浮かんだ考えをすぐに消す。だめだ。まだなにも分かってないのに…
だが、それと同時に怒りが湧いてきた。出世のためとはいえ、まだ年端もいかぬ子供を脅しの道具に使おうとしている真島に対してだ。

「…わかった。ふたりとも、バレないように支度して」
「えっ」
「ここを出よう。」
ハリボテの探偵は、ついに決意を固めた。

「真島さん、福島はどうしましょう。」
スマホを耳に押し当て、石田は相手の反応を探った。
『関係ないさ。そのままとどめておくんだ。いいか、絶対に外に出すなよ。誰であれ、来たるべき精算のとき、必ず役に立つ。』
「はい。おまかせを。」
石田の目が黒く光った。

武雄は、ずっとまっすぐ進む道を歩いていた。周囲には荒野が広がっており、道路から一步でも外に出れば、死ぬ気がした。
ただ歩を進めていた彼の前に、女性が現れた。
「たけ、ほら行くよ!」
彼女は武雄を無理やり引っ張る。武雄は抵抗する。道からはずれてはいけない。彼女は一瞬諦めたような顔になり、やがて荒野の先へと駆けていく。
「…まって!」
武雄は叫ぶことしかできなかった。なんども、なんども。
「…まって..」

「!」
武雄は勢いよく飛び起きた。そこは、宮崎の隠れ家の、武雄の部屋だった。

「ここを出よう。」

そうは言ったものの、武雄になにかプランがあるわけではなかった。決心が揺らがないよう早く事を起こそうにも、外に出れば十中八九バレるだろう。
あれから3人であくまでも素知らぬ体で念入りに家の中を周った結果、新たに玄関のドア上、階段の中腹、に隠しカメラを発見した。これで、武雄の部屋、キッチン、トイレに続いてさらに2つのカメラがあることがわかる。

作戦会議の方法はシンプルだ。カメラの死角になっている場所ですばやく小さい紙に文言を書きつけ、すれ違いざまに手渡す。あくまでも普通に生活しているように見せかける。
基本的には、舞と武雄で筆談を行った。
《あのひとがいつ来るかはわからないの》
《石田さんのこと?いちおう来る前に連絡はくるけど、もしかしたら抜き打ちで来るかもしれない。》
《どうやって出る》
《玄関を出たらカメラに映るけど、日光浴ぐらいなら許してくれそうだよね。そのときに外に行くのはどうだろう。》
《どのルートで》
《あの、いちいち長文やめて書くスペースなくなる》
《ごめん》
《それ言うだけで渡してこないで!!!》

結局、筆談だと効率が悪いということで、安全地帯を探すことにした。その結果、壁の中に埋め込まない限り絶対にカメラも盗聴器もないであろう場所が健太の部屋だとわかった。
「とにかく、石田さんが来たら日を浴びたいと言ってみるよ」
おもちゃだらけの部屋で3人で座り、作戦会議を続行する。
「それからどうすればいいの」
舞は当然の疑問を吐いた。
「ここから外の道路に出る道はひとつ、廃倉庫を突っ切ることだ。」
家は三方向を工場の壁でかこわれており、唯一でることができるのが、玄関からそのまままっすぐ行くとある、廃倉庫の扉付き壁だ。
石田もここから家に来る。
「扉を開けて、廃倉庫を突っ切り、外に出る。」
「そこからダッシュ?」
健太が言う。たしかに、外は住宅街で、交通機関までは遠い。
「協力者が要るよ探偵さん」
舞の言葉で、ふいに、武雄はある人物を思い出した。武雄は、石田からもらったスマホでない、自分のスマホを手に取った。

根岸マオの「はいカット!」の声で、俳優たちは一気に緊張から解けた。
「松野クンさ、もっとガッ!と、グッ!と来る感じの演技をしてよ」
新進気鋭の戦乙女とまで揶揄されるほど、「根岸監督」のヤバさに慄く俳優は多い。
アドバイスが抽象的な割に求める水準が高いのだ。
今年で30になる彼女は、10年前に警視庁の探偵寸劇の監督に任命されてからキャリアを大きく前進させた。
「おい松野!だぁかぁらぁ!もっとジョリッと、バリッと来る感じだっつってんだろうが!」
「な、なんなんですかジョリッとって、バリッとって!」
「センスでカバーしろ!」
通常運転の彼女のケータイが鳴った。
「あ、ごめんちょっと外すね」
やっと訪れた休憩に、スタッフも俳優もどっと疲れた顔をした。

「はいはい根岸です。たっちゃん、どうしたんだね?」
『あ、繋がった…お疲れ様です、いまお仕事中でしたか』
「うん」
『申し訳ないです、あの、めちゃくちゃ変なこと言ってもいいですか』
「おいおいどうしたの。」
『その、今宮崎にいるんですよ』

ひと通りの説明を受けた根岸は押し黙った。
「…まじ?」
『マジです。だから早く出ないと、全部手遅れになります。』
「それは君の出世のため?宇治川さんに恩売っとこうみたいな」
『いえ』
『ただ、なんの罪のない子どもを巻き込むやり方は許せないんです。まあ、宇治川さんには僕のほうが恩があるので、それに報いたいってのはありますけど。』
「さすが私の見込んだだけはある。よかろう、協力する!」
『…まじですか!?』
「マジ。決行日はいつだ。駆けつけてやるよ」

電話が終わったのか、根岸が帰ってきた。そして開口一番、
「この映画、残りのロケは宮崎でやろう!」
と言い切った。
松野の顔が曇った。

「日を浴びたい?」
石田は怪訝そうな顔をした。物資をリビングに運びきると、石田はソファにすわり、
「もう分かってると思うが真島派が尾行してる。下手に外に出たら危ない」
石田はそんなことを飄々と言う。
武雄も負けじと言い返す。
「壁に囲まれてるんですし、ずっと家の中というのも良くないですよ。」
「コロナのときはずっと家だったろ」
「舞ちゃんも健太くんも、もう我慢できないみたいなんですよ」
石田は深い溜息をついて、仕方ない、と言って帰っていった。
多分OKということだろう。

根岸に電話したのは理由がある。自分のスマホとはいえ、どう見られているかはわからない。
そもそも石田に禁止されている行為をすれば、警戒されるに決まっている。根岸なら、大丈夫だろうと踏んだのだった。
決行は3日後。根岸が現地入りして、準備が整ったらまた追って連絡するとのことだった。

夜。
健太の部屋で寝かしつけていると、健太がふいに泣き出してしまった。
「探偵さん、僕ら大丈夫かな。」
武雄は目を離さず言った。
「大丈夫、大丈夫。」
今は、そう言うことしかできなかった。思えば、ずっとハリボテの探偵を演じてきた。10年前、宇治川から推薦されたときから、毎日のように酔っ払いを取り締まり、疲弊していた時間は、事件解決の時間に変わった。
いいとこ取りだ、と反感を買っていたのも昔、いつのまにか、自分のガワだけが、ずっと遠いところに行ってしまったように思える。
毎日夢を見る。道を外れないように生きる自分と、荒野を縦横無尽に走る彼女──姉の姿だ。
この家はまさに探偵としての10年間のようだった。
今こそ踏み出すときだ。健太の寝顔を見つめながら、武雄は顔に熱が灯っていくのを感じた。

石田の車が到着し、隠れ家のドアを開ける。
「福島!いるか!」
武雄はソファで腕組をしている。
「本当なのか!?」
「….はい…!私がついていながら申し訳ない…!」
「本当にあのガk、健太くんがいなくなったと!?」
「日光浴をしたあと、今朝いなくなっていたのに気づきました。ただ、カメラもないし、足取りは掴めませんね…」
武雄はわざとらしく言った。石田は唇を噛む。電話が合ってからカメラを確認したがどこにも写っていなかったのだ。
「くっ…だがお前が外に出なかったのは英断だ。姉の方は上にいるのか」
「はい。」
「私がもういちど探す。」
「私も手伝います!石田さんは2階を」
石田はドタドタと階段をあがる。健太の部屋をあけ、おもちゃやベッドをひっくりかえす。
「まずい、まずいぞ…!」
このままではまずい。石田は舞の部屋を叩き開ける。だが、そこに舞の姿はなかった。石田は武雄の部屋を開ける。くまなく探しても、健太どころか舞さえも見つからない。
汗がにじんでくる。
「おい福島!!!」
返事はない。まさか。
下に駆け下りるが、武雄の姿はない。玄関を飛び出し、そして目を見張る。廃倉庫のドアが空いている。逃げ出したのか、やつらは。
石田は飛び出し、すぐさま車に乗った。
「まだそんなに遠くへは行ってないはずだ…!」
車は市街地へと駆け出していった。
そして──。家の裏手から3人が出てくる。
「よし、うまく騙せたぞ!」
武雄はガッツポーズをし、健太も同調する。舞も笑みを浮かべている。
作戦はこうだった。健太、そして舞はあらかじめ家の裏手に隠れ、石田を呼び出す。石田が2階を探している隙に、武雄が外に出て、廃倉庫のドアを開けて、”家の裏手に行く”
案の定、石田は、ドアが開いていることで焦り、ろくに家の裏を確認せず飛び出していった。
ずっと舞と健太が、石田が来るときには2階から降りてこなかったのが活きた。日光浴作戦は武雄考案だが、これは舞が思いついた。
末恐ろしく感じながらも、武雄は先陣を切って走り出した。3人は廃倉庫を突っ切る。暗闇を進み、やがて、外が見えてくる。前に停まっていた車の窓が空き、根岸が顔を出す。
「乗って!おら!」
3人はついに、脱出に成功したのだった。

真島秀一の作戦はただひとつ、隠し子を人質にとって宇治川自ら退かせることだ。
隠し子の情報を知ってからすぐに、隠れ家を突き止め、宇治川の側近のひとりを買収した。もうすぐ、この作戦は実を結ぶ。少なくとも向こう1ヶ月の間に次の「探偵」を決める会議が開かれるはずだ。
だがそのとき──宇治川はもうその場にいない。
白い歯を覗かせた真島を乗せた車は、とある警察署に停まった。
署員たちの厳粛な出迎えを受けながら、真島は署内をズカズカと歩いてゆく。そして──剣道場へ到着した。

柳、と呼ばれた男が立ち上がる。剣道場の空気が明らかに変わった。今日は、長年勝負のつかなかった坂本との決着だった。
坂本と柳、ふたりが相対する。
柳は、全身が熱くなるのを感じた。そのときだった。
大量の黒服と─真島警察庁幹部が剣道場に入ってきた。どよめきが起こる。
周りが喋り合っている声は否が応でも耳にはいる。
「時期的にさあ..探偵、だよな」
「うわ、ぜったいそうじゃん」
喧騒の中、真島は坂本に近づき、なにかを耳打ちした。
次に、真島は柳のほうへよってきた。
「この勝負、負けなさい。」
耳打ちされた言葉に、思わず混乱する。わざと、負ける?
そうこうしているうちに、勝負は始まった。
坂本は明らかに手を抜いていた。
こいつ──!
ここまで身を削り合ってきたお前は八百長をするような人間なのか!
たとえ遥か上の上司の指示でも、柳は負ける気はなかった。
勝負はついた。柳の完勝だった。
真島は拍手をし、そして──
「坂本くん、だったか。君、ちょっと着いてきなさい。」
坂本は会釈し、去りゆく真島の後ろを追っていった。
剣道場に静寂が戻る。みんな、柳を励まそうとしてやめる。
だれもが柳が選ばれると思っていたからだ。

車は警察庁に到着した。
「坂本くん。今日からここが君の職場だ。降り給え。」
真島に促され、坂本は車を降りる。
車は坂本を警察庁に残してさらに先へ進む。運転していた部下が口火を切った。
「私の目には柳が探偵にむいていると思いましたが。」
真島は鼻をふっと鳴らした。
「坂本は、ひとことも喋らなかったろう。」
部下の返事を待たず続ける。
「だが逆にいえばなんでも従うってことだ。」
「指示に従ったのも坂本でしたからね」
そういえばそうだ、と部下はうなづく
「まあそれもあるが」
真島は外の景色を見ながら言った。
「柳はブスで、坂本は結構イケてる顔だった。」
最初からこの人は坂本狙いだったのではないか。部下の頭にそんな考えが浮かんだ。
「それよりも、福島の処理はどうなった。」
「シナリオはできました。あとはマスコミに通達するだけです。」
「宇治川め。探偵を送りつけたのは愚策だったな。」
次期に福島は重りになる──。
真島はほくそ笑み、「目的地」へと部下を急がせた。

根岸の電話を借りて、宇治川に連絡する事にした。
指示を仰ぐためだ。
『はい、宇治川です。どうされましたか』
「宇治川さん、僕です福島です。」
『福島くん…?どういうことだ』
宇治川の声が思わず声が硬くなる。
「石田は裏切っています!宇治川さんの子供たちを人質にする気です!」
『何を言って…』
「真島秀一と石田は繋がってました」
「今は舞ちゃんと健太くんと一緒です、脱出したんです」
『….また連絡する』
電話は一方的に切られてしまった。
「これじゃ、どうすべきかわからないな…」
宇治川はかなり焦っている様子だった。
「ほら子供諸君、これはまだ放映されてない探偵劇だぞ」
根岸の操作で車内テレビに「名探偵フクシマ“犬とボールペン”」が映し出された。
「うおー!」
健太が興奮して食い入るように見る。舞は外の景色を見てため息をついた
「おいおい舞ちゃん、だっけ?これおもろいよマジで」
根岸は宣伝を忘れない。
「おかしいでしょボールペンとか。犬の話も意味不明だし」
根岸はほくそ笑んで言った。
「ふふふ。そいつはどうかな。私は結構先見の明があるんだよ。」
「だってこれ実際の事件を脚色してるんでしょ」
「事実は小説よりも奇なりっていうじゃろ?」
根岸は本当に楽しそうである。武雄はこの奇想天外な監督のことは嫌いではなかった。長い付き合いで、信用が醸成されているのだ。
「君たちもうちょっとでつくよ」
見えてきたのは海岸のリゾートだ。
「ここで今撮影してんの」
スタッフたちに「福島武雄」がバレてはいけない。慎重に車から出た。
「根岸さんこのあとどうするんですか」
「使ってないライトバンがあるのよ。それに乗って東京まで行き給え。」
舞がけだるそうに反応した。
「なんで車で行くの?」
それもそうだ。というか、どこかに身を隠しておいたほうがいいのではないか?
「絶対宇治川さんのもとに身を寄せたほうがいいと思うぞ。それに宮崎空港は絶対に張り込まれてる。」
車で福岡空港まで行き、飛行機で東京まで行けばよいとのことだった。
「今から行けば夜には福岡に着く。で、泊まって明日の朝の便で行くんだ。」
チケットを3枚分渡された。
「根岸さん、何から何までありがとう….!」
根岸が撮影現場へと戻っていくのを見送って、3人はライトバンに乗り込み、出発した。
健太が寝静まってから、舞が口火を切った。
「…どこかに身を隠したほうがいいって」
舞の言い分も最もだ。根岸がチケットを取ってくれたとはいえ、わざわざ東京に行く必要はないのではないか?
そのとき、ずっとつけていたニュースが衝撃的な内容を伝え始めた。
『「探偵」こと福島武雄氏が、指名手配されました。警察庁の発表によると、反社会勢力との関わりがあったとしています。繰り返します…』
「え?」
武雄は素っ頓狂な声をあげる。車はもうすぐ高速道路に入ろうとしていた。
「これほんと?」
「いや違うよ。これは….なんてこった。」
「どうするの」
手汗がにじみ始める。どうやら武雄をただで逃がす気はないらしい。
「これじゃ空港にはいけない。」
武雄の声がうわずむ。自分はもう、後戻りできないところまで来てしまったのではないか…?
武雄の頭に、夢の中の荒野が浮かんだ。

取り調べを終えた宇治川は、自室に戻ってきた。
真島がついに動き出した、という表現が最も適していた。
福島のスキャンダルを捏造し、しかもそれをマスコミに通達するとは。
舞、健太、大丈夫か──。いや、福島なら必ずうまくやる。こめかみに指を当てて顔をしかめる。
福島に電話をかける。
『…はい 私だよパパ』
「舞か」
久しぶりの娘の声に拍子抜けする。
『はいスピーカーにしたよ探偵さん』
『宇治川さん、何がどうなってるんですか』
「..敵はいくつか武器を用意していたようだ。いいか福島くん、君の無実は確かだが、潔白を証明する暇がない。とにかく私のもとに戻ってこい。」
『正気ですか!どこかに身を隠したほうが…』
「さきほど長官が全国の警察に指令を出した。君を捕縛せよというものだ。今、警察庁に君の無実を支持する者は私だけだ。」
『..そんな。なぜそこまで』
「探偵ブランドはエデンの園だ。」
「手にした者が次の権力を得る。」
『まさかそれで』
「ああ。私の派閥の者の多くは真島派へ行った。」
『だからって…』
「隠し子を人質にとる以上に、探偵ブランドの魔力が強かったようだな。あくまでも舞と健太を人質にとるのは、トドメのようだ。」
『わかりました。もう誰も信用できない状況というわけですね』
「もはや地位も名誉も必要ない。今すぐ舞と健太を私のもとに」
『ですが私が…』
「高速道路を使って帰ってくるんだ。頼む。」
『…わかりました』
電話を終え、机の上のPCを開く。メールを開き、スクロールする。
死に体の宇治川は1か月前のメールを開いた。
《私は「怪盗」である。貴殿の隠し子のことを知っている。貴殿のすべてを奪うため、今こうして連絡をしている。覚悟されたし。》
それは、「怪盗」を名乗る者からの犯罪予告だった。

次の探偵の後ろ盾となった者が、次の権力を握る。たった10年で探偵ブランドは大きな影響力を持つようになった。
武雄は今、完全に捨てられた。盤石だったはずの宇治川派閥は、甘い蜜に誘われ、ものの見事に崩壊した。
武雄は全国的に指名手配された。
宇治川は今、記者陣に取り囲まれていた。
「隠し子がいた、ということですが」
「女性と関係はもたないという話はどうなったのでしょうか、宇治川幹部、返答を!」
「今福島探偵はどこにいるのでしょうか」
やっと解放された宇治川を待っていたのは統括会議だった。
光堂警視総監が口を開いた。
「今回の事件で探偵ブランドは大きく傷ついた。宇治川くん、どう責任をとるつもりかね。」
苦し紛れの言い訳は意味がなく、宇治川は完全に黙るしかなかった。
「私に提案があります。」
そのとき、真島が光堂の方を向いて言った。
「此度の宇治川幹部の隠し子、福島探偵のスキャンダルを見つけたのは私の指示による成果です。ですので、私が推薦する者を次の探偵にして頂きたい。そして、国民の眼前で、福島武雄を新探偵が断罪する寸劇を披露する許可を頂きたいのです。」
そうすれば探偵ブランドは持ち直す。それは建前であることは誰の目にも明らかだった。他の幹部たちは反論を試みるが、
「それでいこう。真島くん、福島捕縛の陣頭指揮を取り給え。」
光堂の鶴の一声で、すべては決してしまった。

失意の宇治川の携帯に、メールが届いた。「怪盗」だ。
怪盗は1ヶ月前に唐突に連絡を寄越した。
《私は「怪盗」である。貴殿の隠し子のことを知っている。貴殿のすべてを奪うため、今こうして連絡をしている。覚悟されたし。》
そこから、何もかもが狂い出した。
そして2週間前、
《隠し子のうち姉の方を次の住所に連れてくること。
東京都●●●●区◯▢
それが成されなければ、貴殿も、貴殿の隠し子も、命はない。》
そして今、
《仕上げの時間である。探偵と隠し子はどこにいる?今すぐ例の住所に連れてくること。貴殿も命が惜しいだろう。》
従うしかなかった。今も福島と舞、健太は東京に向かって帰ってきている。
宇治川の目先に希望など転がっていなかった。最初から。

「なんだとっ!」
統括会議を終えた真島秀一は電話上で石田を怒鳴りつけた。指名手配は完了し、あとは隠れ家から福島を連れてくるだけ。だが逃げ出したというのは寝耳に水だった。
『申し訳ありません、ただいくら探しても見つからなく…』
「探し続けろ!もう時間はないぞ」
真島は受話器を叩きつけた。苛立ちを抑え、冷静に考える。
空港や宿は使えないはずだ。だとしたら。
高速道路──。真島は早速電話をとった。

「もうすぐ山口県だよ舞ちゃん。」
結局武雄たちは福岡空港へ行くことなく、そのまま九州を脱出した。
「福岡空港、いかなくてよかったと思う。根岸さんだって信用できないし」
「それはないよ。あの人はそういうのに疎いから」
あっそう、と舞はそっぽを向いた。どこまでも疑り深い性格は年格好に似合わない。後ろでは健太が爆睡している。姉弟でここまで違うものだろうか。
武雄は指名手配のことはひとまず忘れることにした。今は、この二人を安全な場所に送ること。なぜ宇治川が東京に戻ってくるよう言っているかは相変わらず不明だが、なにか隠れ家でもあるのだろうと思い直した。
そのとき、舞が突然背を正した。
「追われてる。」
「へ?」
舞はルームミラーを見ていたようだった。
「すぐ後ろに赤い車が来てる。あの車、さっきサービスエリアでも着いてきた。」
「ホントに?」
だとしたら一大事だ。
「探偵さんあんま運転得意じゃないでしょ」
「え、あ、うん」
突然そんなことを言われて面食らう。
「だからさっきからどんどんうしろの車が追い越し車線に移ってんの。でもあの赤い車はずっとうしろにいる。」
「僕みたいに運転が下手なのかもよ」
「だったらいいけど」
そもそもナンバーがバレてるはずがない。だが念には念を、と舞が言うので、サービスエリアに寄った。
ただし、とまらずそのまま高速に戻るのだ。
「やっぱり着いてきたよ」
問題はここからだ。サービスエリアに入ったのに素通りなんて、ほとんどの人間はやらない。
武雄たちは再び高速にもどる。赤い車は、ついてこなかった。
「….よかった。まちがいで。舞ちゃんありがとね」
「いや、」
舞はなにか言いたげだったがすぐ口を引っ込めた。舞の目線を感じ、思わず横を見る。
「どうした?」
「手、ふるえてるよ」
そこではじめて、ハンドルを握る武雄の手が、小刻みに震えている事に気づいた。
ごめん、と謝り、そこから長い事沈黙が続いた。
自分は怖がっているのだ。きっとこの先の未来に不安を抱えている。
その客観に意味がないことぐらい武雄はよくわかっていた。
「..探偵さん。なんで警察になろうと思ったの?」
舞は気を紛らわせられるよう、気遣っているのかもしれなかった。ただ、質問を無視するわけにもいかず、武雄はゆっくりと喋り始めた。
「姉がいたんだ。姉が大学生になった頃、僕は中学3年だった。」
舞はただ静かに耳を傾ける。
「姉はホステスで働いてた。毎日深夜に帰ってきては、朝には大学へ行った。ウチは父がいなかったから、仕方がなかった。」
「あの日は、姉が忘れ物をしたから届けに行ったんだ。 …たしかお客さんの好きなモノをメモった紙だったかな。店の裏に行って、姉が出てくるのを待ってた。」

武雄が裏口で待っていると、そこに男が現れた。全身が黒のコーデで統一されていた、褐色肌の男だった。
男は武雄を一瞥した後、裏口から、店の中に入っていった。しばらくして、中から悲鳴が聞こえた。思わずドアを開けると、奥の店でさっきの男がナイフを振りかざしていた。ナイフには血がついていた。
武雄はすぐに警察に電話をしようとした。だが、男は武雄に気づき、やがて武雄は、店の中に引きずり込まれた。
ネオンがきらめく店内で、数人の客と嬢たちが怯えながら身を屈めている。
男のナイフについていた血は倒れているオーナーのものらしかった。
「お前ら動くなよ。俺はな、別にお前ら全員殺そうなんざ思ってねえぞ。沙奈をだせ。沙奈はどこにいるんだ。」
その名前は姉の名だった。
「お前らみんなで隠してんだろ。おら出てこいよ!」
男の顔は真っ赤になっていた。こいつが、姉となんの関わりがあるというのか。そのとき、男がこっちに近づいてきて、武雄の首根っこを掴み、引き寄せた。恐怖で体は動かない。
「おおし、出てこないんなら順番に殺していくまでだ。まずはこのガキからだな。」
ナイフが喉元に当てられる。鉄と血の匂いが鼻をつく。
「…残念だったな。」
「まって!」
そこには姉が飛び出してきていた。
「ほら、出てきたから、離して。」
男は満面の笑みを浮かべた。
「俺を勘違いさせてさあ!許されるわけねえよなああ!」
武雄は近くのソファに投げ飛ばされる。
男は姉に近づいていく。ナイフを握る手は紫に変色していた。力がはいりすぎて、うっ血しているのだ。
「まってよ、ちゃんと話そう」
「だめだ。これは罰だ。」
荒い息で飛びかかったとき、数人の警察がなだれ込んできた。男は取り押さえられる。
「くそ、離せ!」
長いもみ合いのあと、男はついに完全に取り押さえられた。──だが。
「….姉ちゃん!!!!!!!」
姉の腹には血が広がっていた。乱闘の中で刺さってしまったのだ。
姉の手を握る。
「姉ちゃん、姉ちゃん!」
姉は声を捻り出そうとして吐血した。
「ごめんね?たけ..」
姉の握り返す力が弱くなっていく。
いやだ、いやだ。
床には忘れ物のメモが散乱していた。

「ストーカーだったんだ。姉は数ヶ月前から被害を訴えてたけど、警察は動かなかった。」
舞の目には少しだけ涙が浮かんでいた。
「ストーカーの男は事前に警察に予告の電話をしてからすぐ店に入った。」
「….姉はそのあと病院に運ばれたけど、死んだ。」
武雄の手の震えはいつの間にか収まっていた。
「そのとき僕は誓ったんだ。姉のようなひとを救えるような警察になるって。事件が起きてから捕まえても、もう元に戻らない。」
舞の口から息がふう、と出る。
「間違ってないと思う。」
「ありがとう」
武雄は思わず微笑み返す。この子は、本当にいい子だ──。
あれから警察になったものの、実際の業務はほとんどが酔っぱらいの取り締まり、迷惑行為の防止ばかり。宇治川の取り計らいで探偵となってから、ずっとあの日の誓いを忘れていたわけではないにしろ、どこか、自嘲気味になっていたのかもしれない。
まだ事件は起きてない。舞と健太を絶対に安全な場所に移す。武雄の中に小さくとも輝く思いが再び灯り始めた。
「舞ちゃん、ごめんね暗い話して。」
武雄はぐっとアクセルをふんだ。

坂本ワタルは与えられたタワマンの一室にはいると、ベッドに倒れ込んだ。坂本は九州の片田舎に生まれた。彼の中には言えぬコンプレックスが介在し、上京してきてからも出世をなにより求めてきた。
真島の取り計らいで、坂本は次期探偵と目されるようになり、早速九州の家族から電話が鳴り止まない。
笑みを隠しきれず、枕に顔をうずめる。
柳には悪いが、道を踏み外さないようにするコツは、先を歩く人の言う事を聞くことだ。ときには敗北さえも処世術のうちなのだ。
渡された台本を、早速声に出してみる。
「福島探偵、僕は残念です。」
「あなたはもっと聡明だったというのに!」
声にだしていたら、気分がよくなってきた。
酒を飲み、テレビをつける。芸能人の松野健介が不倫したらしい。ぼーっと眺めていると、突然電話がなった。
真島だ。飛び起きて背をただし、ゲップをしてから通話を開始する。
「は、はい坂本です」
『坂本くん、火急の用なんだが。頼みたいことがある。』
火急の用?
「はっ…なんでしょうか」
『君の同僚に柳っていたろう』
「ええ。柳が、どうかしたんでしょうか」
『薬物をやっていたことが分かったんだ。捜査はもう済んだ。でな、柳くんはNew司法取引を所望してるんだ。』
あまりの驚きで酔いは覚めてしまった。
柳が、薬物?
『明日根岸監督が東京に帰ってくる。彼女と引き継ぎを済ませたら早速探偵寸劇を撮るんだ。』

翌日、坂本はバスでスタジオに向かっていた。これは撮りだめらしい。先に撮っておくものの、放映順は福島探偵を追求する回が先だ。
だが、そんなことより柳のことが気がかりだった。こんなことをするやつだとは思っていなかったからだ。
応接間にはいかにもな女性と、真島が座っていた。
早速引き継ぎが始まった
「どうも、探偵ブランドを引き継ぎました真島と言います。よろしく。」
根岸は顔をしかめると真島の目をじっと見つめた
「宇治川さんはどうなった!んですか。」
坂本はすぐにこの監督は個性的だ、と思った。だがこれから長い付き合いになることを考えれば、歩み寄りの姿勢が必要だと思い直した。
「私は坂本と言います。よろしくお願いします!」
「おお、色男っ!」
はは、と愛想笑いをする。
そしてついに、撮影が始まった。
「台本は頭に入れてきた?そんじゃ行くよ、アクション!」
部屋にはいると、柳がうつろな表情で座っていた。既にカメラは回っている。セリフを順調に喋っていく。
「あなたは、クスリに手を出した…!警察官ともあろう者が!」
坂本はつい遠慮がちに言ってしまう。柳は喋らない。そのまま撮影は終盤に差し掛かった。
「いよいよ最後のシーンだよ!あ、まってあの真島さんがね、ここの台詞を変えるってさ。はい。」
本来ならばそこは「もう二度とそんなことはしないと誓ってください!いっしょに前に進みましょう!」という場面だった。
「よーい、アクション!」
柳の目の前に座る。カメラが坂本に寄っていく。
坂本はためらいながも、変更されたセリフを吐いた。
「あんたを心の底から軽蔑する。もう二度と顔を見せないでくれ。」
柳の顔に揺らぎが見えた。坂本は、唇をかみながら最後の台詞を言った。
「薬物、だめ、絶対!」

「素晴らしかったよ。坂本くん、君は今後も探偵として子どもたちに夢を与えて行き給え。」
真島にそう言われ、促された坂本はスタジオを出た。するとそこには、柳が立っているではないか。
「….柳?なんで..?」
「俺、クスリやってねえよ」
空いた口が塞がらない。さっきのは何だったのか?
「あの監督さんもお前と同じで騙されてたっぽいけどな。真島さんに言われたんだよ。『坂本の忠誠心を試したい』ってさ。」
なんてこった。じゃあこれは、本当の撮影じゃなかったのか。
「最後の場面さ。」
柳の顔に悲しみがともる。
「セリフ、変更されたろ?…お前、言い切ったな。」
出世と友を天秤にかけた。そして。
「お望み通り、俺はお前の目の前から消えるよ。」
柳は踵をかえした。
「まって、まってくれ柳!」
柳は立ち止まる。
「俺は…その、ホントにそう思ってるわけじゃねえよ!」
「なあ、坂本。お前さ、なんかもっと寡黙っていうか、もっとクールな感じだったよな。」
それがお前の本性なんだな、と柳は続ける。枕に顔をうずめるようなやつだと柳は見抜いている。
「探偵、よかったな。」
その言葉に、羨ましさなどなかった。
去っていく柳をただ見ることしかできず、坂本はその場に立ち尽くした。

「さっきの被疑者、あれちがうでしょ。」
根岸が帰ろうとする真島を呼び止めた。
「私をタダ働きさせた罪は重いよ」
「….だからなんだね。君。」
その言葉には、10年続いた探偵ブランドへの侮蔑も含まれていた。
「君もなにか、福島の居場所を知っているのなら早く吐いたほうがいい。」
真島はそう言うと去っていった。
主演を務める松野の不倫報道の影響で、根岸は撮影を中断せざるを得なくなった。こうして東京に来たからには、どうにかして福島とあの子たちを助け出したいが、今どこにいるのかはわからない。福岡空港には行ったのだろうか?
根岸はケータイを取り出して、福島の連絡先を探して、電話をかけた。
だが、通話中のようだった。言いようもない不安が根岸を襲った。
福島によれば真島が今回の首謀者だという。あの男の冷酷な目を、根岸は思い出していた。

武雄の車は中国地方の中腹を来ていた。何度かの休憩を挟み、今は健太が助手席に座り、舞がうしろで寝ている。
車が備前インターチェンジをとおりすぎた辺りから渋滞が発生していた。渋滞情報によると、全国的に渋滞が発生しているという。

それは、大規模な検問だった。

「これ、何キロ続いてるんだ…?」
武雄はおでこをおさえて言った。休憩を何度か挟んだとはいえ、もう十数時間ぶっ通しで運転してきている。外は既に暗くなっており、そこにこの渋滞が重なったことで、武雄の体に疲労がどっしりと乗ってきた。
「探偵さん、空飛んでいこうよ」
助手席に座る健太が言った。
「ああ、飛べたら最高だね…」
《福島探偵》は空を飛ぶことのできる《フクシマカー》を持っている。という割と初期の設定だが健太は覚えていたようだ。
ボンドカーを丸パクリしたフクシマカーがここにあれば、一瞬で東京までいけるのだが。
少しも進まないので、自然と健太と会話を交わすことになる。
「探偵さんってふだん何食べるの?」
「えーっ…普通に健太くんと同じようなもの食べてるよ。コメとか色々」
「僕もいつか探偵になれるかな?」
「僕だってなれたんだから、健太くんならすぐだよ。」
喋っているうちに健太はどんどん静かになってきた。
「….全然進まないね」
「….そうだね」
申し訳なく答えた。
「そういえばさ、健太くんはどこ住んでたの」
それはずっと持っていた疑問だった。
「んーっと、鹿児島だよ」
「鹿児島かあ。いいねえ」
「お母さんと姉ちゃんと3人で!」
お母さん。そのワードは、今まで触れようとしてやめたような、無意識に忘れようとしていたような、そんな気分を武雄に味あわせた。
女性との関わりを断つと宣言した宇治川が隠れて結婚した女性。
とっつきにくい話題ではあった。
「お母さんの言う事聞いてる?」
「うん!」
母親は今どこでなにをしているのか?そもそも、なぜあの宮崎の隠れ家に母親はいなかったのだろうか。
「疑われないためだよ。」
いつの間にか起きていた舞がそう言った。少し前から聞いていたらしい。
「舞ちゃんおはよう」
「探偵さん、今…私達のお母さんのこと疑ってたでしょ」
ハンドルをぐっと握る
「いやそんなことはないけど、宮崎の隠れ家にいっしょに来れなかったのはなにか事情があったのかと」
「だから言ってんじゃん疑われないためだってば」
舞は大きなため息をついて言った。
「父さんが宣言破って子供作ったこと、もうずっと前から広まってるよ」
「え?」
「探偵さんが無知なだけだって。警察の人たちの間では結構有名な話だよ。」
合点がいった。真島の目的が隠し子の暴露ではなく隠し子を人質に取ることだったのは、既にギョーカイの間で隠し子の話が広まっていたからだ。
「なんでそんなこと舞ちゃんが知ってるの」
「お母さんから聞いた。」
健太は黙りこくっている。親のゴシップなど聞いていて嬉しいものじゃないからだろう。
「とにかく、母さんは熊本の実家に行ったの。私と健太は宮崎の隠れ家。」
武雄は、知らない情報が多すぎてむしろ憤りを感じていた。宇治川も少しは教えてくれてもいいのに。
要は分散させたということだろうか。武雄は別の隠れ家にいる母親の安否も気になった。同じような状況に陥ってはいないだろうか?

渋滞はかなり先まで伸びている。当分、動きそうもなかった。

根岸は探偵事務所を訪れていた。武雄が基本的に勤務している場所だ。ドアをあけ、《所長室》にはいる。
「こんばんは〜岩村所長!」
初老の男、岩村が座っていた。
「おお、根岸さんじゃないですかあ。」
間延びした声は、独特のリズムを感じさせる。探偵ブランド設立の際に、体裁上の所長として配属になった男だ。根岸はよく探偵事務所に入り浸っており、岩村とは武雄以上に親交が深かった。
「率直にいますね?岩村さんはどこまで知ってますか?」
岩村の目がすわる。
「どこまでって…なにをですかあ?」
「福島探偵ですよ、彼。」
岩村は納得した表情になった。
「彼はなにも悪いことはしてないと思うんですがねえ」
「同感です!」
根岸はニンマリとして言った。
「彼は子守の任務に向かったよ」
岩村はどうやら宮崎に行ったところまで知っているようだ。
根岸は真相を喋った。
「なんと…やはり福島くんは悪くなかったんですねえ」
「そうです、で、今帰ってきてるんですよ!」
「高速道路ですかあ?」
岩村はひげを触りながら言った。
「え、はい多分。」
「まずいですねえ…」
岩村は続ける。
「検問をやってると宇治川さんが仰っていました。このまま高速道路にいると危ないかもしれませんねえ。」
「マジっすか!」
根岸はすぐにケータイを出した。連絡するためだ。
「根岸監督、少し待ってくれ給え。」
みると、そこには宇治川が立っていた。
「宇治川さんっ!?」
「私も仲間に入れてくれないか?ここを拠点に…3人を助け出そう。」
宇治川の言葉に岩村はゆっくりと頷いた。
「監督、これは検問している場所を示した地図だ。」
宇治川は捜査資料を渡した。
「よく手に入りましたね。」
根岸は驚きの声を上げる。捜査は真島主導で進められており、資料を手に入れるのは難しいはずである。
「ツテを総動員だ。」
宇治川は歯を出して笑った。
「じゃあ、福島くんに連絡をしましょうかあ。」
岩村の言葉通り、根岸は早速コールを開始した。

「探偵さん、鳴ってるよ。」
舞に促され、電話をとる。
「はい、福島です。…根岸さんどうかしましたか」
『たっちゃん、緊急事態だ、その渋滞は検問が行われてるからだった』
「なんですって!?」
武雄は素っ頓狂な声を上げた。
このままでは、捕まる──。
『福島くーん?岩村ですよお』
「…岩村さん!?」
緊張感のない声に少し力が抜ける。
『私もいるぞ、舞、健太、大丈夫か』
「宇治川さんもいるんですね」
「はい、大丈夫だよ」
「大丈夫だよ!」
舞と健太が軽く話した後、さっそく本題に入った。
『たっちゃんいいか?今から言う地点で検問が行われてるんだ。まずは…』
「ばかな。そこは次のインターチェンジですよ」
あまり時間がない。というか、唯一の出口が検問所だ。
『インターチェンジっていうか、出口近くでほとんどすべての車が止められてるんだと。』
「つまり通り過ぎることも無理?」
舞が身を乗りだして聞いた。
『そ!舞ちゃん賢いね〜探偵なれるよ』
「通り抜けできないならどうすればいいんですか」
『宇治川だ。いいか福島くん、直前にサービスエリアがあるだろ?サービスエリアには従業員専用の出口がある。そこは市街地に接続されてるから、なんとかそこから下道に移動するんだ。』
「しかし..下道では何日かかるか..」
思わず唇を噛む。
『高速道路に乗っていても渋滞は関東近くまで断続的に続いている。検問所をやり過ごしてもういちど乗っても、また同じだ。』
下道で──?武雄の額に汗がにじむ。
『いいか、ここからは戦いだ。変装をして、岡山駅から新幹線で東京まで来い。高速道路にいるとバレたのならそれを利用しよう。』
「東京駅は警察が張り込んでいるのでは?」
『わたしがパトカーで迎えにいくよお』
岩村の声がした。
迷っている暇はない。舞と健太を見る。ふたりとも、判断を待っているように見える。
「…わかりました。」
『随時連絡はする。いいか、とにかく戻ってこい。』
電話を終え、武雄は車をサービスエリアに向けた。既にサービスエリアへの道も大渋滞を引き起こしている。
やっとの思いでサービスエリアにはいったものの、中は混迷を極めていた。
合間を縫って、従業員専用駐車場にはいる。警備員は気づくはずもなく、そのまま車は岡山市街地へと抜けていった。
「…ふう…ふたりとも、少し寝よう。」
市内のコインパーキングに停めると、倒れるように武雄は眠った。心も体も、限界だった。

鳥のさえずりで目を覚ました。
「探偵さん起きた?」
見ると、舞は持ってきた物資を食べていた。
「アレルギーがないやつ探すの大変だったよ」
健太は爆睡している。
「舞ちゃん、いつ起きたの」
「起きた、っていうか、起きてた。」
「そんな、」
「ねえ探偵さん、わたしさ、あのとき、どうすればいいか分かんなかったんだ。隠れ家だと思ってた場所は牢屋だった。このままここにいたら駄目なのに、でることはできない。だから、探偵さんが来た時、もうやるしかないと思ってカマかけた。この人は悪い側じゃないはずだって」
舞は少し興奮しているようだった。ずっと起きて見張っていたのだから仕方がない。
「探偵さんを信じてよかった。」
舞はまっすぐこっちを見据えた。
「….舞ちゃん。」
「だから、次も、絶対またなんとか…」
そこまで言って、舞は寝てしまった。スー、スー、と寝息が響く。
とんでもない推理力を持っていてもやはりまだまだ子供なのだ。

信じてもらった。舞だけじゃない。根岸さん、岩村さん、そして宇治川さん。この10年は、探偵という自分のガワが独り歩きしている感覚だったが、ちゃんと意味はあったのだ。築きあげてきた人脈と信頼が、こんなにまで役に立った。
やってやる。ここは荒野だ。道を外れ、もう道案内はない。
でも、今から歩んでいくすべてが、自分の道になるのだ。
姉の姿を思い出す。遠い存在に思えた姉が、今はなんだかすごく近くに見えた。
車のエンジンをかける。まずは、変装だ──。

「どういうことだ!!!!!!」
真島は電話を叩きつけた。ここまでやって網にかからないとは。
すぐに石田に連絡しようとして、やめた。
石田ひとりで日本のどこかにいる奴らを見つけるなど不可能だ。
とにかく今は朗報を待つ他ない。
真島は立ち上がり、“廊下”を歩いて正面の豪勢なドアを開けた。
「佐野さん、俺です。」
ソファにすわり、ワインを傾けているのは、日本有数の実業家、佐野篤郎だ。
「真島ぁ、聞いたぞ?実権握ったんだってな?」
「はい、これですべて計画どおりです。」
佐野は満足そうだった。成り金と揶揄されていたのも今は昔、現在は佐野に匹敵するバイヤーはほとんどいない。
「それじゃ、近日中に発表だな。な?」
「はい、楽しみです。」
佐野の懐に佐野の妻が潜り込んできた。
「おっ、来たな駄々っ子め」
ふたりを一瞥して真島は部屋を出た。

廊下を歩く真島は、目の奥に黒い光を宿らせた。
佐野の資金を使って、宇治川派の者をとことん買収した。
その見返りとして、探偵ブランドのスポンサーとして佐野が有する《宝島グループ》をつける。
真島には、佐野と手を組むことで探偵ブランドの経済効果をさらに高める野望があった。
金を、権力をどんどん集める。探偵がひとつ事件を解決するごとに世界が熱狂する。世界的な監督に撮らせて、重厚な人間ドラマを作り上げる。
きっと10年後──
警察志願者を倍増させた立役者として名前があがるのは、警察の地位向上の立役者として名前があがるのは、羨望の眼差しを受けるのは、
真島秀一となっているはずだ──。

それはあまりにも壮大な、真島の宇治川に対する復讐をなぞった、計画の全貌だった。

宇治川はタバコを理由に事務所から出た。
すぐさま電話をとる。
「美子、もうちょっとだ。大丈夫だから。」
『…大丈夫。もうちょっとなら耐えられるわよ。』
美子とは、宇治川の妻だ。子どもたちと離れて、熊本の実家に移動してもらっている。
美子とは10年前に籍をいれずに結婚した。半年に一回は鹿児島に帰っては美子、そして舞と健太に会いにいくという生活を続けていた。
「片がついたらまた連絡する。」
宇治川にとって、これは過ちだった。女性トラブルを起こし、メディアに宣言したとも、癖の悪さは治らなかった。
回り回って宇治川の首はここまで絞められることになった。
メールを開く。《怪盗》だ。
《期日を決める。3日以内に隠し子の姉の方を指定の住所に連れてこなかった場合、貴殿が想像しているよりも深く痛手を追うこととなる。隠し子の命はない。》
宇治川は唇を噛んだ。本来は、武雄たちはどこかに身を隠すべきだ。だが、怪盗に従わなければなにが起きるかわからない。最初のメールである、
《私は「怪盗」である。貴殿の隠し子のことを知っている。貴殿のすべてを奪うため、今こうして連絡をしている。覚悟されたし。》
その直後から宇治川派の離反が始まった。
怪盗は確実に力を持った何者かだ。正体はいずれにしろ、宇治川に恨みを持っているに違いなかった。
真島の捜査網に捕まる前に、舞と健太を東京に戻す。
宇治川は自分が武雄たちを、根岸や岩村を騙していることを痛いほど承知していた。
だが、今更であった。
うらめしく、恐ろしい怪盗の存在は、確実に宇治川の喉元を捉えていた。

第1幕 完

第2幕

真島秀一は世間が嘯く、いわゆる「エリート」だった。読書感想文コンクール金賞受賞、高校ではサッカー部のキャプテンを務め、全国大会で優勝、東大模試は全国1位、首席入学、首席卒業、と、文武両道を地で行く人生を謳歌してきた。
佐野篤郎に出会ったのは大学生の頃だ。彼は既に上場を果たしており、社名を「宝島」に変更した事も相まって乗りに乗っていた。
道で倒れた佐野を、真島がたまたま通りがかって介抱したことがきっかけで、急速に親しくなっていった。
今や真島は警察庁幹部、佐野は宝島グループの代表だ。
佐野の承認を得て、真島は今、警視総監や役人もいるこの会議で、すべての計画を語っていた。
「宝島グループにスポンサーについて頂くことが決定しております。というわけで、私、真島が探偵ブランドを作り変え、より重厚に、よりリアリティのあるモノを作り上げてみせます。」
警視総監の光堂が質問を投げた。
「志願者数は増えるのかね?」
今いちばんほしい質問だった。
「もちろんです。従来の探偵ブランドに対するアンケート調査を元にしたリニューアルですので、過去最高の成果は約束されております。」
そうだ。これでいい。宇治川の作り上げたものはすべて自分のものになる。従来ブランドの顔である福島武雄も、その飼主の宇治川もスキャンダルで沈んだ。
真島の脳裏に、佐野と、佐野にいつも抱きついている年増な妻が浮かんだ。
これでいい、この道こそ、俺の道だ。

サングラスやアロハシャツに身を包み、原型を留めない程度に変装した武雄のうしろには、同じく原色の服にニット帽を被った舞が続く。
健太もまた、国民的アニメキャラのコラボTに、野球帽を被っていた。
変装は万全だ。新幹線が岡山駅を出るまであと少し。到着した瞬間、そこは敵地だ。
「舞ちゃん、健くん、もういちどおさらいしよう。東京に着いたら?」
「岩村さんのパトカーに乗る!」
「そう正解!えっとじゃあ舞ちゃん、そのあとは?」
「探偵事務所に向かって、バレないように中に入る」
「OK。よし、乗ろう。」
次々と人が乗り込んでいく。3人も満を持して乗り込んだ。座っている乗客のスマホに、「福島容疑者」の文字を見つけて、少し胃が痛くなった。
ベルがなり、規定時間内に、《のぞみ》は岡山駅を出発した。
(なにも起きないでくれ…)
武雄はそう、願うしかなかった。

坂本は、会議室から出てきた真島に追従した。この頃、常に坂本は連れ回されている。真島が周りに、新探偵の存在をアピールしているのだろうと坂本は踏んでいた。
今日もまた、多忙な真島の付き人のような形で、足を動かしている。
「坂本くん。この書類を芦田部長に届けてくれるか。」
「芦田部長ですね、承知しました。」
書類を手に、真島のデスクを離れた。
角をまがり、廊下を進む。そこで、坂本は男とすれ違った。
小太りで、丸メガネをかけた中年の男。
坂本は見覚えがあった。今いちばん売れているサブカル雑誌の編集長だ。この間テレビの特集でやっていた。
この先には真島のデスクしかない。マスコミ関係者が、なにをしに…?
軽い興味で、少し待ってから後を追った。
部屋の中から声が聞こえてくる。
「いやはや、助かりましたよ。」
真島の声だ。
「いえこちらこそ。」
「また近々お願いするかもしれませんので、そのときは、また。」
へりくだる真島に対して、編集長はどこかぶっきらぼうである。
「真島さんも大変ですね。あることないこと言わなきゃ、ライバルが蹴落とせないんですから。」
あることないこと?坂本は引っ掛かりを覚えた。
「はは、いいセンをついた冗談ですな」
「冗談じゃないですよ真島さん。」
編集長の声色が変わった。
「この程度の金で嘘記事を書いてもらえると思ったら大間違いだ。少なくとも倍は貰わなくちゃね?」
嘘記事。実感のわかない単語とは裏腹に、坂本の頭はフル回転していた。最初に福島探偵のスキャンダルを告発したのは、「月刊スカーレット」。まさに部屋の中の編集長が抱える雑誌だ。
告発内容は反社会勢力とのつながり。大人気雑誌であるため、世間はすぐに福島探偵叩きにまわった。
これが、嘘記事だとしたら?真島が依頼して福島探偵を貶めたのなら?
既成事実に穴があく。すべてがひっくり返る──。
真島の幹部としての地位を賭けたプロジェクトは水疱に帰することだろう。
そして、坂本もまた、….。
坂本はずっと与えられた道を歩んできた。だが、柳の件以降、心は揺れ動き続けていた。
部屋で編集長が立ち上がる音がして、坂本は逃げるようにその場を離れた。

石田は既に東京に戻ってきていた。福島たちを逃した失態を挽回するためにも、必ず見つける必要があるが、いまだ足取りは掴めずにいた。
ここで成果を出さなければ、石田は童話のコウモリのように途方に暮れることになる。
なぜ東京にいるのか、というと、それは真島の指示だ。真島によれば、福島たちは東京に来る可能性が高いらしい。
昨日まで高速道路を一斉封鎖したり、全国的に指名手配していたのに、一転して今は東京に警備が集中している。
「暑いな…」
猛暑から逃れるように、石田は近場のカフェに身を据えた。エアコンの風が身を包む。
早速、《福島探偵》でエゴサを開始した。ネット上では、嘘か真か、目撃情報で溢れかえっているのだ。
どれも信憑性に欠けるものばかりだが、得られるものはあるはずだ。
更新を繰り返して、最新の情報を集める。
どれもこれも、鼻で笑えるくらい、しょうもない投稿ばかりだ。
《函館タワーで福島探偵っぽい人見つけた。写真はとれなかったけど…》
《福島探偵事件、いろいろタイミングがおかしくて、つい探っちゃうな。》
《近所の婆さんが孫が帰ってきたって言ってた。苗字が福島なんよ。明日ちょっと訪ねてみる予定。》
《フランス人の友人によれば、日本の探偵ブランドは幼稚なんだってさ。今回の福島探偵の件でこんな悪習おわればいいのに。》
《高速道路の渋滞やばすぎる…福島探偵のせいだろこれ…はよ捕まれよ..》
《福島探偵と関わりがあったらしい反社会勢力、情報が集まってきました。とあるジャーナリストによると、詐欺とかもやってるみたい。複数回に渡って金銭のやりとりもあったみたいです。》
《福島探偵の事件、結構日本の危機だと考えてる。》
《香川住みだけど、みんな福島探偵は高松にいるって言ってる。漁師さんが小舟漕いでるの見たって》
《岡山から山陽新幹線で東京に行ってるんだけどさ、これ、福島探偵じゃない?女の子もいっしょ…》
スクロールする指が止まった。新幹線──。
添付された画像は斜め後ろの席から撮られたものらしい。アロハシャツにサングラスという奇抜な格好だったが、横顔は福島のようだった。その隣には少女が座っている。
だがそれよりも石田が目を剥いたのは通路を歩く少年だ。しっかりと顔が写っている。
宇治川健太だ。動悸が強まる。
(これは…)
笑みを隠すように下を向いた後、すぐに顔を上げてスマホを掴んだ。

「やばいよやばいよ!」
根岸は転がり込むように探偵事務所に入った。
「監督、言いたいことはわかるが少し落ち着いて..」
制止する宇治川を差し置いて、根岸は岩村の前まで走った。
「東京駅に大量の警察車両が集中してるんですよ!」
「…らしいねえ。」
緊張感のない声に苛立った。
「やばいでしょ!」
岩村は凛として言った。
「福島くん達が東京駅に降り立てれば、あとはわたしがなんとかできるんだけどねえ。」
「え、どうにかって…」
困惑する根岸をよそに、宇治川が口を開いた。
「監督、どうにか警察の注意を日本橋口から離さなければならない。なにか策はないか?」
既に話し合いが行われていたと根岸は了解した。
「…ひとつありますよ。今すぐなんとかできることです。」
「あと30分で新幹線が到着する。それまでにやれるか?」
根岸はいつもの調子を取り戻した。
「モチのロンです。」
そう言うと、早速スマホで松野健介にコールを開始した。
主演俳優として松野を選び、撮影を続けていたにも関わらず、松野の不倫報道で、撮影は一旦中止となってしまった。割とぶん殴りたいところだが、どうせなら利用させてもらおう。
『はい、はい、松野です…』
「おい松野!!!!」
男勝りなドスの効いた声で答えた。宇治川がギョッとして少し根岸から距離を置いた。
『あの、改めて..申し訳ありませんでした!!』
「それはもういいから!!お前、車出せるか?」
『はっ…?』
「東京駅でゲリライベントをやるんだ。」
『え、いつですか?』
「30分後!」
時間はない。このバカの影響力で、東京駅に混沌を巻き起こしてやろう…。
不敵な笑みを根岸は浮かべた。

あと10分──!
武雄の隣では舞が神妙な面持ちで座っている。その隣には健太。初めての新幹線で、すこし興奮しているようだ。さっきもトイレに立っていた。
何も起きるな、と眉間にシワを寄せたその時だった。
「福島探偵ですよね?」
斜め後ろの席から声をかけられた。流行のファッションに身を包んだ女性だ。
「え、いや…」
福島探偵という言葉が車両内に蔓延し、やがて視線が一手に集まってきた。
「おい、本物じゃん!」
「ねえ、怖いって..」
騒がしくなってきた。どうする──!
そのとき、強面の男が近づいてきた。
「あんた、そこで大人しくしてなよ。逃げたらとっちめるからな。」
大量のスマホのシャッター音が響く。思わず舞と健太を覆って隠したが、その瞬間しまった、と冷や汗がでた。
「その子供、誰ですか?」
「え、子供いるんスか?」
逃げられない。他の車両からも次々に人が集まってくる。
「僕、いくつ?」
男がカメラを向けながら健太にひとり近づいてきた。
「ちょっと!離れてください!」
武雄はそんなに強く引き剥がしたつもりはなかった。だが、男は顔色を変え、
「みなさん!殴られました!」
どうやら配信していたらしい。
「いや、ちょっと押しただけで…」
「おい、動くな!」
強面の男に肩を掴まれ、身動きが取れなくなる。
みな好き勝手騒いでいる。だが、ここでなにか喋っても逆効果だ。それに今更自分が世間にどう思われていても関係ない。問題は舞と健太だ。
絶対に巻き込んではいけない。この一件で人生を棒に振ってはいけないのだ。
「ちょっと、手を離してよ!」
舞が強面の男の手を剥がそうとする。だが、そのせいで配信者がカメラを向け始めてしまった。
「君、かわいいね〜」
「やめて!」
「ちょっと、顔隠さないでよ、ほら、…おい!」
そのときだった。
「あ、やっぱり!福島探偵だ!」
ひとりの男の子が近づいてきた。
「わあ、すごい!僕、福島探偵大好きなんだあ…」
すぐに後ろからやってきた親が連れて行った。だが、武雄はその男の子を見て、意を決した。
「ふたりとも、ダッシュ!」
舞と健太が立ち上がり、後部車両に走り出した。事前に決めていたサインだ。後ろを大挙して人々が追いかけていく。
新幹線はもう到着する。このまま逃げ切るしかないのだ。
強面の男の足を蹴り、態勢を崩して縫うように立ち上がった。
「おまえ!逃げる気か!!」
「まて!」
人混みをかき分けるように、後部車両に走った。
まだ後部車両に座っている人たちは事態に気づいていない。
今のうちだ──!
舞と健太を追いかけていた群衆をかき分け、ふたりに追いついた。
そして、追いかけてくる者たちをとめるため、玩具の銃をとりだした。
アロハシャツを売っていた店に同じように売っていたものだ。子供だましだが、緊急時には役立つと思って買っておいた。
「とまってください!」
どよめきが広がり、群衆は一定の距離を保ってとまる。相変わらずシャッター音がなり続けているが、それはこの際どうでもいい。
連結部分に身を寄せ合いながら、駅に止まるのを待つ。外の景色が、線から点に変わり、やがて新幹線は──東京駅に到着した。
「GO!」
武雄の掛け声で3人は新幹線を飛び出した。高速道路の上を。敷かれたレールの上を通ってきた3人は、ついに上下左右が縦横無尽に駆け巡る、最後の砦に到着したのだった。

「松野!もっと飛ばせ!」
「は、はひ。」
到着するまでもう時間がない。急がなければ──!
松野は所属する事務所の社長にこってり絞られた直後だったらしく、今回のゲリライベントでさらに怒られることになる、と嘆いていた。
「安心しろ!私はお前のプライベートなんてどうだっていいから、これからもガンガン使ってやるよ!」
「マジですか!?」
「ああ!いいから急げ!」
車を降りた松野は、メガホンで自分の名前を叫び始めた。
既に松野の公式アカウントで告知済みなため、すでに丸の内南口には観衆が集まり始めていた。
「なんでも質問答えまあああああす!」
「ツーショットとりまあああああああす!」
「松野健介でえええええええええす!!」
喧騒が広がり始め、周りにさらに大量の人が集まり始めた。

「石田!どうなってる!」
日本橋口近くで他の警察と張っていた石田は、とんでもない報告を受けた。
「ゲリライベント…?」
丸の内南口ではすでに機能不全が発生するレベルで混雑が発生しているとのことだった。
たしかに、構内の人の流れは丸の内南口に向かっていた。
「こんなときに….!」
「今すぐ対処しないと、処罰を受けるのは我々だ。悪いが向こうを優先させてもらう!」
こんなときに管轄の心配か。石田は心のなかでどくづいた。
今日は週末ということもあり、たとえイベントの方に人が流れているとしてもどこも人でごった返している。
(クソ…!!)
そのとき、石田はアロハシャツを目に捉えた。

新幹線を飛び出した3人は人に揉まれた。
舞の腕をつかみ、離れないようにする。だが健太を見失ってしまった。
「探偵さーーーん!」
健太の声がかすかに聞こえる。だが人の波に逆らえば転んでしまう。
「健くん!」
もう健太の声は聞こえない。とにかく改札をくぐり、岩村さんが待つ集合地点まで走った。
「舞ちゃん!あのパトカーだ!頑張って!」
舞をパトカーに載せたら、もういちど人混みに揉まれて健太を探すしかない。
パトカーへ一目散に走る。だがその目前に、石田が現れた。
「福島!」
「…石田さん」
不敵な笑みを浮かべた、その男と数日ぶりに顔を合わせた。
「舞ちゃん、先に行って!」
「分かった」
舞がパトカーに乗ったのを確認した武雄は、石田に近づいた。
「あんたひとりなら倒せますよ。」
「凄んでる場合か?今連絡があったが…健太はもう捕まえたそうだぞ..?」
驚きと悔しさを顔に出さないように、石田と睨み合いながら位置を変える。
石田は武雄を捕まえるつもりはないようだった。
「福島!今は逃げられても、お前はいずれ裁かれるぞ!」
高笑いする石田を残して、武雄は人混みに隠れるようにパトカーに走った。

パトカーに乗り込んだと同時に、岩村さんはアクセルをベタ踏みした。
「福島くん、ひさしぶりだねえ」
「ご無沙汰してます。」
「…ねえ、健太は?」
舞が泣きそうな顔を向けてくる。思わず下を向く。
「捕まったみたいだ。」
「そんな…!」
「だけどね、もしかしたら誰もわたしのパトカーにたどり着かなかったかもしれないよ。根岸さんが色々やったおかげで、警備が薄くなってたんです。」
岩村さんが慰めるように言った。
だとしても、だ。2人とも無事に帰すことが最重要任務だったはずだ。
武雄の胸に言いようもない喪失感が去来した。
「..それよりも。今は無事に探偵事務所に戻れるかが鍵ですよ。」
岩村さんが続ける。
「ふたりともシートベルトを。すこし無茶しますから…」
後ろからは大量の警察車両が追いかけてくる。
「そんじゃ、いきまーす」
間延びした声とは裏腹に、青信号になった途端、車は勢いよく飛び出した。
そしてトップスピードを維持したまま、都市高に突入した。
「実は都市高でやってた検問はいちはやく終わったんですよ。」
そう言うと、車はとんでもない速度で他の車を抜き去ってゆく。
「うわああああああ!」
絶叫する武雄に比例して、速度も上がってゆく。
そして──。すべての追手をまいて、無事探偵事務所に到着した。
「ワイルド・スピードっていう映画、大好きなんですよねえ。」
岩村さんはそう言ってパトカーを降りた。
武雄も舞も、生きた心地がしなかった。

『石田です。真島さん、子供を手に入れましたよ。宇治川健太です。』
「..よくやった。例の住所に連れて行け。」
『はっ。』
電話を切り、真島はすぐにメールをひらいた。
相手は───
《怪盗》だ。
『宇治川健太を手に入れた。例の住所に移送中。』
怪盗から最初に連絡があったのは1ヶ月前だ。
『宇治川を失脚させ、貴殿がすべてを握る手伝いをしてやる』
最初は信用していなかったが、怪盗の言う通りにすればすべて上手くいった。
怪盗の指示で、腐れ縁だった佐野篤郎に連絡し、スポンサー契約を取り付けた。
怪盗の指示で、月刊スカーレットの編集長を買収し、福島を貶める嘘のスキャンダルを書かせた。
そして昨日、
『舞と健太は必ず東京に来る。』
という連絡が来た。果たして、本当に奴らは東京駅に現れたのだ。
石田を呼び戻しておいて正解だったというわけである。
怪盗の正体はわからない。
だが、そんなことは今更どうでも良かった。恐らく宇治川に恨みのある誰かだろう。
大切なのは、今、すべてが好転し、すべてが真島の思う通りに動いているということだ。
計画は最終段階に入った。怪盗によれば、とある住所に、宇治川と福島は現れるという。
真島も出向く必要があった。真島は怪盗の代弁者だからだ。
オフィスの窓から、眼下の都市を見下ろし、にやりと笑った。

舞と健太の母親である美子から、宇治川に連絡があったのは武雄たちが探偵事務所に到着してからすぐのことだった。
『どういうことよ!健太は無事に戻るって言ったじゃない!』
美子を必死になだめる宇治川を、武雄は応接間で待っていた。
根岸も岩村さんも同じように座っている。
舞は、美子とは会話したがらず、武雄の隣で座っていた。
「みんなすまん。」
席につくなり、宇治川は詫びた。
「なにはともあれ、まずはここまで来れて良かった。」
だが、今武雄が気になっているのはそんなことではなかった。
「宇治川さん。説明してください。」
「…何をだ。」
武雄はずっと引っかかっていたことがあった。ここで、宇治川に宮崎に行くよう依頼されたときから、ずっと。
「僕らが高速道路に乗ったら、検問が始まった。僕らが新幹線で東京に向かったら、駅には警察が待ち伏せしていた。」
「…それは。」
「東京駅に待ち伏せていたのは偶然かもしれません。でもあそこには、石田がいた。」
武雄は続ける。
「石田は僕らの後を追っていたはずです。だから少なくとも、彼が東京に先回りしていたのはおかしいんですよ。それに岩村さんの話だと、都市高の検問はいち早く終わったって。それは逆に言えば、もう高速道路を注視する必要がないからじゃないんですか?真島が….僕らが東京に来ることを、知っていないとこうはならないはずですよ。」
宇治川の顔がすこし揺らいだ。そして、大きく息を吐いた。
「宇治川さん。なぜ僕らに東京に来るよう言ったんですか。」
そう、わざわざ東京に来るよう命じた理由はわからないままやってきた。そのせいで、健太は捕まったと言ってもいいのではないか。
「….わかった。話そう。」
宇治川はスマホを取り出し、武雄に見せた。
「これは《怪盗》を名乗る者からのメールだ。」

しばらく皆、唖然としていた。いのいちばんに声を挙げたのは舞だ。
「じゃあ、お父さんは私をその、怪盗に渡すために戻ってこさせたってこと?自分の地位を守るために。」
鋭い指摘だった。
「…ちがうとは言えん。」
その言葉に、舞は顔に絶望を浮かべた。
「じゃあ、後手後手に回ってたのは、怪盗が、3人が東京に来ることを知ってたから?」
根岸が推察する。
「ああ。恐らくな。」
「宇治川さあん。ここの会話で、高速道路はおりた、って言っちゃってますよお」
岩村さんがメールを指差す。
合点が行った。宇治川の失言で、都市高の検問は解除されたのだ。
「すまなかった。」
宇治川は絞り出すように頭を下げ、言った。
「怪盗の正体、誰なんでしょうね。」
そこで初めて、武雄は口を開いた。
「宇治川さんだけじゃなく、僕さえも貶めて、そして舞ちゃんを要求してる。」
言いながら、思案する。根岸が言葉を継いだ。
「個人的な恨みかな。」
さらに舞が呟いた。
「….真島さんじゃないの?お父さんのライバルだし、今までの話でいちばん得してるのが真島さんだし。」
普通に考えれば、そうなる。
だが武雄は、この数日を振り返って、ずっと引っかかっていたことの正体を探っていた。
ずっとつきまとっていた、違和感。
「舞ちゃん。考えないようにしてるでしょ。」
「え、なにが?」
舞が不思議そうな顔を向ける。
「ずっと変だと思ってたんだ。最初に宇治川さんに依頼されたときも、あの隠れ家を脱出したときも、高速道路で喋っていたときも、ずっとそう。宇治川さんも、舞ちゃんも健くんも、みんな避けてた話題があった。」
「…話題?」
岩村さんも根岸もこちらを見ている。まるで本当に探偵が喋っているときのようだ。
「母親だよ。全員、母親の話をしたがらなかった。」
空気が変わった。
「宇治川さんは女性トラブルを過去に起こして、もう交際はしないと宣言してた。でも実際は、交際してた。そういう筋の依頼で、隠し子と宮崎で隠遁生活を送れっていう話だった。なのに、依頼する時、宇治川さんはひとこともその「隠し妻」の話をしなかった。」
「隠れ家から脱出する方法を考えたときもそうだ。熊本の実家に母親がいるのなら、助けに来てもらえるはずなのに、
僕が根岸さんを呼ぶ案を出すまで2人の口から母親を呼ぶという選択肢は出てこなかった。」
「高速道路で、健くんが初めて母親の話をした。でもすぐに舞ちゃんが話を継いで、その間健くんは黙ってた。そのときは、親のゴシップの話だから、気まづくて黙ってるのかと思ったんだ。」
武雄は息を吐くように続ける。
「でもちがうよね。本当は、母親の話題が触れにくいことだったんだ。宇治川さんが依頼するときに母親の話題を出さなかったのは、説明が難しいほど複雑だったからだ。単純な隠し妻じゃないから、出さなかった。そして、母親の話題は姉弟の間でも避けられてる。家族全員、僕に説明できない事情があるからだ。」
「舞ちゃん。怪盗の正体が真島、なんて、だれでも推理できるよ。舞ちゃんはもっと観察力が優れてるし、誰も気が付かないことに気がつく。」
舞の目には涙が浮かんでいた。宇治川は顔を下に向け、微動だにしない。
「舞ちゃん。本当は気づいてるんじゃない?正体に。僕はそれが、母親の話題と関係がある気がするんだ。」
ここまで言い切って、重い沈黙が場を支配した。
決して口には出さないが、武雄は初めて2人にあったときも違和感を覚えていた。健太は宇治川によく似ていたが、舞はまるで似ていなかったのだ。他にもある。観察力に優れた舞と、どんなときもリラックスしている健太。そのときは、かなり母親の遺伝子がつよいんだろうと思っていた。
だが、今は。
沈黙を破るように、舞が言葉を吐いた。宇治川は最早、止めることもせず小刻みに体を震わしていた。

「探偵さんの言う通りだよ。私は、美子さん──、健太の母親とも、お父さんとも血がつながってない。だって美子さんとお父さんが結婚したのは10年前。そして私は、15歳。」
「私はお父さんが美子さんよりも前に付き合ってた人の連れ子。その人とお父さんが別れて、私はお父さんに引き取られた。」
触れにくい話題だったのはそのためか。武雄は霧が晴れる思いだった。
先程、美子が電話口で健太の心配しかしていなかったこと、
そしてその美子と、舞が話したがらなかったこと。
5歳で母親が変わり、さらにその母親は新しく子供を生んだ。
想像すれば吐き気がするほど、少女には重い現実だ。
現に、美子は電話口でこう言っていた。
『どういうことよ!健太は無事に戻るって言ったじゃない!』

「私の、最初のお母さんはモーリス・ブラウンの「アルセーヌ・ルパン」が大好きだった。最後の日も、『私が必ず舞をあの人の元から盗みだしてあげるから』って言われた。だから《怪盗》の話を聞いて、最低の考えが浮かんだ。
でも考えたくないでしょ?今起きてることぜんぶ、お母さんの仕業だなんて。」
舞はそう言うと、膝を抱えるようにまるまった。
宇治川は憔悴しきっていた。だが当たり前の罰だ。すべての原因は宇治川にあるのだ。
「もしその宇治川さんの元妻?が怪盗だとして、目的はなに?」
根岸の質問に宇治川が答えた。
「う、うばうこと、いや盗むこと、だと思う。私の作り上げたもの全て壊して、ふ、復讐するためだ。」
「宇治川さん。いったいその元妻に、何をしたんですか?」
武雄の質問に、宇治川が俯く。
今、すべての核心に迫ろうとしていた。

宇治川悟が最初にその女性と出会ったのは、お忍びで行ったキャバクラだった。そこで働いていた女子大生の子を、宇治川は何度も指名するようになった。
彼女は名前を詩織、と言い、文学部で海外の古典ミステリを探求している、と楽しそうに言った。
どんな愚痴をこぼしても、詩織は包み込むような温もりで慰めてくれた。
宇治川は詩織の愛らしさに惹かれたが、キャバクラの営業に過ぎない、と自分を律し、徐々に行かなくなった。
それから数年後、駅のロータリーでバッタリ遭遇した。意外にも詩織は宇治川の事を覚えており、近くのカフェですこし話すことにした。
当時の宇治川は、幹部に昇格したばかりで、どうにか他の幹部と差をつけようと躍起になっていた。だが早急の課題であった警察の志願者数を伸ばす策をなかなか思いつけず、思い詰めながら毎日を過ごしていた。
詩織はあれから、在学中にひとりの男と結婚し、子供を作ったが、すぐに夫を事故で無くし、それからひとりで娘を育ててきたのだという。
結局大学は自主退学したとのことだった。
「宇治川さんはえらくなれたんですか?」
歯を見せて笑う詩織に、宇治川は自然とかつてのように愚痴をこぼしていた。
「どうも頭が回らなくてね、アイデアさえあれば、ってところで」
「警察官になりたい人を増やす方法?うーん、難しいですね。あ!私、昔は警察が名探偵みたいなことをしてるって信じてましたよ?子供の頃から読んでた憧れのシャーロック・ホームズみたいな人が、今は警察としてやってるんだって。」
「探偵?」
「そうです。だから私も昔、ちょっとだけ警察になりたいなーなんて思ってた時期もありましたよ?…でも、フィクションですしね。」
「いや…それだ。」
それからすぐに、探偵ブランドの初期案を立ち上げた。詩織のアイデアに助けられたこともあって、何度か密会を重ね、ついに結婚した。
と言っても、宇治川は詩織が本心で宇治川を好いているわけではないと肝に銘じた。
年齢差は30年以上。詩織はもうすぐ賞味期限がきれる。水商売ができなくなれば、娘を養うことが辛くなってくるだろう。
金を多く持っている宇治川と結婚することで安定した生活を手に入れようとしているだけ。
そう思いながらも、関係は続いていた。詩織の連れ子の舞にも、たくさんモノを買い与えた。
交際しない、と宣言してから、子供をもつことは諦めていたからだ。
そんなある日、宇治川は居酒屋で出会った、美子という女性と親密になった。詩織と同じくらいの年齢でありながら、美子は深く宇治川を愛してくれた。宇治川は自分の仕事を明かさなかった。だからこそ、色眼鏡をつけず、等身大で愛してくれる美子にぞっこんになった。
美子と結婚したい。だが、詩織が邪魔だった。
思えば、美子は宇治川のために結婚したいと所望したが、詩織は娘のためだ。
宇治川は、舞を美子に預け、詩織をあのカフェに連れていった。
「別れよう。」
そう告げたときの詩織の顔は、背筋も凍るものだった。
宇治川は続けた。
「舞は私が連れて行く。恨むのなら、私のためでなく舞のために結婚を選んだ、君自身を恨むんだな。」
それから数週間後、舞を連れて、宇治川は家を出た。窓から真顔で見下ろす詩織を一瞥し、美子の待つ車に乗りこんだ。

「あんた最低だよ。」
武雄自身、驚くほど自然にその言葉が出た。宇治川は武雄にとって恩人だ。だが今、宇治川が語った内容はその恩を薄れさせるほどのものだった。
こんな人間の地位や名誉を守るために、自分はわざわざ宮崎まで行ったのか。
宇治川は、なにを言おうと言い訳になる、と分かっているのか、黙っていた。
「間違ってると思う。」
そのとき、舞が口を開いた。
「反省してるんだったら、健太を助けるために尽くしてよ。」
舞の目には覚悟が見えた。
「私の大事な弟なんだよ!」
そう言い切ることに、どれほどの葛藤があったのか武雄にはわからない。だが武雄の感情は高ぶった。
「宇治川さん。全部終わらせましょう。計画を練るんです。健太を救いあげる方法を。」
岩村さんも、根岸も頷いていた。たとえ探偵ブランドの起源が、どす黒く汚れていたとしても。武雄はその中で生きてきて、そしてその中で仲間を作った。
信じ合うことで、荒野に道は拓けるのだ。

そこは薄暗い廃工場だった。手足を縛られた健太が、床に転がされている。
「真島さん!来ました。」
健太のすぐ近くに立っている石田は、真島に声をかけた。
入口を見ると、宇治川と福島が立っている。
「宇治川!怪盗から連絡が来たのか?」
真島はあえて手の内を明かした。怪盗の正体は誰も知らない。ならば、下手に心理戦を打つよりも、怪盗の思惑に沿ったほうがダメージが少ない。
「やはり怪盗はお前ではないんだな。」
宇治川はそう言うと、
「舞を連れてきた。おい、福島くん。」
「はい。」
武雄は答えると、入口の向こうに手招きした。まもなく、舞が現れた。
真島はそれを見、早速《怪盗》の指示通りに話を進めた。
「私は怪盗の代弁者だ。怪盗によれば、健太と舞を交換するように、とのことだ。」
舞は素直に真島の元へやってきた。
「糞やろう。」
そう、舞が睨みつけたと同時に、石田が舞を縛り上げた。
「健太はここに置いていく。好きにしろ。」
真島がそう言うと、石田と、石田に引っ張られる舞は廃工場の出口へ向かった。
舞がこちらを見る。武雄は、自分の姉、沙奈を思い出していた。健太のためにも、必ず救い出す──!
残った真島は不敵な笑みを浮かべて、こちらに近づいてきた。
「君が福島探偵か。直接喋るのは初めてかな。」
武雄も向かい合う。
「君のスキャンダルを聞いたときは残念だった。..いいかね?ほら腕を出しなさい。」
手錠がかけられた。
「福島武雄。21時46分….」
淡々と読み上げ、そして連行されていった。
残された宇治川は、健太の縄をほどいた。ねむらされているようだ。抱えあげると、そそくさとその場を離れ、外にとまっている岩村のパトカーに乗り込んだ。
「監督。これでいいだろうか。」
「ん、まあ、私は宇治川さんの事別に嫌ってないよ。プライベートのことなんてどうだっていいんだ私は。」
「とにかく、発信器を見てみましょう」
岩村の一声で、3人で画面を覗きこんだ。
発信器は、わかりやすいダミーを舞の髪に、本命を舞の奥歯の裏に取り付けている。位置は廃工場を離れ、やがて別の場所に停まった。
「宇治川さんここどこ?」
「…少なくとも、名のついた場所じゃない。恐らく怪盗が指示した受け渡し場所だろうな。」
「追いますかあ?」
「ああ。頼む。」
異変が起きたのは、後すこしでたどり着くというときだった。突然発信が途絶えたのだ。
「本命がバレた…!?」
「とにかく急ぐんだ、岩村さん、飛ばしてください。」
岩村のパトカーは、夜道をかっ飛ばしていった。

石田と、舞の乗った車はどこかの駐車場に停まった。周囲は森に囲まれ、静まり返っている。
後部座席に座る舞は、ひとことも喋らない。
「この俺に煮え汁を飲ませるような真似をしやがって。あのままあの家でくたばっておけば幸せだったんだ。」
そう毒つくが、特に反応はない。やがて、1台の黒いバンが、石田の車の隣に停まった。
運転席から、全身を黒い服で身を包んだ者が現れた。フードを深く被っているので、顔は見えない。石田は後部座席のドアを開けた。
冷たい空気が車内に流れ込む。
舞は、近づいてくる黒い人物に底しれぬ恐怖を抱いた。
その人物は、ライトで舞の体を隅々まで照らした。やがて、髪についたダミーの発信器をはずした。
舞は、自分の息が激しくなってきたことに気づいた。
純粋に、怖い。
その人物は、動けない舞の頬を挟み、口を開けさせた。ライトで口の中を探り、やがて、奥歯の裏の本命を発見した。
鈍い音とともに、摘出された発信器を、ライトで照らす。そこではじめて、舞はその人物が黒い手袋をしていることに気がついた。
発信器は握りつぶされた。
そして、舞の体を抱きかかえると、黒いバンに運んだ。
石田の車は急発進し、闇に消えた。
駐車場に残された黒いバンの中で、舞は手足の拘束を解かれた。
そして、引き寄せられ、抱きつかれた。
強い力で肩をうずめられ、舞は軽くパニックになった。
その人物の口呼吸が段々と舞の耳に近づいてくる。
生暖かい息が耳をつんざく。
はあ、はあ、と過呼吸気味になった舞の耳に、その人物は囁いた。
私の手に入らないものなど、この世にない
柔らかい声だった。そして、この声に、この言葉に、舞は聞き覚えがあった。モーリス・ブラウンの作り上げた名キャラクター、アルセーヌ・ルパンの名言だ。
フードを脱いだその人物の顔が、だんだん舞の眼の前にやってくる。
「やっと手に入れた。」
その言葉が脳を揺らす。考えたくなかった。妄想だと断じてしまいたかった。
だが、そこにいたのは、誰でもない、

詩織その人だった。

第2幕 完

第3幕

《明日、福島探偵が裁かれる、探偵寸劇が配信されます。その際、新探偵がついにお披露目されます!》
「どうでしょうか?」
真島は、広報担当が持ってきた煽り文句を眺めていた。
「常々思っていたんだが、寸劇、というのはどうも陳腐だな。」
「と、言いますと?」
「例えば、『名探偵による推理ショー』みたいな感じで、もっと泊をつけろ。極上のミステリーといった塩梅で。」
「わかりました、もうあまり時間もないので、早急に変更させます。」
「ああ、頼んだ。」
真島はすぐにスマホをとった。
「今週の『月刊スカーレット』、読んだがあれはなんだ?挑発のつもりか?」
『真島秀一の順風満帆な人生。なかなか気に入ってもらえる記事だと思ったんですがね。』
「ふざけるなよ。あることないこと書きやがって。」
『それはそっちでしょうよ。こっちはこれだけのお金をもらわないと、ってちゃんとこの間伝えたじゃないですか。』
「….わかった。わかったから、しばらく警察関係の記事は書くな。」
『統制ですか??困りますよ、そんなの。我々はあなたが、福島探偵を貶める嘘のスキャンダル記事を書けと言われて、仕方なく書いてるんですよ?』
またこれだ。こいつらこそ、売上でがっぽり稼いでいるくせに、なにか言うとすぐに振りかざしてきやがる。怪盗の指示とはいえ、もう少しマシな雑誌はなかったものか。
「わかった。金は送金するから。もう切るぞ。」
スマホを叩きつけようとして、やめた。通話を切ってスマホを投げ出す。
昔は固定電話だったから、叩きつければ電話は切れていたのだが。
そんなことを考えていると、ノック音がした。
「はいりたまえ。」
坂本だった。
「例の芦田部長への書類ですが、返答をもらってきました。」
ご苦労、と書類を受け取る。
「あの、ちょっといいですか?」
「…なんだね。」
「本当にあの台本で行くんでしょうか。」
「何を言い出すんだ?今更変えたりはしないぞ。」
「…わかりました。」
坂本が去った後、タバコをふかした。大学生の頃にはじめて、一時期禁煙していたのだが、最近になってまたぶり返している。
人の心は計れない。だからこそ、こちらが強く、聡くならなければ周りを束ねるリーダーにはなれない。それが真島の持論だった。
だが、それは今、崩れ始めている。もう誰も、信用できないのだ。金で買った関係はいつ崩れかもわからない代物だ。
そんなことを考えていたら、タバコさえも恐ろしくなった。もしかしたら毒が入っているかもしれない。
大きなため息をつき、まぶたをおろした。

《稀代の推理ショー!!探偵VS探偵!!福島探偵を、新探偵が裁く!空前絶後の、極上ミステリを見逃すな!配信開始は13時〜….》
「明日の13時か… 。」
宇治川は警察庁公式アカウントの投稿を見ながらつぶやいた。
根岸と岩村は、今都内の地図を見ながら、舞の行方を追っている。
昨日、発信器の消えた場所に行くと、既に誰もいなかった。ダミーの発信器が落ちていたが、指紋は検出されなかった。
舞を乗せた車がどこに消えたのかは定かではないが、少なくとも石田の車から別の車に移動した可能性が高い。
「でも、絶対宇治川さんに復讐に来ると思うんですよ。こういう系のミステリって。」
「そうだねえ。必ず目の前に現れるはずだねえ。」
根岸の言葉に岩村が同調した。
健太は今、事務所の仮眠室で眠っている。あれからいちどは起きたものの、姉と福島の不在に気づき、泣き喚いた後、疲れて眠ってしまった。
美子は今日の飛行機でこちらに向かっているとのことで、明日の朝には事務所にやってくるという。
「なにはともあれ、あーしはたっちゃんを助けに行かなきゃね。探偵寸劇、あ、推理ショーはどこでやるの」
「恐らくテレビ局だろうな。スタジオを丸々借りていると聞いた。」
「どのテレビ局?」
「宝島テレビだ。」
「宝テレか。知り合いもけっこういるし、なんとかなるかもね。」
「そういえば、松野くんはどうなったの?」
岩村の質問に、根岸は嬉々として答えた。
「説教10時間コースだそうです。」
「お気の毒に…」
「いい薬ですよ」
そう言うと根岸は、スマホで宝テレの関係者の連絡先を探し始めた。

お願いしまーす、と挨拶をしながら、スタッフが流れ込んでくる。
いよいよ来てしまった。
坂本にとって、今日はとても長い1日になるに違いなかった。
あと1時間で配信が始まる。九州の家族も、みんな見るだろう。晴れ舞台だ。
…だが、坂本は内心穏やかではなかった。
そのとき、真島を先頭に、大量の警察官とともに、福島武雄がスタジオに入ってきた。
福島はそのまま控室へと向かう。
思わずあとを追った。控室のドアの前で、何気なく耳を傾けた。
「気分はどうだ。福島くん。」
「最高です、真島さん。」
「最高?それは驚きだな。君はこれから、1億人以上の観衆からそしりを受けることになる。」
「構いません。真島さん、あんたはなにか勘違いしてますよ。僕の地位だとか名誉だとか、そんなものはどうだっていいんだ。僕がここで沈もうと、僕は真島さんが一生かけても得られないものを守れる。」
「マスコット風情が、語るんじゃないぞ。」
「すみません、でも、僕が守りたいものは、ここにはないです。」
坂本は、胸が張り裂けそうだった。
出世。そのために友を切った。小さい頃からずっと変わらず続けてきたことだ。県内有数の公立高校に進学した年の正月の、親戚の目線は気持ちのいいものだった。
これからも、落ちないように、落ちないように、この道を辿っていく。そう思って生きてきた。
だが──。どうやら、家族の、親戚の、大衆の反応など、どうだっていいようだ。本当に信用される人物は、誰かのために動ける人だ。
本当の信頼は、誰にも盗めない──。
自分の控室に引き返し、坂本は意を決してカバンを開けた。

根岸はメイクとしてスタジオに潜入していた。ツテを使って、宝テレ内に入れてもらったのだ。
福島の控室にはいり、メイクをするフリをしながら、囁く。
「たっちゃん私だ。いいか、宝テレの地下駐車場に岩村さんのパトカーが停まってる。配信が終わり次第逃げ出して、エレベーターで地下駐車場まで行くんだ。OK?」
「了解です。」
「それから、健太くんは無事だ。OK?」
「…ありがとうございます。じゃ、またあとで。」
根岸が去った後、武雄はスタジオに連れて行かれた。
入ってくるときは気が付かなかったが、そこには巨大なセットが組まれていた。豪華な洋館のようだ。
「New司法取引によって生じた不都合並びに台本に意義を唱えることなく、従うことで、減刑することができます。New司法取引を所望しますか?」
弁護士に渡されたペンで、サインする。
警察官は画角の外に消え、ついに配信が始まった。

「皆さんこんにちは、えっっと、私は、新探偵の、坂本ワタルと申します!」
配信の視聴者数は既に100万人を突破しており、コメントも流れつづけている。
坂本は福島の方を向いた。コメントには、武雄に対する罵詈雑言が溢れかえっている。
「あなたの罪を暴きます。」
武雄もまた、坂本を見る。
「福島さん….あなたは、反社会勢力との関わりなどない、そうですね?」
武雄が困惑の顔を見せ、空気が凍った。一瞬とまったコメントは、次の瞬間困惑と怒りで埋め尽くされた。
真島が立ち上がり、怒りの形相で坂本を睨む。
「おい、配信を終了させろ。」
だがスタッフは動かなかった。
「おいお前ら、なにをやってるんだ!!!」
「我々は続きを全国民に知らせるべきだと思います。」
スタッフのひとりが言った。
そうこうしているうちに、坂本は喋りだした。
「この音声を聞いて下さい。」
坂本は、録音機を取り出した。
「おい、なんの真似だ、おい!」
「先程から画面外で叫んでいるのは、警察庁幹部、真島秀一氏です。月刊スカーレットで特集が組まれていたので、見知っている方も多いと思います。」
「今から流すのはその真島氏と、月刊スカーレットの編集長の会話の録音です!」
真島は引きつった顔で坂本を睨む。だが、有無を言わさず坂本はスイッチを押した。
『今週の『月刊スカーレット』、読んだがあれはなんだ?挑発のつもりか?』
『真島秀一の順風満帆な人生。なかなか気に入ってもらえる記事だと思ったんですがね。』
『ふざけるなよ。あることないこと書きやがって。』
『それはそっちでしょうよ。こっちはこれだけのお金をもらわないと、ってちゃんとこの間伝えたじゃないですか。』
『….わかった。わかったから、しばらく警察関係の記事は書くな。』
『統制ですか??困りますよ、そんなの。我々はあなたが、福島探偵を貶める嘘のスキャンダル記事を書けと言われて、仕方なく書いてるんですよ?』
『わかった。金は送金するから。もう切るぞ。』
録音機が喋りきって、坂本は再び福島に向き直った。
「すべては策謀だったんです!新探偵の後ろ盾になった者が次のイニシアチブをとる。だから、福島探偵をスキャンダルで貶めて、この私を新探偵として推薦したんです。」
真島は、ついに画角の中に入ってきた。
「貴様、後悔するぞ…!いいんだな?お前はもう、探偵でもなんでもないぞ!」
「もういいです。僕からしたら、真島さんのほうが滑稽に見えましたよ。誰かの足跡を踏み外さないようになぞるだけで、まるでピエロだ。」
そのひとことで、真島は激昂した。
「坂本!」
「福島探偵!行ってください!守るべきものの所へ!」
武雄は虚をつかれた顔をしたが、すぐにニコッと笑って、
「ありがとう!」
そう言うと、武雄はスタジオを飛び出した。

「追え!追え!」
真島に指示された石田たちが走り出した。それに合わせて、真島はカメラを次々に叩き壊した。配信は強制終了し、火花が散った。
「貴様ら全員私への反逆か!ああ!?」
スタッフ全員に怒号を浴びせる。
「我々はあなたよりも、福島探偵を信じています。」
…嘘だ。信用など、信頼など、簡単に崩れ去るのだ。なぜこいつらは、それでも信じているのだ。
「今すぐ全員出ていけ。…そして!こいつはここに縛り上げてろ。」
真島の指示で、真島の部下が坂本に手錠をかけて、セットの机の足につなげた。
「見張ってろ。」
そう言うと、真島はスタジオをあとにした。
直後、電話がなった。警視総監、光堂だ。
『どういうことかね。』
「光堂警視総監、これは大いなる陰謀です!私ははめられたのです!」
『…どうせ負けるなら、もっときれいに去れ。見損なったぞ。』
電話が切れた。明らかに、受話器を叩きつける音がした。
負け方だと?そんなもの知らない。この私は、これまでもずっと、勝ち続けてきたんだ…!
…そうだ、怪盗。やつに連絡して、指示を仰ごう。メールを開いていると、通話がかかってきた。佐野篤郎だ。
終わった。今いちばん喋りたくない相手だ。
「はい、真島です。」
『…ずいぶんと憔悴してるわね。』
「は?」
それは、佐野の妻の声だった。
『最後まで気づかなかったわね。

私が怪盗よ。』

詩織は真島と会話しながら、「会議室」を出た。
「毒ガスの入手は簡単だったわ。宝島製薬って会社があるもの。月刊スカーレットは宝島出版。宝島テレビに、宝島自動車。宝島グループの代表の妻ってだけで、何でも手に入る。そう、なんでも。」
『毒ガスだと!?』
「そう。今、会議室でみんな死んでるわ。夫も、役員連中も、系列会社の社長どもも。仲良く毒ガスでくたばった。」
『あんたがやったのか。』
「アタリマエのことを聞かないで。篤郎さんはね、私のこと愛してくれてたから、どこに行くにもいっしょ。だから寝首をかきやすい。」
『わざわざ警察の俺に言った理由はなんだ。』
「ふっ..もうあなたは必要ない。舞を手に入れるために必要だっただけよ。」
『ふざけるなよ!』
「ふざけてないわよ。それにもう一つ、私はね、悟が作ったものはぜんぶ奪うって決めたの。探偵ブランドをやすやすとあなたに渡すと思った?残念。あなたが立ち上げた新探偵ブランドは、宝島グループの経営陣全員死亡により頓挫。まあでも、なんだか新探偵ちゃんが頑張ってくれたみたいだけど?」
『私を嵌めて、ただで済むと…』
「嵌めた?あなたこそ冗談言わないでよ。私とあなたを対等な存在だと思わないでちょうだい。私はこのミステリの作家で、あなたは登場人物にすぎない。私の筋書き通りに、あなたはこのまま終る。運命みたいなものよ。嵌めるだとか、そういう話じゃ、そもそも、ないの。」
『くっ..』
「あらごめんなさい。あなたにかけてあげるべき言葉はこんなんじゃないわね。…よく頑張ったわね!すごいわ!あなたならやれると信じてた!さすが真島秀一ね!」
通話を切った。会議室に篤郎のスマホを投げ入れると、ドアをしめて、部屋を出る。
階段をゆっくりと降りながら、詩織は高揚していた。
これで探偵ブランドはおしまい。あとは…
スマホを取り出し、画面に映る家族を見る。
宇治川美子と、宇治川健太。
宇治川悟がそうしたように、私も全てを奪う。
階段を降りきると、駐車場にでた。そこに停まっている黒いバンに乗り込む。バンには「宝島自動車」と印字されていた。
バンの後部車両で眠っているのは舞だ。
頬を優しく撫でる。
「今度はちゃんと、あなたもいっしょにね。」
微笑みながら声をかける。ナビに住所を打ち込んだ。
目的地は、「福島探偵事務所」。

走る武雄を石田達が追う。エレベーターに飛び乗り、「閉」ボタンを連打するが、なかなか閉まらない。すんでのところで、石田がエレベーター内に入り込んできた。
お互い息を切らしながら、向かい合う。
「石井さん。悪いですけど、僕はいかなきゃなんで。」
「ふざけんなよ。俺の出世を邪魔しやがって。お前の墓標はここだ。…..そしてな。俺は石田だ!」
激しい殴り合いだった。狭いエレベーター内で石田と武雄が戦う。
ガラス張りの壁に顔を押さえつけられる。キュキュっと擦れる音がして、頬に激痛が走る。
「うおおおお!」
顔を掴んで足をはらう。
「この…福島…!」
抵抗する石田を掴み上げ、壁に打ち付ける。「4」ボタンを押し、開いたドアの向こうに石田を投げ飛ばした。
石田が再び立ち上がった時、既にドアはしまった後だった。

坂本は、俯きながら、笑っていた。
これでいいのだ。正しいと思えることをした。間違っていない。はずだ。
その時、スタジオにひとりの警察が入ってきた。
「代わります。」
そう言って坂本の横にたつ。真島の部下は一礼して、スタジオの外に消えた。
「よう。坂本。」
その声に、坂本は聞き覚えがあった。
「柳…!」
「見たぞ。配信。」
なにか言いたいが、なにも口から出てこない。
そのとき、柳がかがんで、坂本の手錠を外した。
「で、次はどうするんだ?坂本探偵。」
言いようもない感情が込み上がってきた。
「柳…ごめん、俺…!」
「いいから行くぞ、ほら!」
2人はスタジオを飛び出した。

地下1階に到着した武雄は、岩村のパトカーを見つけると、頬から流れる血を拭いながら走った。
だが、角を曲がったところで、タックルを受けた。真島だ。
「やってくれたな。ああ!?」
目は虚ろで、シャツははだけている。ひとしきり発狂したようだ。
「お前が、お前の!せいで!」
何度も殴られる。この目は、人を殺してしまう。
そのとき、後ろから岩村が真島の腰を掴んで転ばせた。ついで、根岸が現れて、手錠を腕にかけた。
「いちどやってみたかった!いちどやってみたかった!!」
助かった。
興奮する根岸を引っ張って、というより岩村に支えられながら、パトカーに乗った。
「おいおい、こりゃひどいよ。むちゃしたねたっちゃん。」
根岸に介抱されながら、パトカーは発進した。だが、出口付近で、行く手を石田と刑事たちがふさいだ。
「あいつら、追いついてきやがった..!」
「福島!出てこい!」
そのとき、激昂する石田に、坂本が飛びかかった。後ろからやってきた柳が、他の刑事と応戦する。
「福島探偵!行って!!」
そうして、ようやくパトカーは宝テレを脱出した。
「岩村さん、それで、舞ちゃんの居場所は掴めたんですか?」
「それがね、発信器が微量の電波を発してたんだよ。で、それを昨日丸一日辿ってたんだけど…」
「だけど?」
「いま、探偵事務所にいる…。」
岩村さんのいつもの間延びした声ではなかった。
根岸は岩村との会話を思い返していた。

「でも、絶対宇治川さんに復讐に来ると思うんですよ。こういう系のミステリって。」
「そうだねえ。必ず目の前に現れるはずだねえ。」

「舞、起きなさい。」
その声で、舞はふと目を覚ました。あの衝撃から、ずっと眠っていたのだろうか?
運転席から、詩織が身を乗り出してこちらを見ている。
明るい場所で見て、はじめて、詩織の顔を見た。
かつての母の末路。
「舞。ぜんぶもとに戻してあげる。降りなさい。」
ここは──まさか。
「降りなさい!!!」
怒鳴られ、萎縮しながらも、舞は必死に声を出した。
「…お母さん、もうやめようよ。もう…」
「うるさい!」
「あなたのせいで….あなたのおかげで…」
愛憎にまみれた文言を口にしながら、詩織は舞をバンから引きずりおろした。
「私は全部手に入れる。かつての生活をね。あなたも愛しいでしょう!悟と私、そしてあなた。他の邪魔者はいらないの。」
その声は、今までで聞いたあらゆる人間の声の中で、いちばんどす黒く、同時にいちばん舞が求めていたものだった。

「健太!健太!」
美子の声で、健太は目を覚ました。
「…お母さん?」
言うやいなや美子は健太に抱きついた。
「もう離さないわ。ごめんね、ひとりにして。」
そして宇治川のほうに向き直った。
「帰るわ。飛行機を出して。」
「…ちょっと待てよ。まだ舞が…」
「いい加減にして。」
美子は眉間にシワを寄せた。
「私にとって健太はなによりも大事なの。わかった?わかったなら早くして。」
なによりも、か。
宇治川は天をあおいだ。
結局私は、しょうもない欲求をこじらせていただけのアホだったということか。
自分を愛してくれないと、どうも冷めてしまう。
「…健太は俺の息子だ。….でも、ここにいたら危険だ。すぐに飛行機を用意するから、空港に向かうんだ。」
「?わかったならいいわよ。」
だが、もう間違えない。私は──。
そのときだった。
美子の顔がみるみる凍りついていった。
視線の先には──

「…….詩織。」
そこに立っていたのは、黒い亡霊だった。その後ろには、舞の姿があった。
「悟。ずっとこの日を心待ちにしてた。この日のために、好きでもない男に尻尾をふったの。」
「さがれ詩織。まずは落ち着くんだ。」
「ねえ悟?あなた、なにか勘違いしてるみたいだけど。私は家族みんな愛してた。舞も、そしてあなたも。」
寝耳に水だった。
「…そんなバカな。君は、娘のために私にすり寄ってきたのでは…」
恍惚とした表情で、詩織は続ける。
「初めてキャバクラで会った日から、あなたのことが大好きだった。お店の営業のことなんて忘れて、ぜんぶあなたに尽くしたの。でも、あなたは来なくなっちゃった。」
詩織の目が見開かれていく。
「すぐにあなたを探したわ。そして見つけた。でも、今の私じゃあなたはまた去ってしまう。だからステータスを身につけることにしたの。」
「夫と死別して女手ひとつで娘を育てる凛々しい女。こういう設定なら、あなたも営業じゃないって分かってくれるって思ったの。」
宇治川はなんども首を横にふった
「まて、何を言ってるんだ?」
「客の中から、適当に選んだ男と子供を作った。これよ。」
詩織は舞の髪を掴んで前に出した。
「そして結婚して、すぐに夫を線路に突き飛ばしたの。端から見れば私は哀れな未亡人な女。娘まで抱えちゃってさあ。」
顔をときおり、くしゃくしゃに歪めながら、詩織は淡々と喋る。
「そして満を持してあなたと会った。頑張って喋ったわ。だってあなたのことが大好きだから。結婚して、幸せだった。3人家族。私がずっと望んでたもの。」
徐々に詩織の目のトーンが落ちてゆく。
「でもあなたは裏切った。しかもあろうことか、あなたはそこにいる女に舞を預けて、そしてこう言った。『舞は私が連れて行く。恨むのなら、私のためでなく舞のために結婚を選んだ、君自身を恨むんだな。』」
美子が信じられないという顔で宇治川を見た。
「私は出会ったあの日からあなただけを追い求めてきたのに。家族という物語を構成するひとつは、絶対にあなたでなくちゃならなかった。なのにあなたは私の元から2度も去ってしまった。」
「仕方ないから、私も一肌脱いだの。もういちど、適当な客を夫にして、その裏であなたからすべてを奪う。楽しかったなあ。あなたは《怪盗》に惑わされてすべてを失って、そしてなにもかも失ったあなたを、私は優しく包み込むの。今度こそ、一生添い遂げる。私とあなた、そして舞の3人家族。どんな物より切れない絆。でもあなたは逃げちゃうから。」
ゆっくりと、詩織がこちらに近づいてきた。
「一生消えない首輪をつけてあげる。」
その目は、美子と健太に向いていた。

ドアを蹴破り、武雄が事務所の中に入った。
後ろから根岸と岩村さんが続く。
今まさに、詩織が美子と健太に襲いかかろうとしている瞬間だった。
「詩織さん!ストップ!」
武雄の声に、詩織が振り返る。
「あなたは…ああ、探偵か。まだいたの?」
冷酷な声は、そう簡単に跳ね除けられそうもない。
「僕は《探偵》で、あなたは《怪盗》。あなたの罪を暴きます。」
「ふざけないで。あなたは偽りの探偵でしょ?そういう役割なの。これ以上私の物語に干渉しないで。」
「..役割とか、そんなに大事ですか?」
詩織は当惑した顔でこちらを向いた。
「家族って、もっと柔軟だと思うんです。母親、父親、妻、夫、息子、娘、兄、姉、弟、妹、こんなのはただの見てくれで、ホントに大事なのは、お互いに信頼し会える関係なんじゃないですか?」
武雄は、舞を抱き寄せた。
「この子は、あなたの道具じゃない。あなたの家族という物語を構成する娘役じゃ断じてない!」
「あなたに何がわかるの?離しなさい!その子から今すぐ!その手を!」
「絆っていうのは、恐怖で支配することじゃないですよ。もっと抽象的で、もっと愛にあふれたものだ。」
「あなたは違うわよね?舞。あなたはお母さんのこと、ちゃんと分かってくれるわよね?お母さん、人の愛し方がちょっとおかしいから。でも、ちゃんと舞のこと、愛してるわよね?」
舞は、すこし遠慮がちに、それでも大きな声で言った。
「….お母さんにずっと会いたかった。でもそれと同じくらい..怖かった。」
詩織の中で、なにかが音を立てて崩れた。
「…だめだわ。今度は舞なのね。わかった。舞の大事な物ぜんぶ奪うわよ。それでいい?」
「お母さん。」
「ほんとに聞き分けのない子ね。いい?あなたは私のとなりで、ニコニコ笑ってればそれで」
「お母さん!」

「それは、愛じゃないよ。」
絶望に彩られた詩織の目には、もうなにも写っていなかった。

「詩織。すまなかった。私のせいだ。すべて私のせいだ。君の人生を奪ってしまったこと、心から詫びたい。すまなかった。」
宇治川の声はもう詩織には届いていなかった。
「…お願いだから。お願いだから私を愛してると言ってよ。
くれないから、欲しくなるんじゃない。」
詩織は大粒の涙を流した。
武雄から見れば、詩織もまた、被害者だ。宇治川という男によって狂わされたひとりの女性。もしかしたら、彼女は元から狂っていたのかもしれない。だがそれでも、トリガーを引いたのは宇治川だ。
ひとしきり泣いた彼女は、すくっと立ち上がった。
「…私も探偵になりたかったなあ。」
そう言うと彼女はバタリと倒れた。宇治川が駆け寄る。宇治川の脳裏には、たくさんの探偵小説を抱え、楽しそうに笑う、かつての詩織の姿が浮かんでいた。

「お姉ちゃん!」
健太が駆け寄ってきた。
「探偵さんも!!!」
新幹線で離れ離れになってから、久しぶりの全員集合だった。正確には、廃工場で揃ってはいるが、あのとき健太は眠っていた。
「2人とも、よかった、よかった。」
思わず涙が溢れてきた。やりきったのだ。守りきった。自分の命よりも大切なものを。
「健くん。お姉ちゃんを大事にね。」
舞がハッとしてこっちを向く。武雄は静かに頷いた。
根岸も泣いていた。思わずティッシュを渡す。それでもおいおい泣いていた。
すべて、おわったのだ。
家族という呪いは、食い止められた。

《エピローグ》
10年後。
「…警察学校を卒業する諸君。おめでとう。」
来賓として招かれていたのは、福島武雄。10年前の警察庁幹部汚職事件の被害者であり、探偵ブランド終焉に立ち会った最後の探偵である。
その後の10年ですこしずつ汚名はそそがれ、ようやく今日、表舞台に立った。
「諸君らの中には、進むべき道が見えていない者もいるだろう。そんな時こそ、信頼できる仲間を頼ることだ。それは友人であり、家族であり、例え日本中が敵になっても味方でいてくれるような、愛に溢れた同士だ。」
「君たちの行く末が輝かしいものであることを、心から願ってやまない。」
晴天の中、卒業式を終え生徒が警察学校からぞろぞろと出て来た。
そして、その中に宇治川舞の姿をみとめた。
「やあ舞ちゃん。」
「武雄さん、どうも!いい祝辞でしたよ!」
敬礼をしあって、そのまま車に乗った。後部座席には、今年から高校に入る健太がいる。
「ふたりとも久しぶりだね。随分大きくなったなあ。」
「なんか、昔みたいじゃねえ?」
「なによその言い草」
舞と健太が笑い合う。
根岸マオと松野健介は、その後、日本映画界の一翼を担う名コンビとなり、今はハリウッドに挑戦している。
岩村さんは、定年退職後は故郷のだだっ広い土地で愛車を乗り回しているとのこと。
宇治川と美子は、鹿児島でひっそりと暮らしている。宇治川は毎月、東京の刑務所に面会に出向いている。詩織は面会を拒否しているが、これからも死ぬまで通い詰めるとのことだ。
坂本と柳はその後復職し、現在も警察官として勤務している。
真島や石田を始めとした面々は、現在も多くの裁判を抱えながら、服役中である。
3人の乗った車は東京駅を通り過ぎた。
「それで?舞ちゃんの希望は?」
「ストーカー被害にあってる人を、ひとりでも多く救う。」
神妙な面持ちで答える舞が、すこしおかしくて、でもとても嬉しかった。
日が差し込む中、車は都市高に突入した。これからふたりを空港まで送っていくのだ。
「ライングループの名前、変えようぜ」
「健太が決めなよ。」
「ええーじゃあ、、、、ホーム'ズとかは?」
「はは、なにそれ。家達?」
「家族たち!」
小さな笑いは、大都市の中に消えていった。

Fin.

《おまけ》
「宇治川巡査、この書類、整理しといて。」
書類を受け取った舞は、腕をまくってひとつひとつに目を通し始めた。
──これ。
《当初は凶器は判明していなかったが、捜査の結果、凶器はボールペンであったことが判明した。動機は、加害者が秘密裏に屋根裏で飼っていた犬を被害者が屠殺したことによる。》
これ、あの寸劇のやつじゃん。
舞はあの日の会話を思い出していた。

「おかしいでしょボールペンとか。犬の話も意味不明だし」
「ふふふ。そいつはどうかな。私は結構先見の明があるんだよ。」
「だってこれ実際の事件を脚色してるんでしょ」
「事実は小説よりも奇なりっていうじゃろ?」

舞は狐に包まれたような思いで、また書類を整理し始めた。

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《あとがき》

僕が最初にかいた小説は、「脅し屋」です。続編もあり、これらは「ホームズ」シリーズと同じく、警察を舞台に繰り広げられます。
僕は、そう簡単に世界は変わらないし、やがてシステムは邪魔者を排除していくようにできている、そういう考えのもとで「脅し屋」シリーズを書きました。が、そのせいで救いのないバッドエンドとなってしまったのです。

世界は変わらないとしても、人ひとりは変わるのではないか?
そういう思いから、「ホームズ」は生まれました。
終盤の推理ショーのシーンで、あえてコメントの
描写を少なくしました。なぜなら、ひとつの告発で大衆が味方につくなんて、絵空事だからです。

と、いうわけで、「ホームズ」では、「脅し屋」でスポットライトを当てた部分の延長線上をテーマに、「信じること」と、「未来への不安」そして、「家族とはなにか」という、
もうすぐ大学に入学する僕の内面も投影された3つのテーマを、融合させた群像劇です。
意中の子とのデートプランをかんがえているときに、どうしても自分の思う通りに喋らせてしまうように、人は、どうしても自分の理想を追い求めてしまいます。でも、現実では上下左右に縦横無尽に駆け巡る、人間の感情や事情が、イレギュラーな事態を引き起こすのです。

横を向いたら、信頼できる仲間がいる。みんなで、予測不可能な未来に飛び込んでいく。そうすれば、なんだかんだで、分かれた川の流れもまたひとつに戻る、んじゃないでしょうか!

僕は青二才で、未熟です。社会をろくに知らないから、もしかしたら10年先、考えが変わっているかもしれません。
それでも僕は、これから10年を、とりあえず、この考えを武器に戦ってみたいのです。

《小ネタ》
ちなみに、本作に登場する、松野健介は、「続・脅し屋」のラストで名前だけ登場します。
脅し屋とホームズの世界はパラレルなので、同一人物ではありませんが、今後書く小説全部に、ささやかでも、こいつを登場させるのも面白いかもなあと思ってます。

↓ホームズシリーズの連作版はこちら。


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