【短編集】羅生街 五丁目 〜歯車坂
<あらすじ>
マッチングアプリで「売れそうな女」を探し、組織へ引き渡す——それが馬場の稼業だった。三件目の獲物モエカと初めて会う約束の夜、記録的な雪の降る歯車坂で、彼は見てしまう。雇い主の中本が、雪の中で処刑される瞬間を。
逃げ惑う馬場のスマホに、モエカからのLINEが届く。『今、何が見える? 心配だから、返事、止めないでね』——そして画面に浮かぶ、『見つけたよ』の四文字。
ここは羅生街。新旧の地図がどうしても重ならず、ときどき「いたはずの人」が最初からいなかったことになる街。舌の奥に鉄の味が立つとき、歯車はまた噛み合い、誰かを雪の底へ沈めていく。
<本編>
クロノスの歯車
滅多に雪の降らないこの街に、今夜は記録的な雪が、絶え間なく舞い落ちていた。俺は傘を雪風に傾けながら、ラブホテル街の坂道を滑らないよう慎重に登っていた。
坂の入口には、古い石標が半分埋もれて立っていた。何かが刻まれているが、摩耗してもう読めない。ただ、円の中に刻み目が並んだ意匠だけが、かろうじて判別できた。歯車、だろうか。坂の名の由来かもしれない。俺は一瞥して、通り過ぎた。
坂の下、羅生通りの喧騒は雪に掻き消され、街は不気味な静寂に沈んでいた。左右に並ぶラブホテルのネオンが、降りしきる白に光を滲ませ、輪郭を曖昧にしている。坂の中ほどで、〈オランピア〉の赤い文字だけが、雪越しにぼんやりと灯っていた。
ポケットの奥で震え続けていたスマホを取り出す。マッチングアプリで知り合ったばかりのモエカからのLINEだった。
モエカ:『ごめんなさい。帰り際、仕事押し付けられちゃって遅れます』
モエカとはメッセージだけの関係だが、今日は初めて顔を合わせる約束だった。赤いニット帽が目印だと聞いていた。
俺:『例の“上司”の無茶振りですか?』
モエカ:『仕事でトラブルがあったみたいで』
俺:『“期待のホープ”は大変ですね(^^)』
モエカ:『もう立派な社畜です』
スタンプが添えられた軽いやりとり。俺は口元を緩めながら返信した。
俺:『さっき歯車坂に着いたんですが、どのくらいで到着しますか?』
モエカ:『多分あと一時間くらいだと思います』
俺:『了解です、時間気にしなくていいですから』
そう送ってから、俺はLINEの別トークを開いた。そこには、昨夜の「中本」とのやり取りが残っていた。
中本:『今夜は一人で来るのか?』
俺:『ええ、本人は「会うだけ」だと思ってます。歯車坂です』
中本:『わかった。車は二十分後。終わったら例の報酬、手渡す』
俺:『早めにお願いします、雪がやばいんで』
中本:『しくじるなよ。今夜は“買い手”もついてる』
俺:『了解です』
人身売買。俺が関わるのはこれが三件目だった。マッチングアプリで「売れそう」な女を探し、やりとりして警戒心を解いてから、中本の組織に引き渡す。俺の生活はこれで成り立っている。
スマホをポケットに戻した、そのときだった。坂の先、ネオンの向こうで異様な光景が見えた。
スーツの男が、膝をついていた。女の前で、うなだれている。女は前をはだけたロングコートからミニワンピースを覗かせ、傘も差さずに男を見下ろしていた。まるで処刑の儀式のようだった。思わずモエカにLINEを送る。
俺:『モエカさん……女に土下座させられてる男がいるんですけど』
モエカ:『マジで? ちょっと興味あるかも』
俺:『写真送りましょうか?』
軽いノリでスマホを構え、シャッターを切る。写真を確認しようとした瞬間、息が止まった。
女の手には、黒光りする拳銃が握られていた。
俺:『これ、マジでヤバい状況なのかも』
俺は慌てて、撮った写真を拡大する。そこに映っていた男の顔……腫れ上がったその顔を、俺は知っていた。
「……中本」
そう呟いた瞬間、女が銃口を中本の頭に向けた。
乾いた音が夜の静けさを引き裂き、血が雪に滲んでいく。
逃げなきゃ、と直感が叫ぶ。俺は傘を投げ捨てて走り出した。
横道に身を隠しながら、震える手でモエカにメッセージを送る。
俺:『今どこにいますか?』
モエカ:『歯車坂に来たんだけど、馬場さんこそ今どこにいるの?』
俺:『やばいの見ちゃった。中本が撃たれてた。撃ったのは女だった』
モエカ:『え……? 中本って、あの中本?』
一瞬、引っかかった。俺は中本の名字しか送っていない。だが、黒服の足音がそれを掻き消した。
俺:『ああ。で、あの女、今こっち見てたんだよ。黒服の男たちが追ってきて……』
モエカ:『わかった、私から警察に連絡する。場所送って』
位置情報を送信する。するとすぐ返信が来た。
モエカ:『ありがとう。今、迎えに行くから』
俺は一息つき、電子タバコを咥えた。先端の青いLEDが、暗がりに点る。が、次の瞬間、背中に衝撃。スマホを奪われ、黒服の男たちに押さえつけられる。
「手間かけさせんじゃねえよ」
男の声が耳元で低く響く。後頭部に鈍い衝撃——視界が、雪より白く飛んだ。
気づいた時には、倉庫のような部屋だった。手足はロープで縛られ、猿ぐつわを噛まされている。異臭に顔をしかめると、部屋の隅にブルーシートがあった。
端から革靴の爪先が覗いていた。雪道に不釣り合いな、あの磨き上げられた靴——中本のものだった。
鼻を突く血と、饐えたような臭い。昨夜までLINEしていた男が、もうただの「死体」になっている。
縛られたまま首だけで視線を巡らせると、少し離れた木箱の上に、俺のスマホが無造作に置かれていた。取り上げたくせに、壊しもせず、隠しもしない。その時は、それを幸運だと思った。
床には解体途中の棚の残骸が散らばっていた。身をよじって金属片を手繰り寄せる。押さえつけられたときに捻ったらしい足首が、動くたびに鈍く痛んだ。金属片でロープを切り、猿ぐつわを毟り取る。木箱のスマホを掴み、捻挫した足を引きずりながら裏口へ向かった。
錠は、かかっていなかった。誰ともすれ違わなかった。そのことを、深く考える余裕はなかった。
裏路地の暗がりで、画面を確かめる。モエカからのメッセージが届いていた。
モエカ:『警察と連絡取れたよ。もう少しで保護してくれるから、大人しくそこで待っていてね』
俺:『捕まって、今逃げ出してきた』
モエカ:『え、逃げたの?』
俺:『せっかく警察呼んでくれたのにごめん』
モエカ:『今、何が見える? 心配だから、返事、止めないでね』
その瞬間、画面に新しいメッセージ。
モエカ:『見つけたよ』
顔を上げる。
雪の中に、赤いニット帽が立っていた。傘も差さず、俺を見下ろしている。
「初めまして。モエカです」
女は微笑みもせず、スマホを奪い、LINEを閉じた。
その立ち姿に、見覚えがあった。どこで——思い出すより先に、脇腹へ蹴りが入る。
崩れ落ちると同時に、口の中に、鉄の味が滲んだ。
「許してくれ……頼む……」
膝に、雪が積もっていく。
「許す?」
女の表情は動かない。ゆっくりと、銃を構えた。
視界の隅で、半透明の歯車が、ゆっくりと回りはじめた。
どこかでシャッター音がした。中本を撮った時と、同じ音だ。
銃口の向こうで、俺の足跡が、もう白く埋まりはじめていた。
乾いた音が、雪を裂いた。
歯車坂。
街は、狩る者と狩られる者を区別しない。
歯車は今夜も噛み合い、誰かを、雪の底へ沈めていく。
<完>
【羅生街へのご案内】
①羅生街〜転入届
https://note.com/tenten2021/n/n538ff091b2fc
②羅生街 一丁目 〜 ヴィラ・テセウス
https://note.com/tenten2021/n/nca420e3ad3ac
③羅生街 二丁目 〜羅生神社
https://note.com/tenten2021/n/n90414b9a493f
④羅生街 三丁目 〜烏賊迷宮
https://note.com/tenten2021/n/n649a96ae6f76
⑤羅生街 四丁目 〜終の棲家インカローズ
https://note.com/tenten2021/n/n611c63dc24de
⑥羅生街 五丁目 〜歯車坂
⑦羅生街 六丁目~ゴンドラ公園
https://note.com/tenten2021/n/n698f89719cb0
