【短編集】羅生街〜転入届
<あらすじ>
羅生街(らしょうがい)。鎌倉の頃からの古い一角が、夕方になるとタワーマンションの影に沈む。新旧の地図を重ねても、どうしても合わない道がある。古い迷宮の上に、新しい暮らしが、薄い膜のように重なっている。
この街では、ときどき"いたはずの人"が、最初からいなかったことになる。消えるのではない。名前も、記憶も、痕跡も、はじめから無かったことになるのだ。そのたび、住人の舌の奥に、かすかな鉄の味が立つ。
一丁目、二丁目――そして、いくつかの欠番。番地をたどるように、この街に棲む者たちの怪異を綴る連作。読み終えた頃、あなたの暮らす街のすぐ隣にも、羅生街への角が、ぽっかりと口を開けているかもしれない。
<本編>
届出年月日 年 月 日
異動年月日 年 月 日
氏 名 【 】
ふりがな
生年月日 年 月 日
旧住所 ────────────────
新住所 羅生街 丁目 番
世帯主
続 柄
─────────────────────────
受付番号 第1804号 【受理】
受付年月日 年 月 日
取扱者氏名 ────────────────
ようこそ、羅生街(らしょうがい)へ。
お手元の用紙にご記入ください。氏名、旧住所、異動年月日。世帯主との続柄も、お忘れなく。
ご安心ください。難しい手続きではありません。誰もが、一度は通る道です。
旧住所は、空欄のままで結構です。
この街へ一歩足を踏み入れれば、旧住所など、もう意味を持ちません。それに、夕方、タワーマンションの大きな影がこの一角を呑み込む頃には、思い出せなくなります。 寒さより先に、世界の輪郭が薄れていく。ここは、そういう場所ですから。
舌の奥に、鉄の味がしませんか。
古井戸の底に澱んだ、時間の味。
最初は気のせいだと思うものです。けれど、この街では、それが目印になります。
誰かが一人いなくなるたび、その味は少しずつ濃くなるのです。
その机の上に載っている二枚の地図。新しい地図と古い地図を重ねると、どうしても重ならない道があります。古い墨の道は、いまの断崖を何事もなく横切り、更地になったはずの場所には、寺の印だけが残っている。
時折、地図にない非常階段を、見慣れぬ装束の影が音もなく駆け上がっていく。
橋の下では、人の形をしていないものが、幾重にも折り重なって流れていく日もあります。 けれど、長く住む者ほど、それを不思議がりません。この街では、それもまた、ありふれた景色です。
ひとつだけ、お伝えしておきます。
この街では、ときどき「いたはずの人」が、最初からいなかったことになります。
消えるわけではありません。
名前も、記憶も、痕跡も――最初から、なかったことになるのです。
それを口にした人を、私はもう何人も見送ってきました。
……いえ、よしましょう。
せっかくの初日ですから。
書類のいちばん下をご覧ください。
取扱者氏名の欄が、空いているでしょう。
――ええ。
そこは、私の欄です。
ずいぶん前に、書けなくなりました。
それでも私は、こうして毎日窓口に座り、判だけを押しています。
あなたの番号は、もう振られています。
第1804号。
受理も、とうに済んでいます。
手続きは、これで結構です。
どのような場所から迷い込まれたにせよ……
羅生街へ、ようこそ。
【羅生街へのご案内】
①羅生街〜転入届
②羅生街 一丁目 〜 ヴィラ・テセウス
https://note.com/tenten2021/n/nca420e3ad3ac
③羅生街 二丁目 〜羅生神社
https://note.com/tenten2021/n/n90414b9a493f
④羅生街 三丁目 〜烏賊迷宮
https://note.com/tenten2021/n/n649a96ae6f76
⑤羅生街 四丁目 〜終の棲家インカローズ
https://note.com/tenten2021/n/n611c63dc24de
⑥羅生街 五丁目 〜歯車坂
https://note.com/tenten2021/n/n0f7cef567f41
⑦羅生街 六丁目~ゴンドラ公園
https://note.com/tenten2021/n/n698f89719cb0
