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【短編集】羅生街 六丁目〜ゴンドラ公園

<あらすじ>

秋の彼岸にだけ光る蛍がいる――住宅街の外れ、ゴンドラ公園。「彼岸蛍の集い」に訪れた稗田一家。三歳の双子は、何にでも突っ込んでいく綾と、後ろからしか動けない麻衣。だがその夜、綾が虚ろな瞳で呟く。「蛍が、おいでって言ってる」。気づけば、賑わっていたはずの公園から、人の気配が消えていた。怯えて泣き叫ぶ綾に、麻衣が差し出した小さな手。そして闇の中から、それと鏡合わせのように差し出される、白い手――。十五年後の彼岸。遺された麻衣は夢の中で、再びあの手と向き合う。取れば、戻れない。取らなければ、二度と会えない。


<本編>

彼岸蛍

夕闇が迫る、秋の公園。空は濃い茜色から藍へとにじみ、雲の端を夕陽が朱に染めていた。住宅街の外れにあるゴンドラ公園では、今夜も「彼岸蛍の集い」がひっそりと開かれていた。
公園の名の由来だという色褪せた舟形の遊具が、誰も乗せないまま、宵闇に浮かんでいる。
入り口には、「故人を偲び、光を辿る」と記された手書きの案内が立っていた。その足元から奥へ、一面に咲く彼岸花が、秋風にかすかに揺れている。案内の下には、細かな字で由来が添えられていた。蛍は初夏に光を消すものだが、この地方には秋の彼岸の頃にだけ灯る「彼岸蛍」がいるのだという。
園内には、ぽつり、ぽつりと懐中電灯の灯りがともっていた。同じ集いに来たらしい家族連れが、二組、三組。子どもの笑い声が、暗がりの向こうから切れ切れに届く。
「ママ友の間で噂になってるの。最近、この辺の公園で迷子が続いてるって。子どもがふらっと消えちゃって、見つからないんだって」
チラシから顔を上げて、妻の美里がつぶやいた。
「蛍が子どもを連れてっちゃうんだよねー」
娘の綾が振り返って、いたずらっぽく笑った。どこで聞き覚えたのか、大人の噂を口真似する声だった。
宗馬は、また前を向いて駆けていく小さな背中を見ながら、苦笑した。三歳の双子、綾と麻衣。綾は父の手を振りほどくようにして、前のめりにずんずんと進んでいく。反対に、妻の腕に抱かれた麻衣は、まだ眠そうな顔でぐずっている。
「綾、引っ張らないの」
「だって蛍、逃げちゃうもん」
「逃げないってば……ほら、麻衣もそろそろ歩こうか」
美里がそっと地面に下ろすと、麻衣は無言で首を振り、母の腕にしがみついた。
「双子なのに、性格は真逆だよなあ」
宗馬が笑うと、美里も頷いた。
「綾は何にでも突っ込んでく。麻衣は、絶対に後ろからしか動かない」
「ねえ、どんぐり落ちてる!」
綾がしゃがみ込む。それを見た麻衣も、自然と地面に目を落とした。
「ほんとだー……」と、小さな声。
見れば、麻衣も母の腕から降り、綾の隣にしゃがみ込んでいた。
どんぐりに飽きたのか、綾はまた駆け出した。
「蛍、見に行こ!」
落ち葉をサクサクと踏みしめながら、綾が先へ進み、麻衣がその少し後ろを追っていく。
そして――綾が、ふいに立ち止まった。
「……あれ、なに?」
茂みの奥。小道の暗がりに、何かを見つけたように、綾が動かなくなる。
「どうした?」
声をかけて、宗馬はふと気づいた。
静かすぎる。
さっきまで前を行き交っていた懐中電灯の灯りが、どこにもなかった。切れ切れに聞こえていた子どもの笑い声も、いつの間にか絶えている。広くもない公園に、いま、自分たち四人しかいない。
――みんな、いつ帰ったんだ?
そんな宗馬の戸惑いをよそに、綾は、こちらを見もせずに首を振った。
「……ねえ、声がする」
綾の瞳は、遠い彼岸を見つめるように虚ろだった。続いて漏れた声も、もう三歳の娘のものではなかった。どこか、遠くの世界から響いてくるようだった。
「蛍が……『おいで』って言ってる」
宗馬のうなじの産毛が、そそけ立った。辺りはすでに夜闇に包まれ、街灯の届かない小道は深く沈んでいく。
「大丈夫だよ、パパが一緒だから」
宗馬は震える声で言った。だが、綾は宗馬の言葉にはまるで耳を貸さず、ただ、じっと暗がりを見つめながら呟いた。
「蛍が……来てって」
「ほら、行こうよ」
宗馬が綾の手を引こうとしたその瞬間、綾は激しく身体をよじらせて抵抗した。
「いや! 怖い! 帰る!」
その場で泣き出し、足をバタつかせる綾。麻衣も何かを感じたように、母の手をぎゅっと握りしめた。
「……何が見えたの?」
美里の問いに、綾はただ、か細い声で繰り返した。
「呼んでるの……蛍が、呼んでるの」
宗馬は綾を抱き上げ、美里と目を合わせた。言葉はなくとも、思いは同じだった。
「帰ろう。今日はもう、やめた方がいい」
その時、麻衣が静かに言った。
「綾ちゃん、いこう」
いつになく、はっきりとした口調だった。
「手、つないで」
麻衣が、小さな手を差し出す。
ふいに、腕の中で暴れていた綾が泣き止んだ。糸が切れたように、ぴたりと。
あ、と思う間もなかった。綾は宗馬の腕をするりと抜けて地面に降り立ち、一歩、二歩と光の方へ歩き出した。
茂みの奥で、青白い光がふくらんでいる。
闇の中から、白い手が差し出されていた。麻衣のそれと、鏡合わせのように。骨のように細く、冷たく、そしてぬるりと濡れているような手だった。
「綾ちゃん、だめ!」
宗馬と美里の叫びが、公園の暗がりに響いた。しかし誰の声も、綾には届かない。そのまま彼女は、薄い帳の向こうへ誘われるように、光の中へと消えていった。
あとには、彼岸花だけが月明かりに照らされ、揺れていた。
公園の奥で、誰も乗っていないブランコが、ひとつ、軋んだ。
気づけば――遠くで、家族連れの灯りがまたちらついている。子どもの笑い声が、何事もなかったように戻ってきていた。
舌の奥には、かすかな鉄の味が残っていた。

秋の彼岸。蝉の鳴き声も遠くなった、街外れの霊園。真新しい墓石の列に、一基だけ、ひどく古びた石が交じっている。
「稗田綾」
十五年前、彼岸蛍の夜に行方不明になった三歳の少女の名が、浅く刻まれている。
遺体は、ついに見つからなかった。それでも夫婦は、十年目の彼岸に小さな墓を建てた。――建ててからまだ五年のはずなのに、その石は、何十年も風雨に晒されたように老いていた。
「もう十五年か……また、お彼岸が来たか」
父の宗馬が、墓石に水をかけながら呟いた。隣では、十八歳になった麻衣が静かに手を合わせていた。
「ほんとに、似てたのかな……私たち」
「そりゃ、一卵性の双子だもんな。顔はそっくりだったよ」
「でも性格は逆だったんでしょ」
「そうだな。綾は前に出る子だった。麻衣は……」
「私はいつも、後ろをついていってた」
「ああ、そうだな」
「……でもね」
麻衣は墓石に、そっと手を重ねた。
「私、いつも見られてる気がするの。背中の向こうから、綾が笑ってる気がする」
父は何も言わず、ただ頷いた。
帰り道、麻衣は舌の奥に、錆びたような味を感じた。お彼岸が来るたび、いつもそうだった。
その夜。
麻衣は夢を見た。
ひどく懐かしい公園の、あの夜と同じ小道。舟形の遊具が、闇に浮かんでいる。ぼんやりと光る茂みの奥に、少女が立っていた。
見知らぬ子のはずなのに、その顔には見覚えがあった。――古いアルバムの中で笑っている、三歳の自分の顔だ。
「蛍だよ」
声がした。その声を、麻衣は知っていた。
光の中から、手が差し出された。十五年前と変わらない、小さな手。あの夜、自分が差し出したのと、鏡合わせの手。
手を取れば、きっと戻れない。取らなければ――もう二度と会えない。
麻衣は、その手を見つめた。月明かりに照らされた白い指先が、わずかに震えている。
夢だと、分かっていた。
麻衣は深く息を吸い込み、目を閉じた。
そして――手を伸ばした。
その瞬間、闇の向こうで、何かが微笑んだ。
麻衣の手の中で、温かいものが、とくりと脈打った。
<完>


【羅生街へのご案内】

①羅生街〜転入届
https://note.com/tenten2021/n/n538ff091b2fc

②羅生街 一丁目 〜 ヴィラ・テセウス
https://note.com/tenten2021/n/nca420e3ad3ac

③羅生街 二丁目 〜羅生神社
https://note.com/tenten2021/n/n90414b9a493f

④羅生街 三丁目 〜烏賊迷宮
https://note.com/tenten2021/n/n649a96ae6f76

⑤羅生街 四丁目 〜終の棲家インカローズ
https://note.com/tenten2021/n/n611c63dc24de

⑥羅生街 五丁目 〜歯車坂
https://note.com/tenten2021/n/n0f7cef567f41

⑦羅生街 六丁目〜ゴンドラ公園

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