死ぬまでに観たい世界遺産映画101《第4章:ヨーロッパ編①》
第4章:ヨーロッパ編①
39.ベルサイユのばら(吉村愛、2025)|ヴェルサイユ宮殿
テレビアニメシリーズや宝塚の舞台にもなった、池田理代子の名作漫画「ベルサイユのばら」は2025年に1本のアニメ映画として公開されました。本作はフランス革命にいたるまでの壮大な政治戦を描いた作品であり、どう考えても2時間に収まりそうにない内容だが、アニメならではの時短術を用いることで駆け足ながら丁寧に人物を描きこむことに成功しています。まず、最初の場面でアニメシリーズのオープニングを彷彿とさせるミュージカルシーンを挿入する。そこでは、本作に出てくる主要キャラクターが自分の個性をアピールする歌唱パートを受け持っており、また後に登場する場面の一部を提示する。これにより、本作がどのようなストーリーラインで進行するのか、注目すべき人物を把握することができる。そして、本編では疾風怒濤のごとくオスカルの物語が進行するのだが、20分に一度のペースで大局的な時代背景の説明が挿入される。また、回想でもって序盤に魅せたシーンの背景が深堀りされていく。そのためフランス史や「ベルサイユのばら」のことを知らなくても「さっき観た内容だ」と場面を思い出し、それにより興奮が高まっていく。その興奮がオスカルの苦悩へと結びつき、思わず涙する物語となっていました。
本作においてオスカルの人物描写が素晴らしい。通常この手の作品では、軍師ポジションは天才か狂人かで描かれる。しかし、彼女の場合、苦悩するひとりの人間として描かれています。最初は、国家のためにマリー・アントワネットを守る使命を持っていたオスカル。貴族社会の中だけしか知らず、わがままで傲慢な姫へと上り詰めていく彼女。一方、オスカルは市井の生活と触れる中で、マリー・アントワネットを守ることの本質にあたる「国家」が見えてくる。市民を守ることこそが重要だと考え、近衛隊に入ることとなる。彼女は守るべきものに尽くそうとする中で幾度も「知った気になっていたこと」を突き付けられ涙する。そして、もっと知るためにはどうすればよいのかと行動へ移していく。PDCAを回しながら成長していく過程を我々は知っている。なので、きれいごとに思える名言が逐一重厚なものとなってくるのです。
そして、映画はヴェルサイユ宮殿を見事にまで再現した豪華絢爛なバロック様式の空間を巧みに物語へ取り込んでいます。鏡の間における陽光がガラスを反射しそこを歩く者を神々しく魅せる様はもちろん、ヴェルサイユ宮殿庭園内にある離宮・小トリアノン宮殿にある愛の殿堂の扱いが情緒的なものとなっています。
息が詰まったマリー・アントワネットがお忍びで舞踏会へ遊びに行き、スウェーデンの伯爵ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンと恋に落ちる。マリー・アントワネットには夫のルイ16世がいる。ふたりは政治の世界から束の間の休息のために小トリアノン宮殿へ赴く。そこにある愛の殿堂にて彼はマリー・アントワネットの心が自分から離れてしまったことに気づかされます。ヴェルサイユ宮殿はバロック様式として知られているのだが、愛の殿堂は新古典主義建築となっています。ルイ16世の勤勉で保守的な態度を象徴した新古典主義に対して、バロック様式を象徴するような情緒的振る舞いをするマリー・アントワネット。断絶が顕在化する場所が《愛の殿堂》という皮肉もあり、観る者の心をザワつかせる場面となっていました。
40.ノートルダム 炎の大聖堂(Notre Dame on Fire、ジャン=ジャック・アノー、2022)|ノートルダム大聖堂(パリ)
世界遺産に登録されているパリのノートルダム大聖堂は、荘厳なファサードに、ゴシック建築を拡張させた複雑な構造が特徴的でパリを代表とする建造物。しかし、2019年に大規模な火災が発生。尖塔が崩落する事態となってしまいました。当時の火災の様子を時系列順に再現した映画が『ノートルダム 炎の大聖堂』です。
世界遺産に登録されると真正性を維持する必要がある。観光地になることで監視カメラやセンサーを配置する必要性が出てくるが、それを設置するには、外観に影響が出ないように行わなければならない。しかし、現代の技術であればそういった機材の存在を認知することなく歴史を感じることができる。本作はノートルダム大聖堂の舞台裏を捉える。センサーが反応する。職員たちはセンサーのメッセージ内容や大聖堂の地図を参考に、問題のある場所を特定して急行する。しかし問題を発見することができなかった。カメラは男の背後で煙が立ち上がっている様子を捉える。そしてパリ市民が少し離れた場所から煙を察知し困惑するショットが挿入される。複雑化したノートルダム大聖堂において問題は岡目八目、内部からは分からないものなのです。パリ市民の反応によって事態が最悪な方向に進んでいることが明らかになる。それを画の連続で表象する。ジャン=ジャック・アノーによる巧みな演出が冴え渡ります。
この作品は本事件の問題点をやや誇張ありで描いている。そのため、思わず「そうはならないだろう」とツッコミを入れたくなる場面も多い。たとえば、警備員が「緊急事態です、みなさん落ち着いて出口へ向かってください」と叫び、群衆が出口を目指すシーン。なぜか少女は大聖堂の中へと戻っていく。ぬいぐるみでも忘れたのかなと思うと祭壇の蝋燭に火を灯し、ヘアゴムをつけてお祈りを始めるのです。また、パリ市民は消防車の進行を積極的に妨害する。消防車の前に飛び出してきたり、消防車の後ろに捕まって一緒に移動しようとしたりする。状況に反してのんきな行動に思える場面がいくつかある。
これは恐らくパリ市民の自由さを悪意的に描いているのだろう。目の前で大惨事が起きない限りは個人主義で、自分の行動を優先するが、大惨事を前にすると団結するパリの肖像がここでも現れている。実際に、火災がニュースになり始めるとパリ市民は大聖堂を前に祈ったり歌ったり、口を開けて見つめている。この時のみ、事象が共有されるのです。
そして、本作は大惨事のみ共有され、細部ではてんでバラバラな市民が次々と引き起こすヒューマンエラーによる修羅場の連鎖をとことん描いており、それがノートルダム大聖堂の複雑さと絡み合って手汗握るパニックを生み出している。個人的に惹き込まれたのは、消防士が、尖塔を目指す場面。ひとりしか通れない幅の階段を登るも、途中で鍵が掛かった扉が現れる。世界遺産なので破壊もできない。昔ならではの鍵を複数差し込まないと開かず、専用のスタッフでないと解錠できない仕組みとなっている。狭い階段の中、消防士と壁との僅かな隙間を縫って、専門スタッフが扉の前へ移動し開けて去っていく様のリアルさ。事前に情報共有されていないが故の事態の困難さを何とか突破しようとする人間臭さが描かれた一本となっています。
41.星の旅人たち(The Way、エミリオ・エステベス、2010)|サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
ローマ、エルサレムと並ぶ三大巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラ。全長800キロもある巡礼路は世界遺産として登録されている。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、9世紀に聖ヤコブの墓が発見された噂が流れて以降、ヨーロッパから多くの巡礼者が訪れているのだが、現代では経歴も信仰も世代も異なる人々が交流しながら目指す場所にもなっている。このサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼をテーマとした作品が『星の旅人たち』です。
巡礼初日にピレネー山脈で嵐に巻き込まれて息子が亡くなる。遺灰を受け取りに、カミノ・フランセス(フランス人の道)の入り口であるサン=ジャン=ピエ=ド=ポルへやってきたトムは、この遺灰と共に巡礼することを決意する。旅の始まりに警察から小石を渡される。クルス・デ・フェロ(鉄の十字架)で役に立つと。クルス・デ・フェロは亡き者への祈りの場所として石を置く文化がある。巡礼各所で遺灰をまき弔おうとする、トムへの餞別として警察は小石を渡す。粋な計らいだろう。トムは小石と巡礼を象徴するホタテ貝を持ち冒険へと出発する。
果てしなき巡礼の旅は自分の人生を振り返る。それは孤独なようで孤独ではない。トムは道中でお調子者のオランダ人・ヨスト、現実逃避で旅するカナダ人・サラ、作家のジャックと出会い、共に歩むこととなる。巡礼をしなければ出会うはずのない、全く異なる性格、背景を持つ人たちとの交流は自分を見つめ直す刺激となる。一方で、巡礼の旅は心身共に高い負荷を与えるため、致命的な対立を生み出すこともある。それでも、旅で巻き起こる事件を通じて関係性は修復されていく。一期一会でありながら、まるで人生の縮図のような親密な関係性の変化は巡礼の神秘性をあますことなく伝えていく。
映画を観ていくと、巡礼者に対する異様な歓待の姿勢を目の当たりにする。トイレのため小さな宿屋へ入る。ハイテンションで巡礼手帳にスタンプを押して、食事や宿を捲し立てるような口調で提供しようとする。実に胡散臭い宿で、スタンプも非公式のものだったので、メンバーは隙を盗んで逃げだす。だが、この場面はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼における現地人の感覚を最も象徴した部分なのです。サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう者は、富める者だろうと貧しき者だろうと快く受け入れ宿を提供する必要がある。なぜならば、聖ヤコブだけでなくイエス・キリストを客として迎え入れることとなるから。この胡散臭い宿屋は、人が寄り付かない場所にある。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の伝統を知りつつも、客人としてのイエス・キリストを迎え入れるチャンスがなかったのです。だから、トム達が現れた時、目をキラキラさせながら招き入れたと解釈することができるのです。とはいえ、トイレは野外であり、人間としての間合いの取り方が独特すぎる宿主を不審に思い彼らは逃げ出すところに生々しい人間の心理が現れる。映画は、この行為を軸として「真の巡礼者とは何か?」を見つめていく。本来であれば、何も持たずに道すがら人が示す親切を受け入れ頂いた物を背負うべきだろう。だが、現代のもといトム達が行っている巡礼は、各拠点で贅沢にワインを嗜み、巡礼の知識をひけらかしているだけなのでは。それは巡礼者として傲慢なのではといった感情が付きまとい始めるのです。
世界遺産を舞台にした映画は数多くあれども、ここまで世界遺産を訪れる人の行動を内省的に見つめた作品は他にないだろう。
42.トゥ・ザ・ワンダー(To the Wonder、テレンス・マリック、2012)|モン・サン・ミシェル
『ツリー・オブ・ライフ』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したテレンス・マリック。彼は人間心理をマジックアワーで煌めく空間の中に投影しながら自問自答する映画を作るのに長けている。そんな彼がモン・サン・ミシェルを舞台とした恋愛映画を作った。
モン・サン・ミシェルにて作家志望の男ニールは、シングルマザーのマリーナと恋に落ちる。やがてアメリカの田舎町へ移り住むのだが、友だちのできない娘はフランスへの郷愁を募らせていく。また、マリーナとも倦怠期へ突入してしまう。
今となっては橋が架かり、容易に岩山へアクセスできるが、10世紀にノルマンディー公リシャール1世が岩山に修道院を創建した頃は、潮の満ち引きが激しく満潮時には孤島となりました。

※筆者撮影(2014年)
『トゥ・ザ・ワンダー』では、潮の満ち引きによって変化するモン・サン・ミシェルを恋愛における人間心理の変化に象徴させているのが興味深い。心理的に同じ空間にいる際は、孤島となっていようが恋情は滾っている。寧ろ、外部から閉ざされた中で生まれる親密な関係性は神聖なものを抱かせる。実際に、序盤にて回廊をニールとマリーナが巡っていく場面がある。この回廊は修道士の瞑想の場として使われました。
だが一度関係性が冷え込むと、陸地から見たモン・サン・ミシェルのように遥か遠くに感じる。美しい風景ではありつつも、内部の美しさに迫ることのできないもどかしさを外観から感じ取ることができるのです。モン・サン・ミシェルの登場シーンこそ多くはないものの、物語のコンセプトを司る存在としてインパクトがある一本といえよう。

※筆者撮影(2014年)

※筆者撮影(2014年)

※筆者撮影(2014年)
余談だが、筆者は2014年にモン・サン・ミシェルを訪れている。2014年はモン・サン・ミシェルにとって大きな変化の年であった。19世紀にモン・サン・ミシェルとアブランシュの街を結ぶため、大きな防波堤が築かれた。これにより、潮の流れが変化してしまい、岩山周囲の海面が上昇してしまった。そこで、かつての姿を取り戻しながら利便性も確保すべく、EU協力の下で大規模な工事が行われ、2014年7月に新しい橋が完成したのです。モン・サン・ミシェルといえば、満潮時の陸の孤島のイメージが強い。しかし、私が訪れた時は干潮時だったため、干上がった地面を歩いて岩山を目指す人も見かけました。
43.フランコフォニア ルーヴルの記憶(Francofonia、アレクサンドル・ソクーロフ、2015)|ルーヴル美術館
ロシア映画界の鬼才アレクサンドル・ソクーロフはルーヴル美術館に揺蕩う記憶を3つのパートに描いた『フランコフォニア ルーヴルの記憶』を製作しています。嵐に巻き込まれた美術品を運ぶ船との対話を描いた《現在》、ドイツ軍のパリ侵攻に伴い美術品を疎開させようとする時代の対話を描いた《1938年~1940年》、そして略奪した美術品の目線から語られる《時間の狭間》に映画は分かれています。
ソクーロフはビデオチャットで大嵐の中、美術品を運ぶ男と通信を取る。不安定な通信はやがて途絶えてしまう。彼は眠っているチェーホフの写真を提示し起きることはないと語り、そこからフッテージを構成してルーブルの歴史を語ろうとする。歴史を語るとはどういうことか?無数に並ぶ「過去」を並べて物語ることにある。「過去」を並べて語るとき、時空を越えることができる。映画は、時空を越える様子を画の質の変容でもって表現する。写真はもちろん、戦時中のフッテージ、そして再現ビデオが入り乱れる。戦時中では表現が難しかった高所をシームレスに動くカメラワークはドローンで演出される。現実にCGの戦闘機を登場させることで時を越えることができるのです。
彼は何をしようとしているのか?それは美術館に隠れてしまった権力や人の思惑を掘り起こそうとしている。戦乱の中、ドイツ人とフランス人が犬猿の仲ながらも美術品を保護する物語。美術館には無数の過去の断片が蓄積されているが、なぜそこにあるのかは素通りしてしまいがち。ソクーロフ監督は我々がなんとなく楽しんでいる美術館の空間から歴史を現出させることをしている。『エルミタージュ幻想』では、ワンカットで美術館に眠る歴史性を呼び覚ました。『フランコフォニア ルーヴルの記憶』では「過去」の断片を切り合わせ再構成することで歴史を語ろうとした。ビデオチャットで運ばれてくる美術品はまさしく運ばれてくる「過去」のメタファーであり、ソクーロフはユニークな手法で「過去」を運んだ。
『モレク神』でヒトラーを、『牡牛座 レーニンの肖像』でレーニンを、『太陽』で昭和天皇を描いてきたアレクサンドル・ソクーロフ。いずれの作品も歴史上の人物を「個」として描こうとしてきた。『エルミタージュ幻想』ではエルミタージュ美術館に眠る「過去」をワンカットで幻想的に描くことで地続きのものとして捉えた。『フランコフォニア ルーヴルの記憶』はルーヴル美術館にある展示物や過去を掘ることで歴史に埋もれた個人を描こうとした。ソクーロフのユニークな歴史観は、我々に新しい視点を与えてくれます。
44.世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶(Cave of Forgotten Dreams、ヴェルナー・ヘルツォーク、2012)|ショーヴェ・ポン・ダルク洞窟
19世紀頃まで、洞窟壁画の解釈は単なる娯楽でしか考えられていなかった。当時、芸術は裕福な生活の余暇から生まれてくると考えられており、厳しい原始的な生活の中から芸術が生まれてくるとは考えられなかったからです。そのため洞窟に描かれる写実的な動物表現に対し、「当時のヒトはこんな絵を描けるはずがない」と学者たちを驚かせた。
やがて、洞窟壁画に芸術的価値や考古学的価値が見出され研究が進むのだが、悲劇が起きてしまう。ヴェゼール渓谷にあるラスコー洞窟は先史学者コレージュ・ド・フランス教授が地下水層を空にしてしまった。この地下水による湿気は壁画保護に欠かせないものだったため劣化が進んだ。また、1948年に一般公開されて以降、多くの観光客がラスコー洞窟を訪れたため、洞窟内の炭酸ガスの濃度が上昇したことでカビが発生。壁画を保護するために洞窟は閉鎖された。
現在、ラスコー洞窟は一般公開されておらず、観光客はレプリカの洞窟を訪れることで先史時代の記憶へとアクセスしている。このようなケースはほかにもある。アルデシュ県にあるショーヴェ・ポン・ダルク洞窟もまたレプリカの洞窟を有している。ショーヴェ・ポン・ダルク洞窟は、3万年から3万2000年前のオーリニャック期に使われていたもので、1994年に発見されるまで落石によって塞がれていました。発見後は一般観光客向けにレプリカの洞窟や美術館を作り、先史時代の歴史を伝える場所として運営されている。250メートルある観光ルートには、既に陰影と遠近法を習得していた先史時代の芸術家による壁画のレプリカが描かれており、ツアーやヘッドセットによる音声ガイドにより(日本語にも対応している)、この洞窟が発見された1994年の興奮を体験できるものとなっている。しかしながら、本物を観たいのが人間のサガである。このような、人間の好奇心を叶える映画が存在します。それが、『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』です。『アギーレ/神の怒り』や『フィツカラルド』で知られる鬼才ヴェルナー・ヘルツォークが撮影した本作は、学者のみが立ち入りできる本物のショーベ洞窟内を撮影したドキュメンタリーとなっています。
本作が撮影された2012年頃は、『アバター』による3D映画ブームとなっており、没入感をテーマとしたドキュメンタリー映画が模索される時期でもありました。たとえば、ヴィム・ヴェンダース監督はピナ・バウシュの舞台演出を拡張させる映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』を撮った。また、フランス・パリにある老舗ナイトクラブ「クレイジー・ホース」で公演されたショーを撮った『ファイアbyルブタン』などがあります。ヴェルナー・ヘルツォーク監督は、3Dメガネを掛けた時の少し暗くなる感覚、疑似現実的なフワッとした立体感が魅力的な洞窟体験へと結びつくと考えたのであろう。
ショーベ洞窟には足場が組まれており、指定の場所からは出てはいけないものとなっている。壁画や洞窟環境を傷つけないように慎重に慎重に洞窟の深部へと入っていく。洞窟特有の透明感のある反響音が神秘的空間を盛り上げ、やがてホンモノの壁画が姿を現す。Wikipediaや美術書でプリミティブな印象を受けていた洞窟壁画のイメージはこの《ホンモノ》によって覆される。
馬の顔が連続して描写された壁画が現れるのだが、別々の馬が描かれているというよりかは、まるでアニメーションのように首を上げていく馬の動きを捉えようとしているように見えるのです。
馬とアニメーションと言えばエドワード・マイブリッジが馬の連続写真を撮ることによって馬の動きを研究した話が有名であるが、紀元前3万1000年の時点で人類はこの運動に関心を持っていたんだと思うとロマンを感じずにはいられない。

「鎖に繋がれた犬のダイナミズム」
※Wikipediaより画像引用
思い返せばジャコモ・バッラ「鎖に繋がれた犬のダイナミズム」も、動物の足の動きを研究していたりする。映画の世界では、映像と運動との関係性の探求といえば、まずマイブリッジを思い浮かべる。しかし、絵の世界でも運動は研究されていたのだと気づかされる。そのため、『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』は美術史の最深部に迫ることで映画史というフレームが外れ、我々を純粋な歴史のロマンへと誘う一本となっているといえよう。
45.ブルゴーニュで会いましょう(Premiers Crus、ジェローム・ル・メール、2015)|ブルゴーニュのブドウ栽培の景観
2010年代中盤にワインの産地が次々と世界遺産に登録される流れがありました。シャンパーニュ、ピエモンテと並ぶようにブルゴーニュのブドウ畑が世界遺産に登録されました。ブルゴーニュは1,247もあるブドウ畑の区画「クリマ」が形成するモザイク状の景観が評価されています。クリマ(Climat)はギリシャ語のKlimaに由来し、ローマ時代に耕作地を測定する単位として使われるようになりました。幾何学的に整備された区画が豊かなモザイク状の景観を生み出しているのです。
この地では1~2世紀にブドウ栽培が行われました。元々、ブドウ畑は平地に位置していたのですが5~6世紀頃にキリスト教が広まる中で再開発が行われたことにより斜面へとブドウ畑が移りました。やがてシトー会が設立され、生産単位クロ(Clos)を用いて土地を管理するようになったことがクリマの始まりだとされています。
ICOMOSによる評価報告書によれば、ブルゴーニュを世界遺産登録するにあたり、2015年の時点で既に世界遺産であったポルトガルにあるアルト・ドウロのワイン生産地域と比較し、古くから土地の区画整理行ってきた歴史こそクリマ特有のものではないとしつつも、クリュニーとシトーのベネディクト会修道院やブルゴーニュ公により中世初期から発展してきたブドウやワイン生産モデル、複雑なブドウ栽培のノウハウを継承していくクリマ特有の関係性が評価され世界遺産として認められました。
ここで、ブルゴーニュが世界遺産に登録される直前に撮影された『ブルゴーニュで会いましょう』に着目してみましょう。フランス映画史上初、全編ブルゴーニュで撮影された本作は、長年この地で過ごしてきたジェローム・ル・メールが手がけました。パリでワイン評論家として活躍するシャルリが倒産寸前である親父のワイナリーを継ごうとする。ワイン評論家として特殊な技法を取り入れようとするシャルリに対して保守的な父は反発する。俯瞰で映し出されるブルゴーニュの雄大なクリマの中で厳しいワイナリー再建の闘いが描かれていました。
ここで重要なのは、シャルリは酸化防止剤などといった現代技術を使おうとしない点にあります。ブルゴーニュの歴史を踏まえた上で、ローマ時代の技法を再現しようとするのです。機械を使わず、ブドウを足で踏みつぶす工法を実現させるために環境を整備していく。大胆な原点回帰でもって起死回生を狙うのです。
46.ローマの休日(Roman Holiday、ウィリアム・ワイラー、1953)|ローマ歴史地区
映画をあまり観ない人でもそのタイトルを知らぬ者はいないだろう『ローマの休日』。オードリー・ヘプバーンを一躍スターにさせた伝説的な一本となっています。
ヨーロッパ周遊中の王女アンは、常に監視されているような生活にうんざりしてしまい大使館を抜け出す。街中でアメリカ人新聞記者であるジョーと出会う。ジョーはすぐさま彼女を王女だと気づく。これは大スクープになるぞと、彼女が王女であることを知らないふりをしながら同僚のカメラマンと共に観光する。やがて、アンとジョーとの間に恋情が生まれてくるのだが、身分の差から決して結ばれることのない運命にあった。
近年、王室を扱った作品は、家来に見守られながら生活する様の生き辛さと社会との断絶を表現したシリアスなドラマが多い。しかし、『ローマの休日』はビターなクライマックスでありながらも映画全体としてはライトな作りとなっている。アンは王女でありながらも、ローマの街では一般人として開放的になる。旅行の本質をついています。旅とは自分のことを知っている人が誰もいない場所で匿名的他者になる自由を味わう娯楽。匿名的な存在ではありつつも、現地人と一期一会の交流をする中で日常とは異なる社会との関りを堪能する。
『ローマの休日』では、まず大使館を抜け出した王女アンがフォロ・ロマーノ、セプティミウス凱旋門で寝ているところから観光が始まります。ジョーが心配して彼女を匿う。アンは国の歴史を背負った存在。そんな彼女といとも簡単に出会えてしまう様をフォロ・ロマーノに象徴させている点が興味深い。フォロ・ロマーノはカエサルにより紀元前1世紀に整備されたローマ市民の広場。荘厳な風景から一見すると、偉い人しか入れないような場所に思えるが、市井に開かれたものとなっている。アンを王女と一般市民の宙吊りにかけながら物語を進行する本作の始まりに相応しい場所となっているのです。そして、アンは歴史的な人物でありながらも一般観光客が表層的に場所を巡るように真実の口やコロッセウム、トレヴィの泉、サンタンジェロ城、そしてスペイン広場を巡っていくのです。
ちなみに、本作は意外な形で継承されている。イタリア映画の巨匠ナンニ・モレッティが本作のアン王女を枢機卿に置き換えた『ローマ法王の休日』という作品を発表している。本作では、新教皇に選出された枢機卿メルヴィルが重圧に耐えきれず、ローマの街へと逃げ出し、市民との対話を通じて自分がどうあるべきかを見つめ直していく作品となっています。
47.教皇選挙(Conclave、エドワード・ベルガー、2024)|ヴァチカン市国
第97回アカデミー賞で脚色賞を受賞した『教皇選挙』。本作はヴァチカン市国で行われるコンクラーベをテーマにしたミステリー映画となっています。ローマ教皇が亡くなると、新しい教皇を選ぶためにコンクラーベ(教皇選挙)がシスティーナ礼拝堂で行われます。コンクラーベ中、枢機卿はシスティーナ礼拝堂に籠り、外とは隔絶された空間で新教皇が決まるまで投票を繰り返していく。

煙突で知らされます。
新教皇が決まらなかった場合は黒い煙が、
決まった場合は白い煙が出ます。
※筆者撮影(2013年)
そして、その結果はシスティーナ礼拝堂の煙突で知らされます。新教皇が決まらなかった場合は黒い煙が、決まった場合は白い煙が出ます。
本作は、コンクラーベを取り仕切ることとなった教皇庁首席枢機卿のトマス・ローレンスが主人公となっています。彼自身は教皇になる器がないとし、誰が次なる教皇に相応しいのかを模索している。そんな選挙に以下の主要候補が現れる。
1.アメリカ出身ベリーニ枢機卿(リベラル派)
2.カナダ出身トランブレ枢機卿(穏健保守派)
3.ナイジェリア出身アデイエミ枢機卿(アフリカ系初の教皇誕生を目論む者)
4.イタリア出身テデスコ枢機卿(保守派)
5.メキシコ出身ベニテス枢機卿(アフガニスタンで活動している者)
コンクラーベ直前に、有力候補であるトランブレ枢機卿の不穏な噂を耳にする。また、メキシコ出身で現在はアフガニスタンにて宗教活動をしているベニテス枢機卿が突如参加を表明する。中道派であるローレンスは選挙は平等であるべきと、一旦は受け入れつつ、それぞれの裏を取って選挙を運営していく。
本作は一見すると、我々と関係のないローマ教皇の選挙の話であるが、仕事の現場で起こりがちな問題をも内包している普遍的な物語となっています。要は「根回し」の映画となっているのです。最初こそ、投票はバラけている。しかし、得票数1票の勢力をいかにして自分の陣営に取り込むかが重要となってくる。時には対抗勢力と交渉し、票を統一することで敵対勢力を落とすといった戦略が取られる。その結果、選挙の時には大方が決まっている。つまり、「コンクラーベは根回しが9割」もとい選挙だけでなく会議も根回しによって大筋が決まっていることがわかるのです。よく、選挙は個人の自由で投票されるのだから、政党の中でも別の人に投票する者がいるのではと思うのだが、根回しによってそのような行為も防がれていることがわかる選挙メカニズムの映画として面白い一本となっています。
48.ベネシアフレニア(Veneciafrenia、アレックス・デ・ラ・イグレシア、2021)|ヴェネツィア
水の都ヴェネツィアは近年、オーバーツーリズムの問題を抱えている。大型クルーズ船による環境破壊や観光業の参入により地価が高くなり地元民がこの地に住めなくなるといった事態が発生している。ヴェネツィアの文化遺産としての価値を保護するためにクルーズ船の立ち入りを禁止したり、日帰りの観光客を対象に1日5ユーロの入場料を徴収することで環境保護と地元への還元を試みている。
このようなオーバーツーリズム問題をジャンル映画に組み込んだ作品が『ベネシアフレニア』です。監督は『気狂いピエロの決闘』でヴェネツィア国際映画祭監督賞と脚本賞をW受賞したスペインのカルト映画監督アレックス・デ・ラ・イグレシア。彼は「不真面目な若者がモンスター等に襲われる」といったホラー映画の型を用いながら、オーバーツーリズムを巡る観光客と地元民の軋轢を紐解いていく。
結婚を間近に控えた男女グループがヴェネツィアへやってくる。地元民が観光客に対してデモを行っているのを他所に浮かれて遊び惚ける。そんな中、仲間のひとりが行方不明となっていく。
映画は「仮面」を効果的に用いながら、観光を巡る匿名的他者の存在を浮き彫りにさせていく。旅行とは、自分のいるコミュニティから離れて何者でもない存在になること。誰も知らない場所に行く解放感は「浮かれ」を生み出す。一方で、地元民からすれば自分たちの領域にズカズカ土足で踏み込んでくる存在のように思える。オーバーツーリズムを巡る地元民の反発は、自分たちの生活が観光によって脅かされることによって発生する。その際に生まれる集団心理としての苛立ちが仮面を被った殺人鬼に宿っていく。主人公たちは、ヴェネツィアの地に流れる歴史や文化にリスペクトがない。高い金を払ったのだから遊びまくるといった意識でいる。そして旅の恥はかき捨てと食い逃げまでするため、地元民から蔑視の眼差しを向けられる。
映画は逆説として露悪的なオーバーツーリズム対策を通じてこのような側面と対峙しています。仮面の集団は恐怖でもってヴェネツィアから観光客を減らすとし、路上演劇を装いながら観光客を殺害する。しかし、スペクタクルを前に他の観光客はスマホで撮影しているだけで、目の前の惨劇が《フィクション》ではないことに気づけないのです。
一見すると、通俗に思えるスプラッターホラー映画であるが匿名的他者であるが故に無礼な観光客に対し、憎悪募らせる地元民の集団心理が仮面を纏った存在、つまり匿名的他者である地元民の手によって返り討ちに遭う寓話として注目の一本となっています。
49.プラダを着た悪魔2(The Devil Wears Prada 2、デヴィッド・フランケル、2026)|サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会「最後の晩餐」
大人気お仕事映画『プラダを着た悪魔』の続編が20年ぶりに製作された。ニューヨークの一流ファッション誌「ランウェイ」の鬼編集長であるミランダの下でかつてアシスタントをしていたアンドレアは転職しジャーナリストとなる。大きな賞を獲得するほどに腕を上げたものの、凋落する出版業界の荒波によって仕事を失ってしまう。デジタル化の流れで出版物の価値が下がっていく動きは「ランウェイ」も同様であり、かつて数週間もロケを行い撮影していたものが予算削減により数日のスタジオ撮影へとシフト。出張もミランダですらエコノミークラスに乗る世知辛い時代となっている。
「ランウェイ」が炎上したことをきっかけにアンドレアが呼び戻されるところから映画は始まる。一作目では見えてこなかったプロジェクトマネージャや経営層からみたシビアでリアルなビジネスの世界を軽妙に描いた本作なのだが、世界遺産の扱いに注目してほしい。
映画の後半でミラノに出張する場面がある。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある「最後の晩餐」の前でメリル・ストリープ演じるミランダが絵画の解説をしながら彼女のビジネス哲学を示唆している。新約聖書「最後の晩餐」を扱った絵画は多いが、どれもイエス・キリストの頭に光の輪が描かれている。しかし、 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」には光の輪がない。これについてミランダは「人間は完璧ではない」ことを象徴させていると語っている。この後の場面でアンドレアは裏切りに遭うのだが、ミランダはそれを見抜いたような目で見つめる。
「最後の晩餐」はイエス・キリストが12使徒の誰かが裏切ることを予言した物語が描かれている。ミランダがあれほどまでに厳しく腹の中を明かさないのは、ビジネスにおいて誰がユダかわからないからである。しかし、ビジネスをする上で他者の協力を得る必要があり、呉越同舟であろうとその時における最善な人間関係とリソースを見極めることが重要となってくる。そして、完璧人間であり業界の中で神のように扱われているミランダですら誤る時がある。つまり、ミランダは レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に自分を重ね合わせていたのです。だからこそ直後にユダが現れたとしても想定通りとし、狼狽することなく粛々と事象に向き合う。ユダが現れることは当然とし、「人間は完璧ではない」から内に籠るのではなく華麗に利用しながら最善策を選び続けるしかないミランダの生き様が見えてくる場面として煌めくものがあります。
50.ポンペイ、雲の下に生きる(Below the Clouds、ジャンフランコ・ロージ、2025)|ポンペイ
『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』で金獅子賞、『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』で金熊賞を受賞したエリトリア出身の監督ジャンフランコ・ロージ。フレデリック・ワイズマンのように、特定の領域内の小さな群を捉え、繋いでいくことによって社会の側面を見出すドキュメンタリーを得意とする彼は、『ポンペイ、雲の下に生きる』において時間軸を加えポンペイの地層をスクリーンに投影させた。
閑散とした映画館の中で、ヴェスヴィオ山の噴火、そしてポンペイが火山灰と火山礫で埋まる様がスペクタクルとして提示される。映画は複製性を有するメディアであり、歴史的事実が再発見されていくものである。本作は映画の特性をメタ的に捉えた上で、考古学と結びつけるユニークなアプローチによってポンペイの歴史を紐解く。
ポンペイは1997年にエルコラーノやトット・アヌンツィアータと共に失われた古代ローマ都市を記憶している場所として世界遺産に登録されました。西暦79年にヴェスヴィオ山が噴火したことで埋まったものの、当時の生活様式や文化が良好な保存状態で地中に遺された。18世紀半ばより発掘されていったものの、依然として不明な部分が残っており、ゆっくりと研究が進んでいる。
本作では、東京大学の考古学チームが長年かけて精緻に調査を重ねて古代ローマ時代の生活様式を明らかにしようとする活動が描かれている。一方で、泥棒が違法なトンネルによって文明の痕跡を盗み出す実態も描かれている。『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』において、牧歌的な島の活動と命がけで移民が島を目指していく対極の事象を並べたように本作も発掘のアクションを巡る複数の領域を指し示す。
『ポンペイ、雲の下に生きる』が興味深い点は、火山の噴火によって幕が閉じたポンペイの歴史が発掘される過程を入れ子構造として描いている点にある。映画は緊急センターにカメラを向ける。そこには、放火や山火事の通報が入る。外は業火に包まれる。2020年代のヴェスヴィオ山もいつ猛威を振るうかわからない不気味さを纏っている。つまり、文明が発達した現代が滅亡する空気感が銀幕に揺蕩っているのです。
本作は考古学者が文明崩壊後にこの作品を発掘し、失われた文明の片鱗を目撃することを想定したような作りとなっている。古代ローマは石像や壁画といった物質的なものによって過去と繋がる。しかし、映画は複製された時間によって過去と繋がる。戦争によって終末の気配に包まれた今、映画は何ができるのかを世界遺産であるポンペイを通じて見つめた傑作といえよう。
51.動物誌、植物誌、鉱物誌(Bestiaries, Herbaria, Lapidaries、マッシモ・ダノルフィ&マルティーナ・パレンティ、2024)|パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)
『動物誌、植物誌、鉱物誌』は、時に実験映画、時にフレデリック・ワイズマンのタッチで人類と自然との関係性に眼差しを向けた3時間を超える大作となっています。ややとっつきにくいタイプの作品で、特に第三部の「鉱物誌」は邦題の翻訳に限界があり、「コンクリート誌」に思えるのは致し方がないのだがアプローチは興味深い。
本作は三部構成からなる。「動物誌」では動物が手術される光景やウサギがヘビに捕食されるショッキングな映像を畳みかけてくる内容で、2024年に公開された『人体の構造について』に近い内容となっている。第二部『植物誌』は世界遺産にもなっているパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)での活動をワイズマン的なショットにナレーションを重ねて描く。第三部『鉱物誌』では、コンクリートの素材が採られる様子をフッテージで挿入し、実際にコンクリートが作られるまでの過程を工場ドキュメンタリーのように編集している。
まず「鉱物誌」に関しては「植物誌」との対比で考えるとわかりやすい。「植物誌」では、地球全体の99.7%を占めると言われる植物、あらゆるワールドレコードを占有する植物に対して、ちっぽけな人間が知ろうとする眼差しが描かれる。世界遺産の領域では、人類の自然に対する関心と自然界にあるものを人為的に保管してきた歴史を後世に伝える場所をいくつか登録、保護している。イギリスのキュー王立植物園やシンガポール植物園が有名であるが、イタリアにも存在する。舞台となるパドヴァの植物園は世界最古の植物園として知られ、イタリアで初めてジャガイモやヒマワリが栽培され、植物学や生態学に影響をもたらしており、現在ではイタリアで2番目に充実した植物標本館として機能している。ありのままの植物をアーカイブして知ろうとする人類が描かれているのです。
一方で「鉱物誌」はどうだろうか。原題は"Lapidary"となっており、鉱物そのものよりも鉱物を加工する様に焦点があてられている。副題も「未来の化石」となっている。つまり、人類が過去の自然を掘り起こし加工し役割を与える様を描いているのです。そのため、アリストテレスの理論を借りるなら、「植物誌」はデュナミス(可能態)、「鉱物誌」はエネルゲイア(現実態)の話となっている。そして、広島に原爆が落とされて3年後にイチョウがたくましく生えたエピソードがこの両者を繋ぐ接着剤的な機能を果たす。人類が自然と対峙する中で生まれる暴力性が浮かび上がり、「動物誌」と円環を結ぶのです。
52.墓泥棒と失われた女神(La chimera、アリーチェ・ロルヴァケル、2023)|チェルヴェテリとタルクィニアのエトルリア古代古墳群
陽光さんさん降り注ぐ列車の中、ジョシュ・オコナー演じるアーサーは微睡む。夢と現実の曖昧さをフィルム調、スタンダードサイズの画で捉えながら美しき女性が男の旅の目的地として現る。夢とは、過去の経験が醸造され浮かび上がるもの。夢の中にいる時、主体はそれを現実と捉え受容する。だが夢から覚めるとそれは非現実であったことに気づく。しかし、世の中には「正夢」と呼ばれるものが存在する。夢で経験したことと同様のことが現実に現れた時、人々は「正夢」だと気づかされる。つまり、夢とは過去であり現実であり未来でもある不思議な空間なのです。しかし、夢における「未来」は現実において夢での経験が現出した時にのみ「未来」であることが確定する。本作はこの特殊な夢の役割を搾取の構図に絡めて寓話に昇華させた。
夢で見た女性を追う男を追うように無数の群れの眼差しが注がれる。列車では、目の前に座る女性、靴下売りのおじさんが彼ひとりの世界を阻害する。強調するように列車の通路をウェス・アンダーソンさながらのコミカルな無数の眼差しによる凝視のショットが紡がれる。
イタリアの田舎町にやって来るアーサー。ボロボロの家屋に身を潜めても次から次へと人々が彼のもとへやって来る。その流れで彼はエトルリア時代の宝を探す墓泥棒に手を貸すようになる。アーサーには特殊能力があり、木の棒を使ってダウジングをすることによって、エトルリア時代の遺跡を見つけ出すことができるのです。本作は、イタリア・タルクイーニアで撮影されている。この地域にはエトルリア人の墳墓がある。エトルリア人に関する情報はほとんど残っていないものの、墳墓からは古代ギリシャからの影響を受けた彫刻が見つかっています。本作は、エトルリア人の墳墓の持つミステリアスさと墓を探していくロマンを独特なタッチで描いている。
たとえば棒を使ってダウジングをする場面がある。ダウジングとは未来予知の一種。未来予知とは、ある方法を用いて未来に起こりうることを特定すること。そして、その特定が確定したときに初めて「未来予知」となる。つまり、ダウジングで掘るポイントを特定したとしてもそこから遺跡が出てこなければ「未来予知」とはならない。アーサーはダウジングにより未来予知することができる。それに漬け込んで墓泥棒たちは、宝を得る未来を確定させていく。アーサーは報酬にあまり興味ないらしいことを利用し、低い報酬で彼を搾取していくのです。この時のアーサーに着目すると、彼の目的は夢で見た女性に出会う未来を確定させることにある。だが、それは中々かなわない。にもかかわらず、エトルリア時代の墓を掘り当てる未来ばかりが墓泥棒たちによって確定されていく。この関係性が搾取の構図を浮き彫りにしていくのです。
『墓泥棒と失われた女神』では、未来確定にいたるまでの宙吊り状態におけるマジックを映像表現レベルに落とし込んでおり、カメラが回転しながら逆さの画にシフトしていき、アーサーがバタッと倒れる演出が施されている。海外版ポスターにある、彼を逆さ吊りにし宝をせしめていく群衆像を映像化した表現となっている。
さて、搾取され続けるアーサーはどのようにして連鎖を食い止めるのだろうか?それは、分割された女神像の扱いによって果たされる。警察から逃げる形で女神像の頭だけ奪った泥棒集団は、オークションの場に現れ胴体だけ持つ者から金をせしめようとする。揉める双方を前にアーサーは女神像の頭部を海に捨てるのです。強制的に未来を確定させてきた群衆に対して未来を「未確定」状態にすることによる復讐ともいえるアクションとなっている。その後、アーサーは人々から嘲笑の眼差しに晒される訳だが、彼だけの空間で未来確定が行われ映画はハッピーエンドへと着地する。
打ち捨てられた遺跡は「過去」のもの。誰のものでもなくなったが、誰かが占有し、異なる歴史を踏んで良いものなのだろうか。アーサーは冒険の中で葛藤する。そして、家を追い出された者たちが廃墟となった駅を新しい拠点とするのを目の当たりにする。家族として、そこに留まることはできるであろう。しかし、彼は自分の中の「過去」、つまり忘れられない女の面影とのみ向き合い旅を続けるのです。
53.The Empire(ブリュノ・デュモン、2024)|カゼルタ宮殿
フランスを代表とする鬼才ブリュノ・デュモンは建築や美術作品を援用しながらユニークな物語を紡ぐ。たとえば、ジャンヌ・ダルクの異端審問を描いた『ジャンヌ』では、ルーアンの物語にもかかわらず美術評論家ジョン・ラスキンの言葉に触発されてアミアン大聖堂で撮影が行われた。そんな彼がスター・ウォーズをパロディにした『The Empire』にて独創的な世界遺産の使い方をしている。
本作はゴシック様式のサント・シャペル型戦艦とバロック様式のカゼルタ宮殿型戦艦が宇宙から地球支配を巡って対立する話となっている。カゼルタ宮殿サイドからは黒い液状の物体によって人間を宇宙人に置換しているらしく、既に田舎町ではある程度新人類へと置き換わっている。地球では、人間に擬態する宇宙人たちが暗躍している。本作は、戦争や政治によって人々が統治者の意図によって塗りつぶされてしまう駒のような人間像を風刺した作品となっている。
ここで聖堂/宮殿型の戦艦に目を向ける。戦艦として耐久性を考えるのであれば、ゴシック様式よりも壁が重厚なロマネスク様式にすべきだろう。しかし、2つの理由からゴシック様式である必然性があります。
ひとつは宇宙船のごちゃごちゃしつつも洗練された造形との類似性にある。実際にサント・シャペル型戦艦の外観は、ゴシック様式の特徴であるステンドグラスやフライング・バットレスが備わっている一方で宇宙船らしいタンクのようなものも備わっている。天上を表現するためにやたらと縦に長く、宇宙戦艦としての耐久性はなさそうだが、宇宙戦艦らしさもあるユニークな造形を実現させている。
ふたつ目はゴシック建築が修道士や聖職者だけでなく都市に住む裕福な人や知識人も加わって作られたことにある。ゴシック建築は都市に集まる人々のフラストレーションを和らげるためにステンドグラスなどを用いて光や美を表現しつつ人々を導こうとした。つまり、本作でゴシック様式が登場するのは都市から地方への統治を示唆する目的があります。
このようにサント・シャペル型戦艦を考えた時に、対立する相手がバロック様式な点に疑問が湧くだろう。一般的にゴシック様式はロマネスク様式と比較される。またバロック様式はルネサンス様式と対比されるからだ。また、バロック様式でフランスの宮殿ならヴェルサイユ宮殿がある。なぜ起用しなかったのだろうか?
しかし、この作品においてはカゼルタ宮殿でなければいけない。なぜならば、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』に登場するアミダラ女王の宮殿のロケ地なのだから。《スター・ウォーズ》パロディ映画として、カゼルタ宮殿を使用する必要があったのです。また、バロック様式の時代には理想化神聖化された宗教画よりも写実な宗教絵画を生み出す画家が登場した時期であった。

「洗礼者聖ヨハネの斬首」
※Wikipediaより画像引用

「ホロフェルネスの首を斬るユディト」
※Wikipediaより画像引用
『The Empire』に登場するライトセーバーによる斬首は、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオの「洗礼者聖ヨハネの斬首」やアルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」を意識したようなものとなっている。虚構でありながら写実的な斬首のイメージをバロック様式に託しているといえる。
ここで地球(=田舎)サイドとしてロマネスク様式が登場しないのは、堅牢敬虔な壁が敷かれる前に侵略されてしまっているからであろう。もう時すでに遅し、後は政治によってどっちに回収されるかを指を咥えて見つめるしかない。政治家の活動を見守るしかない様のためにロマネスク様式の要塞は消滅してしまったといえる。このように美術史を踏まえてみると『The Empire』はより味わい深いカリカチュアとなっているのです。
54.秘められた過去(Confidential Report、オーソン・ウェルズ、1955)|セゴビアのアルカサル
『白雪姫』の城のモデルにもなったスペイン・セゴビアのアルカサル。元々は、要塞としてローマ時代に建てられていたものだが。12世紀にカスティーリャ王国のアルフォンソ6世が改築した王宮です。丸みの帯びた監視塔は確かにおとぎ話の世界と相性が良い。しかし、そんなアルカサルを不気味に魅せた映画が存在します。
オーソン・ウェルズ『秘められた過去(旧タイトル:アーカディン/秘密調査報告書)』は、後にフランツ・カフカ「審判」を映画化する予行練習のように、つまりカフカ「城」を意識した不条理の象徴としてアルカサルが使われています。
小悪党のストラッテンは恋人のミリーと結託して大富豪アーカディンから金を巻き上げようと、アルカサルで行われる仮面舞踏会へ潜入しようとする。セゴビアの街を象徴するように鎮座する城。近くにあるのだが、なかなか中に入らない様はストラッテンとアーカディンとの関係性を示唆している。アーカディンはなぜかストラッテンに「報酬を与えるので私のすべてを調べてほしい」と提案する。どうやらアーカディンは記憶喪失なようで、記憶を失う前に何者であったのかを知りたがっている模様。ストラッテンは世界を飛び回りながら秘められた過去を探っていく。ここで、アーカディンはストラッテンを追跡し、至近距離から彼を監視するようになる。そして、ストラッテンの周りで不審な事件が起こる。すぐそこに真実があり、運命もわかっているにもかかわらずスルスルと手元から逃げていくカフカの「城」的不条理を巧みなカット割りで表現しているのです。
本作は、『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーランの好きな映画の1本であり、クライテリオンにて次のように語っている。
No one could make much of a case for Welles’ abortive movie overall, but the heartbreaking glimpses of the great man’s genius preserved here are the most compelling argument for the value of Criterion’s dedication to cinema.
訳:ウェルズの失敗作となったこの映画を全体的に擁護する人は誰もいないだろうが、ここに収められた偉大な監督の才能の痛ましい一端こそが、クライテリオンが映画に捧げる情熱の価値を最も説得力をもって示すものと言えるだろう。
確かに本作の、時系列を複雑に入れ替えながらスパイ劇を展開していく様は『TENET テネット』を彷彿とさせるものがあります。
55.アントニー・ガウディー(勅使河原宏、1984)|アントニ・ガウディの作品群
『砂の女』『他人の顔』など 安部公房作品を映画化し国際的にも評価された鬼才・勅使河原宏が芸術ドキュメンタリーを数多く手がけていたことはあまり知られていない。彼のデビュー作は葛飾北斎の人生を総括する短編ドキュメンタリー『北斎』であり、白黒映画である制約を補うかのように割り出し図を実際の作品に重ね合わせ、彼の大胆かつ写実的な構図を端的に紹介し、饒舌なナレーションを取り入れた一本となった。彼は、経済活動や社会システムに囚われない人間の創作活動に向かうように『動く彫刻 ジャン・ティンゲリー』『アントニー・ガウディー』といった作品を撮りました。
ガウディの作品群を撮ったドキュメンタリー『アントニー・ガウディー』は、終盤にサグラダ・ファミリアの建設過程をナレーション付きで解説している場面を除いては武満徹、毛利蔵人、堀真慈の音楽に合わせて彼の作品を純粋なまま提示しているに留めている。ただし、これらのフッテージは勅使河原宏が1959年に初めて渡欧したときの16mm映像と1983年の35mm映像を交差させています。

※筆者撮影(2014年)
街中で老若男女が円陣を組み踊る牧歌的な場面から映画は始まる。次に伝統的なイコンを提示する。歴史と人々のオーソドックスなつながりを提示した上で、ガウディの唯一無二で非凡な作品が姿を現します。怪しげで荘厳でアンニュイなサウンドの中で、カサ・バトリョの中へ入っていく。背骨のような階段、渦を用いたライト、巨大生物の体内を彷彿とさせる部屋がサウンドによって官能的なもののように演出されていく。

※筆者撮影(2014年)
映画はグエル公園にも目を向ける。バルセロナにおいてガウディの作品は日常に溶け込んでいる様子が映し出されます。椅子に座り一休みする者、迷路のような空間を散策する者などが映し出さる。公園が人々を集め、豊かな余暇を与える場所であり、グエル公園の複雑さが公園の魅力を底上げしている様を提示していました。

※筆者撮影(2014年)

※筆者撮影(2014年)

※筆者撮影(2014年)
やがて、映画はサグラダ・ファミリアへと向かう。最近、イエス・キリストの塔の外観が完成し、またガウディ没後100年ということもあり様々なメディアで特集されているサグラダ・ファミリアだが、半世紀近く前の映像では四本腕の十字架が全く完成しておらず、バラバラの尖塔が伸びている印象を受ける。雑誌penでの特集の写真と比較すると、十字架の尖塔が周囲の建造物を束ねる要になっていることがわかる。
ナレーションによると、サグラダ・ファミリアは書店を運営するホセ・マリア・ブカベリャが作り始めたとのこと。信心深い彼はどうしても教会が建てたかったのだそうだ。最初の建築家であるフランシスコ・ビリャールとの対立で頓挫したところ、ガウディに白羽の矢が立ちました。ナレーションは、もしガウディが後任でサグラダ・ファミリアを手掛けなければ凡庸な教会になっていただろうとし、ロングショット/クローズアップで本遺産の複雑怪奇な側面を切り取っていきます。70分程度のシンプルな作品でありながら、人類が生み出す非合理の美学を堪能できる一本に仕上がっています。
【目次】
【参考文献】
・すべてがわかる世界遺産1500(上巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局 、2024/3/22)
・すべてがわかる世界遺産1500(下巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局 、2024/3/22)
・サンティアゴ・デ・コンポステーラと巡礼の道(グザヴィエ・バラル・イ・アルテ 、創元社、2013/5/10)
・美術の物語(エルンスト・H・ゴンブリッチ、河出書房新社、2024/10/18)
・記憶の場 3《模索》(ピエール・ノラ、岩波書店、2003/3/12)
・世界の美術(アンドリュー・グレアム=ディクソン 、河出書房新社、2009/10/22)
・Grotte Chauvet 2 Ardèche(ショーヴェ・ポン・ダルク洞窟サイト)
・ブルゴーニュのブドウ栽培の景観のICOMOS評価報告書(ICOMOS)
・Le film "Premiers crus" tourné en Bourgogne a été présenté en avant-première(Christophe Tarrisse、franceinfo、2015/9/4)
・Disney reconoce que el Alcázar de Segovia inspiró el castillo de ‘Blancanieves’(Vicente G. Olaya、EL PAÍS、2023/9/26)
・Christopher Nolan’s Top(Criterion、2013/1/29)
・Pen (ペン) 2026年6月号「特集:ガウディとサグラダ・ファミリア」(ペン編集部、CEメディアハウス、2026/4/28)
※サムネイルの写真は『アントニー・ガウディー』のロケ地でもある「サグラダ・ファミリア」です。(筆者撮影)
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