死ぬまでに観たい世界遺産映画101《第5章:ヨーロッパ編②》
第5章:ヨーロッパ編②
56.関心領域(The Zone of Interest、ジョナサン・グレイザー、2023)|アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所
2025年夏、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ訪れました。第二次世界大戦中、100万人を超えるユダヤ人や少数民族がこの強制収容所にて殺された。戦後、1947年にポーランド国会はこの非人道的事実を忘れないようにしようと強制収容所の敷地と建造物を永久に保存し博物館として公開することにした。戦時中、突貫工事で収容所が建てられたため、耐久性に問題があったのだが、真正性を保ちながら保存し続けるため、一部の収容所は白いテントに覆われ修復工事が行われていました。

修復工事が行われていた。
※筆者撮影(2025年)
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のツアーでは資料として2023年に製作され日本でも話題となった『関心領域』を挙げながら解説していた。

※筆者撮影(2025年)

スローガン
「Arbeit macht frei(働けば自由になる)」
※筆者撮影(2025年)
『関心領域』は長い黒画面の間から始まる。鳥の囀り、何者かの悲鳴のようなものが入り混じり、嫌でも「音」への関心を向けざる得ない。そして提示されるのはアウシュヴィッツ収容所隣の邸宅における日常。淡々とした生活の端々で、違和感が露見する。不自然に、衣服のフリーマーケットのようなものが始まる。子どもたちが川で遊んでいると、水が濁り始め、父親が狼狽。すぐさま帰宅し、全身をものすごい剣幕で洗う。牧歌的な生活に見えて、時折銃声や悲鳴のようなものが聞こえてくる。
登場人物は収容所内で起きている凄惨なことに無関心で、自分の生活に専念しているのだろうか。もちろん、その側面もあるが意図的に関心領域圏外へと凄惨さを追いやっている場面もある。それが顕著に現れるのは、終盤、ルドルフが吐き気を催し階段を降りていく場面。彼が暗がりに目をやると、現代のアウシュヴィッツ。博物館の中へと遷移する。「歴史はお前を観ているぞ」と言わんばかりのショットが彼に嘔吐の気配を与えていくのである。明らかに意識的に意識外へと追いやろうとする反動がそこに描かれているのです。

メインヴィジュアルにもなっている
第二強制収容所へ訪れました。
※筆者撮影(2025年)
本作は、ホロコーストを描いたドキュメンタリー『SHOAH ショア』の影響下にある作品となっています。『SHOAH ショア』は戦争のフッテージを用いず、ホロコースト関係者の取材のみで構成されたドキュメンタリー。取材と収容所の跡地を交差させることで我々の脳裏に凄惨な当時のイメージを浮かび上がらせる仕組みとなっている。

ナチスが収集した物品をグロテスクな形で
展示することで観光客の想像力へ訴えかける。
※筆者撮影(2025年)

ナチスが収集した物品をグロテスクな形で
展示することで観光客の想像力へ訴えかける。
※筆者撮影(2025年)
『関心領域』も同様に、視覚/聴覚に流れ込む断片によってホロコーストの痛ましさが再現される様を描いている。現代パートでカメラが映し出すのは、ガス室、大量のクツやカバンが積まれている展示室。収容者の写真がずらりと並んだ廊下などが映し出される。それ自体は空間やモノであるが、歴史のイメージと結びつくことによって凄惨さへとアクセスできる。結び付けなければ無関心でいられるのだが、そのような無関心さが持つ加害性を映画は鋭く斬り込んでいるのです。
57.Simona Kossak(アドリアン・パネク、2024)|ビャウォヴィエジャ森林保護区
ポーランドとベラルーシにまたがる自然遺産ビャウォヴィエジャ森林保護区。ヨーロッパ最大の森林地帯として知られているビャウォヴィエジャ森林保護区は、1921年に乱獲によってヨーロッパバイソンが絶滅したものの、ドイツとスウェーデンに飼育されていた個体を繁殖させることで復活させた歴史があります。『Simona Kossak』はビャウォヴィエジャの森林に小屋を建て、自然に影響を与えないような形で30年以上研究してきた女性の生物学者シモーナ・コサックの半生を描いた伝記映画となっています。

「Olszynka Grochowska」
※Wikipediaより画像引用
シモーナ・コサックはポーランド・クラクフの芸術系の家系で育った。祖父ヴォイチェフ・コサックは戦争画家、親戚のマリア・パヴリコフスカ=ヤスノルジェフスカは抒情詩人、マグダレーナ・サモズヴァニエツは風刺作家として活躍していました。しかし、彼女にとって一族の名声はプレッシャーとなっている。また、自己陶酔的な家族の姿に嫌悪を抱いている。家族の姿に違和感を抱いた彼女は逃げるように研究者として自然に向かって行くのです。
1974年にポーランドの名門大学ヤギェウォ大学で生物学の修士号を収めた彼女はビャウォヴィエジャへ移り住み論文執筆に励む。当時のアカデミーは男性優位な社会であり女性研究者は抑圧される傾向があったのだが、そのような空気感を跳ね除けるような行動力で森に小屋を建てる。机上の空論ではなく、実際の観察をベースとした研究を行おうとするのです。電気も水道もない自然の中で、ノロシカの研究を進めるのだが伐採業者の魔の手が迫る。
ビャウォヴィエジャには樹齢300年を超す樹木があり森林の生態系を支えるものとなっているのだが、伐採業者がどんどんと木を切り倒していく。森の生態系に影響を及ぼすと考えたシモーナは、研究の指導教官であるバトゥラ博士に報告をあげる。しかし、業者による根回しが行われており、伐採を正当化するようシモーナを誘導していく。政治家はシカを害獣と捉えており、駆除すべきだと考えている。あの手この手で森林伐採を正当化しようとしてくる。またシモーナの家族も保守的であり、唯一頼れるのは写真家のレフ・ヴィルチェクのみ。厳しい状況の中、彼女はビャウォヴィエジャの美しい生態系を守るために奮闘することとなる。
『Simona Kossak』は、ビャウォヴィエジャ森林保護区で起きた経済活動と環境保護を巡る葛藤や闘いの1ページを観ることができる一本となっている。
58.スーパーノヴァ(Supernova、 ハリー・マックイーン、2020)|英国の湖水地方
世界遺産を勉強していると、自然遺産だと思っていたら文化遺産だったことがよくあります。英国の湖水地方はその代表ともいえ、登録基準(ii)(v)(vi)が認められている文化遺産です。18世紀以降、風景に絵画的価値を見出す運動「ピクチャレスク」の中で、山、湖と庭園や公園の調和が作られたことが評価され、2017年に世界遺産登録とりました。本遺産は、自然保護団体ナショナル・トラストにより美しい景観を楽しむために自然が保護されています。ロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースが1810年に鑑賞眼と遊び心を持つ者のため、湖水地方を共有財産にしようとしたことからナショナル・トラスト運動が活発となったのです。
そんな英国の湖水地方を巡るロードムービーがあります。『スーパーノヴァ』は名優コリン・ファースとスタンリー・トゥッチが同性愛のカップルを演じた作品。20年間共に過ごしてきたサム(コリン・ファース)とタスカー(スタンリー・トゥッチ)が湖水地方を巡っている道中から映画は始まる。車中でギスギスした会話を交える二人。だが、食料品を買っている最中にタスカーが行方不明になると、サムは必死に彼のことを探す。険悪なようで彼のことを想っている複雑な感情が描かれています。
タスカーは認知症を患っており、これが二人の関係に亀裂を入れていることがわかります。映画は介護における苦痛や葛藤をロードムービーへスライドさせて描いている。サムはタスカーのことが好きではあるのだが病状によるアクシデントや不快なことで精神を擦り減らしている。一方でタスカーもそのことは理解しており、この湖水地方の旅が人生最期のものになるだろうある計画を立てている。
このような暗さの前に雄大な自然が広がっている。自然は制御不可能であるが故に恐怖や孤独を与える一方で、だからこそ美しい側面もある。先述の通り湖水地方は、美しい自然をありのままのものとして人為的に保護していこうとした歴史がある。この歴史と共鳴するように、制御不能なまでに進行していく認知症によって歪む人間関係をどのように受容していくのかを描いているのです。
ちなみに、湖水地方のナショナル・トラストは良き活動のように思われるが批判もある。ユネスコ世界遺産・持続可能な観光プログラムアドバイザーであるジェイムズ・リーバンクスの自伝「羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季」によると、ワーズワースは住民を無視し外部の人間が散歩するロマンティックな場所へと変えてしまったと語っています。湖水地方は観光地化されてしまい、本来であれば自然と共存し「畜産」が行われた文化が重要であるにもかかわらず、「お土産」は未来の価値となり、「畜産」は過去の価値へと追いやられており問題であると語っているのです。
59.三十九夜(The 39 Steps、アルフレッド・ヒッチコック、1935)|フォース鉄道橋
お笑い劇場、治安の悪さはピカイチ!
開演前からMCに卑猥下劣なヤジが飛び交う中、今日のショーが始まる。今回のショーマンは、1日に50個のものを憶え、決して忘れることのない超人。しかし、会場から出る質問は下品なものばかり、サッカーや競馬の結果、そして女の年齢などをドッジボールのようにこの超人に投げつける。おじいさんが「鶏の舌病の原因は?」と訊いているのに、その声は彼には届かない。やがて警察を交えて激しいバトルが勃発する。なんとか場を鎮めようとするMCだったが、そんな声は虚しく、銃声が響き渡る。残念ながらショーは御開きとなってしまったようだ。
アルフレッド・ヒッチコックの隠れた名作『三十九夜』は、失速することのない追う/追われるの修羅場映画となっています。
劇場から出るスカした男リチャードは、謎の女に言い寄られて家に泊めることとなる。それが運の尽き。「私、スパイに追われているの。あれを阻止できなければ国家機密が流出してしまう」と陰謀に巻き込まれてしまう。確かに、窓からは黒ずくめの男がいる。警戒するも束の間、目を醒ますと女は殺されていた。こうして彼の逃走劇が始まるのだが、右から左から追っ手がやってくるのをギリギリで避け続ける不条理なアクションが面白い。
家から出ようとすると目の前に黒ずくめの男がいる。変装する。そして間一髪列車に乗ると、目の前の客が新聞を読んで大声で談笑をしている。その新聞には女殺しの犯人が自分だと書かれている。逃げようと駅のホームに降りるのだが、警備員に捕まりそうになる。駅員が狭い客室の右から左からやってくる。袋の鼠のリチャードはどうするのか?小者に見えて、ジェームズ・ボンドばりのアクロバティックな回避でスレスレを切り抜けていくのだ。
そして列車から降り巨大な橋を伝って逃げるのだが、これはイギリスの世界遺産フォース鉄道橋であることはあまり知られていない。スコットランドのフォース川河口にかかるこの橋は全長2,529mもの長さをもっており、現存する中で最長のカンチレバー橋(片持ち梁の構造を用いた橋)となっています。1890年に開通してから今現在も使用されている橋でもある。
『三十九夜』は白黒映画なためわかりにくいが、実物は東京タワーのような赤を貴重とした大胆なメタリック構造となっており、その独特さと橋の歴史を考えるうえでの要石になっていることから建築技術の発展を示す登録基準(i)(iv)が認められています。
60.眠れる森の美女(Sleeping Beauty、クライド・ジェロニミ、1959)|ノイシュヴァンシュタイン城
美貌、美声を授かったオーロラ姫は16歳の誕生日に魔女マレフィセントの策略に堕ち永久の眠りへつく。運命の王子フィリップの口づけにより彼女は復活を遂げる。
シャルル・ペローの童話を映画化したディズニーアニメ『眠れる森の美女』に登場する城は、2025年に世界遺産登録されたノイシュヴァンシュタイン城をモデルとしています。垂直鋭利に伸びるゴシック様式の尖塔、かわいらしい青みがかった円錐状の天井はおとぎ話の舞台に相応しい程ワクワクさせるものがあります。
しかし、ノイシュヴァンシュタイン城の世界遺産登録の道はイバラ道であり、またICOMOSによる評価報告書を確認すると、妥協の上での世界遺産リスト入りだったことがわかります。
ノイシュヴァンシュタイン城が暫定リスト入りしたのは2015年。「石に刻まれた夢 ― バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿:ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城」の構成遺産としてリストに追加されました。
ドイツは本遺産を世界遺産に登録するための根拠として「空想的な旅(Imaginary journeys)」を用いました。ルートヴィヒ2世が生み出した城が、映画や遊園地などといった仮想的に過去や遠い場所への旅に影響を与えたとし、登録基準 (i)(ii)(iii)(iv)(vi)での登録を目指しました。しかし、第47回世界遺産委員会直前のICOMOS評価は散々なものでした。ICOMOSの指摘の中心は「空想的な旅(Imaginary journeys)」という概念が十分に研究されていない点にある。ドイツは、19~20世紀にかけて20以上の事例から他の「代替的な世界(Alternative worlds)」「演劇的幻想(Theatrical fantasies)」に関する例を集めてICOMOSへ説明しました。しかしながら、これらは本遺産の顕著な普遍的価値を説明するには構造化されていないとのことでした。
結局のところ、登録基準(ⅳ)だけが認められたのですが、これもドイツが想定していた映画やディズニーランドなどといった現代のテーマパーク建築の先駆者として語るには学術研究による十分な裏付けがないとして却下されている。代わりにルートヴィヒ2世の建築は19世紀後半に発展した歴史主義運動の例として重要であり、建造以前の芸術様式を現代技術を用いて復興させた結果、独特な美しさや豪華さを備えた芸術作品が生まれた点は評価するとしています。
全体的にICOMOSは現代のイベントには慎重であり、ドイツが登録基準(ii)の根拠として挙げていた19世紀の万国博覧会への影響に関しては、商業的かつ政治的イベントであるため留意すべきとしている。世界遺産は政治的なものを回避しようとするため、ドイツが提示したナラティブは悪手だったといえよう。
そのため、一般的にノイシュヴァンシュタイン城は『眠れる森の美女』のモデルとして知られているのだが、世界遺産登録に関してはそのような側面が否定されている点に着目する必要があるのです。
61.サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music、ロバート・ワイズ、1965)|ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観
『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公マリアとトラップ大佐が結婚式を挙げる場所として有名なモントゼーがある場所は世界遺産となっています。『サウンド・オブ・ミュージック』では、この地の美しさ、映画映えする空間を最大限に活かしているのですが、世界遺産として調べてみると興味深いことがわかります。
ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観は、湖の美しさと融和する景観から複合遺産かと思う方もいますが、実は文化遺産となっています。ドイツ語が分かる方ならお察しの通り、ザルツカンマーグートは「良い塩の産地」、つまり塩で有名な場所です。ザルツブルクが塩で発展したように、ここも岩塩の発掘で栄えてきました。ただしザルツブルクが16世紀頃に塩で栄えたのに対して、先史時代から始まる数千年の歴史を持っており、発掘された青銅器等からハルシュタット文化と呼ばれ研究がされている。また、ハルシュタット近くのダッハシュタイン山には沢山洞窟があり、マンモスの骨が見つかったり、氷が聳え立つ洞窟見つかったりしています。1993年にニュージーランドのトンガリロ国立公園が文化的景観が認められ複合遺産に拡大されたことをきっかけに、自然の制約の中で人間がどのように関わってきたのかという側面を評価する動きが高まりました。
ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観が世界遺産に登録された当時のICOMOSによる評価文書を確認すると、アカシカやノウサギなどといったアルプス中央部の固有種の存在に言及している部分があるが、あくまで製塩業のために管理されている自然との関係性が評価されているのです。
文化遺産から複合遺産になったケースとして、カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林があるが、ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観も同様に複合遺産になる可能性があるのかUNESCOのサイトで調べてみたところ、2024年よりバッファー・ゾーンの軽微な変更に向けた準備が進められています。世界遺産登録時に使用されていた地図は手描きのものを採用していたのですが、2009年にオーストリア環境影響評価法が改正されたため正確に範囲を再検討する必要が出てきたからとなっています。デジタル化に伴い世界遺産でもより正確にバッファー・ゾーンを定義する流れが来ているのです。今後、こうした変更や再調査を通じて複合遺産になるかもしれません。
62.菩提樹(The Trapp Family 、ヴォルフガング・リーベンアイナー、1956)|ザルツブルクの歴史地区
『サウンド・オブ・ミュージック』は今や、映画をあまり観ない人でもタイトルは知れ渡っているほどの不朽の名作であるが、本作より前に実は映画化されているのをご存じだろうか?『サウンド・オブ・ミュージック』は、ゲオルク・フォン・トラップ大佐の自叙伝「トラップ・ファミリー合唱団物語」のブロードウェイ・ミュージカル版を映画化した作品となっている。「トラップ・ファミリー合唱団物語」は、1956年に西ドイツで『菩提樹』として映画化されています。『サウンド・オブ・ミュージック』と大きく異なるのは、2部作として映画化されている点にある。『菩提樹』はトラップ一家がアメリカへ亡命するまでを描いているのです。そして、どちらの作品もザルツブルクの歴史地区で撮影されました。
ザルツブルクは739年に宗教拠点となってから司教都市として発展してきた都市。1077年に教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世との派閥争いが勃発すると街の警備を強化するため、また隠れ家として機能させるためにホーエンザルツブルク城が建設されました。増改築を繰り返し、やがて武器庫としての機能も備わりました。ナポレオンやハプスブルク家の手に渡りつつも、今でも現存し続ける城となっています。さらに、この地はモーツァルトの生まれた地としても知られています。
16世紀以降、ザルツブルク は塩の取引で莫大な富を手に入れ都市の美化に注力します。豪華絢爛、凹凸を強調させたバロック様式を建造物に施し、北のローマを目指していったのです。
『サウンド・オブ・ミュージック』も『菩提樹』もノンベルク修道院にフォーカスが当たっております。ノンベルク修道院は、カトリック教会最古の修道会であるベネディクト会に所属しており「祈りと労働」を主軸とした戒律によって現在も活動が続けられている修道院となっています。715年に聖ルパートによって創建されたドイツ語圏で最も古い女子修道院となっています。1423年、ノンベルク修道院は大規模な火災によって全焼する事態となりました。1464年より30年近くかけてロマネスク様式の基礎の上に教会を再建しました。修道院は幾度となく資金不足による窮地に陥ったものの、農場を利用した経営と質素な生活でもって現在も運用されている長い歴史を持つ修道院となっています。このような歴史あり敬虔な空気感と対照的な存在としてマリアが登場するのです。ちなみに、ノンベルク修道院は現在教会と墓地の部分のみ自由に立ち入りができるとのこと。
63.エリザベート 1878(Corsage、マリー・クロイツァー、2022)|シェーンブルン宮殿
シェーンブルン宮殿は女帝マリア・テレジアによって独特な黄色の外壁が特徴的なバロック様式とロココ様式が施された内装に増改築されたオーストリア・ウィーンの顔ともいえる宮殿です。
元々は、17世紀末に神聖ローマ皇帝1世がバロック様式の建築家であるフィッシャー・フォン・エアラッハに命じて建造した宮殿となっています。1740年にマリア・テレジアがハプスブルク家の家督を継承したことによって、シェーンブルン宮殿の増改築が行われました。シェーンブルン宮殿はウィーン会議や冷戦時の米ソ対立を決定的なものにした1961年の会議など歴史の舞台となった場所としても知られている。
そんなシェーンブルン宮殿が撮影地に使われた映画として『エリザベート 1878』があります。本作は、2022年の第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門にてヴィッキー・クリープスが最優秀演技賞を受賞した作品となっています。
1877年、クリスマスイヴに40歳の誕生日を迎えたオーストリアの皇妃エリザベートの1年を描いた作品となっています。浮気性の夫である皇帝フランツ・ヨーゼフとの関係や世間体を気にした外向きに窮屈さを抱えているエリザベートの葛藤が描かれる。
本作は、パブロ・ララインが『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』や『スペンサー ダイアナの決意』などで描いてきた、政治家の苦悩を建物と衣裳によって表現した演出を深化させたような印象を受けます。シェーンブルン宮殿の荘厳な外観と、饗宴的な内観を人間心理に反映させている。エリザベートはオーストリア皇妃としての堅い振る舞いを強いられている。だが、王室のプライベート空間ではその緊張は解ける。一方で、食事する時に彼女は楽しくなさそうな顔をする。時にはぽつんと空間だけが広く取られた場所で寂しく食にありつく。また、フランツに肉体関係を求めるも冷え切っている。空間は豪華絢爛ではあるも、そこに揺蕩う快楽はフランツに寄り添い、エリザベートの肉体からは滑り落ちていくのです。
孤独な彼女は、肉体を渇望するかのように痛みに擬似的な快楽を見出す。コルセットを使用人に締めてもらう場面が重要となってくる。自分を罰するかのように「締めて、もっと強く締めなさい」と命令する。自分を律するため、そして痛みによって実存を感じるため、渇望を癒すための行為として印象に残ります。
誰しもが一度は王様、姫として宮殿に住んでみたい夢を抱いたことがあるだろう。しかし、その実態はコサージュで着飾りながらも孤独で、人との繋がりや自由を渇望する世界に覆われていたのです。
64.ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区(Historic Centre、アキ・カウリスマキ、ペドロ・コスタ、ヴィクトル・エリセ、マノエル・ド・オリヴェイラ、2012)|ギマランイス歴史地区
アキ・カウリスマキ、ペドロ・コスタ、ヴィクトル・エリセ、マノエル・ド・オリヴェイラ、4人の巨匠がポルトガルの世界遺産ギマランイス歴史地区で短編映画を撮った。本作が興味深いのは、4人それぞれがギマランイスを舞台に異なる人間と時制との関係を紡いでいる点にあります。
アキ・カウリスマキ「バーテンダー」は、バーで働く男の哀愁漂う一日を現在系で描く。酒を提供し、テーブルを整える。ふと、路地から通りへ出ると、ライバル店が「火曜日のシェフのおすすめ」と看板を出している。豪華なメニューをメモする男。自分の貧相な看板を《漁師のスープ》と書き換えていく。市井の男のリアルな生活が紡がれていく。
ペドロ・コスタ「スウィート・エクソシスト」は、『ホース・マネー』へ繋がる内容となっている。1974年に発生した軍事クーデター・カーネーション革命をモチーフとした本作は、アフリカからの移民がエレベーターへ乗り込む。すると、兵士の彫像のような存在が彼に語りかけて来る。「太陽、太陽よ、ここには太陽がないんだ、坊や」と叫ぶ存在に対して彼はなだめていく。対話の中で移民としてポルトガルへやってきたものの、職を失い亡霊のように彷徨っているアフリカ移民像が浮かび上がる。虚構的空間を通じて過去へアクセスしようとしている。
ヴィクトル・エリセ「割れたガラス」は、閉鎖されたリオ・ヴィゼラ紡績繊維工場を舞台にしたドキュメンタリーとなっている。全盛期の白黒写真が展示されており、その前で当事者が語る。機械による事故で手が擦り剝けた話、一日30分しか授乳の時間が取れなかったため工場の近くでベビーシッターを雇う必要があったといった労働者の苦悩の記憶が活気づいた写真の前で展開される。つまり、産業発展の後景に追いやられた者たちの記憶を記録として残そうとする試みとなっている。
マノエル・ド・オリヴェイラ「征服者、征服さる」は、ギマランイス城を舞台にしている。大勢の観光客を前に国家発祥の地であるギマランイスの歴史が語られる。アフォンソ1世の前で観光客が写真を撮る。すると、軍が現れるも撤退する。観光客が写真を撮れる状態は平和であることをガイドはメガホンを通して示唆する。現在の時制で、非当事者がその地の歴史を語り継ぐことで平和へと繋げようとする。ある種、国際平和のために世界遺産条約にて教育・広報の項目が盛り込まれている裏に隠された、文化を伝えていくことが国際平和への道となる様を象徴したような一本となっているのです。
65.戦艦ポチョムキン(Battleship Popemkin、セルゲイ・エイゼンシュタイン、1925)|プリモルスキー階段(オデーサ)
2023年の世界遺産委員会は、ロシアのウクライナ侵攻により混乱を来たしました。当時の開催地はロシア・カザンであったのだが、戦争の加害国が世界遺産委員会の開催国になるとはどういうことかと物議を醸していた。ロシアもここで自ら辞退すれば加害を認めることとなり開催が危ぶまれました。第18回世界遺産委員会臨時会議にてサウジアラビア・リヤドでの開催に変更となり、最終的に世界遺産委員会は開催される運びとなった。この世界遺産委員会ではウクライナの世界遺産に関する議論が焦点となりました。暫定リストに掲載されていたオデーサの歴史地区は緊急的登録推薦にて世界遺産に登録されたのですが、この結果には問題を抱えていました。21か国が投票し、有効票の3分の2以上の賛成で登録となるのですが、この時の結果は賛成6、反対1、棄権14。確かに要件を満たしているのですが、有権国の半分以上が棄権する事態となりました。有効な投票だったのかと疑問が残る結果となりました。世界遺産登録はあくまでの人類全体にとって顕著な普遍的価値を有するかに焦点があてられるべきで、政治とはなるべく分けて考える必要がある。
実際にICOMOSの評価報告書では、「オデーサを中央行政庁舎を中心に設計された《理想都市》と見なすのは難しい」と記載している。締約国は「ルネサンス後期の《理想都市》の概念を理想的に反映した計画に基づいて開発され、ヨーロッパの文化史および都市計画史において他に類を見ない現象」を示した場所として推薦しているのだが、設計段階で《理想都市》の概念が盛り込まれていない点や傑出した古典的な都市と捉えることが難しい側面が指摘されています。つまり、オリーブとワインの土地ーバティールの丘:南エルサレムの文化的景観に近い世界遺産としての価値はないが、政治的理由で正規の登録手順を回避して強行採決したケースに近いといえるのです。
そんな問題を抱えたオデーサの歴史地区を扱った映画があります。それは『戦艦ポチョムキン』です。1905年6月にロシア海軍、戦艦ポチョムキンの乗組員が反乱を起こした事件を映画化した本作は強烈なヴィジュアルで一度観たら忘れられないものがあります。ボルシチ用の牛肉に蛆虫が発生する。スミルノフは調理前に洗い流せばよいと腐った牛肉を使用するよう命令する。それに反発した水兵たちが反乱でもって戦艦ポチョムキンを乗っ取りそのままオデーサへと上陸する。
本作最大の注目ポイントはプリモルスキー階段での戦闘だろう。水兵たちを歓迎する市民たちが警察に目をつけられる。そして、階段頂上で隊列を組むコサック兵によって撃ち殺される。群衆の団結が打ち砕かれる様を恐ろしいスペクタクルとして描いたこの場面は様々な領域に影響を与えています。たとえば、階段を落ちる赤子の場面はブライアン・デ・パルマ『アンタッチャブル』で、暴力にさらされた保母の顔はフランシス・ベーコンの絵画「映画『戦艦ポチョムキン』の中の保母のための習作」で引用されているのです。
66.テーマ 田舎の出会い(The Theme、グレブ・パンフィーロフ、1979)|スパソ・エフフィミエフ修道院(スーズダリ)
1987年のベルリン国際映画祭にて『海と毒薬』や『汚れた血』、『プラトーン』をおさえ最高賞を制した『テーマ 田舎の出会い』は、ロシア・スーズダリを舞台にした作品です。しかし、アメリカへ移住するか否かを悩むシーンが問題となり10年近くお蔵入りとなった上での公開、悲願の受賞となりました。ウラジーミル地域科学図書館のサイトによれば、辺鄙な地方都市であったスーズダリを国家によって世界的に有名な民俗芸術保護区と観光地にさせた一本とのこと。本作がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した数年後の1992年にウラジーミルやボゴリュボヴォ、キデクシャの構成遺産とあわせたシリアル・ノミネーション・サイトとして世界遺産に登録されました。
劇作家のエセーニンが新作のアイデアを求めてモスクワ北東部、首府ウラジーミルから26kmにある田舎町スーズダリへ訪れる。彼はスーズダリの地で自分が凡人であることを突き付けられ、精神的ダメージを受ける中、身を寄せた元教員マリアの教え子であり博物館ガイドのサーシャへ想いを馳せる。だが、彼女にすら自分の戯曲を批判され実存の危機に陥る。また、彼女はアメリカへ移住しようとする反体制派の男アンドレイとの間で葛藤を抱いていた。
映画はインスピレーションを求め表層的に土地を消費しようとする者がその傲慢さに絶望し、自己および他者から突き付けられる凡庸さを前に折り合いをつけていく内容となっています。
サーシャは、世界遺産ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群の構成遺産であるスパソ・エフフィミエフ修道院内にある博物館でガイドをしており、フランス語で詩人アレクサンドル・チジコフについて解説する姿が描かれている。エセーニンはフランス語がわからない。音だけが共鳴する博物館の一室で思索に逃避する。劇作家として言語を操りながらも、ソ連教育の犠牲によって他の言語に対して無知であることにコンプレックスを募らせていくのです。彼はニカっとサーシャへ笑みを浮かべるが蔑視の眼差しを向けられる。旅先では人気劇作家といった仮面は剥され、インテリだと思っていた自分が愚かな存在であることが現出する。エセーニンは自分のコンプレックスを癒してくれる存在としてサーシャへ歩み寄るが泥沼に沈んでいくこととなる。
映画はこの地を代表とする建造物スーズダリ・クレムリンをロングショットに捉え、スパソ・エフフィミエフ修道院内部で重厚な理論を主人公の外側で展開することによってその地の深層にあるナラティブを引き出し、複雑な心理を編み込んでいるのです。
日本ではほとんど観る手段がない作品だが、ロシア最大の映画スタジオであるモスフィルムの公式YouTubeチャンネルにて英語字幕で鑑賞することができます。
67.アワーミュージック(Our Music、ジャン=リュック・ゴダール、2004)|スタリ・モスト
ジャン=リュック・ゴダールは、映画における多層性を通じて歴史や政治、哲学を語り人類の普遍的な問題へと向き合う監督。そんな彼の《詩学(MUSIC)》ともいえる『アワーミュージック』では、世界遺産モスタル旧市街にあるスタリ・モストを巡る話をイメージに凝縮させて描いています。
『アワーミュージック』は、ダンテ「神曲」における地獄編/煉獄編/天国編の構成からなるエッセイドキュメンタリー。第一部の地獄編では、セルゲイ・エイゼンシュテインから『キッスで殺せ!』、『トップガン』にいたるまで膨大な戦争映画など暴力映画のフッテージから構成される地獄が展開される。第二部ではサラエヴォ在住の女学生でテロリストと間違えられたため、エルサレムで殺害されたオルガ・ブロツキーの映像を受け取ったゴダールが描かれる。「神曲」における煉獄編は罪を贖う物語であり、パレスチナやサラエヴォなどの問題を前にどのように前進していくのかを模索する内容となっている。そして、第三部の天国編ではあまりにも美しい森の中でオルガが現れ、糧を分け合う物語が展開されます。
映画の中盤でボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で破壊された橋で再建途中のスタリ・モストを訪れます。本作はヒトがイメージを見間違える様をメタ的に捉えながら世界をどのようにみたらよいのかを検討している。スタリ・モストを前にアメリカ先住民の姿をした人物を立たせる。これはスタリ・モスト再見から連想される歴史の要素が、先住民の歴史へと結びついてしまっている様を示唆している。映画は反復するようにイメージが無意識の内に他のイメージに書き換えられてしまう状況を指摘している。たとえば、ゴダールがレクチャーする場面でリッチモンドの写真を提示しているにもかかわらず、ワルシャワやサラエヴォといった異なる土地を連想してしまう。ナチスのユダヤ人に対する虐殺とイスラエル・パレスチナ問題を類似のものに捉えてしまう様などが指摘される。
イメージを履き違え、当事者になれない自分たちは遠く離れた悲劇に寄り添うことができるのか。ゴダールはイメージ同士の繋がりを観客に意識させること、つまりイメージの受容をメタ的に意識することこそが重要であると映像で語る。現実の悲劇を前にしても映画監督としてのイメージの編集といったノイズが、歴史から遠ざけてしまいそうになる中でその欲動とどのように折り合いをつけていいのかといったゴダールの葛藤は我々も他人事ではない。
たとえば、観光としてその地を訪れた時に我々は自分の中の欲望のイメージと結びつけてしまいがちである。その地の歴史の髄にまで踏み込めないもどかしさがある。一方で、イメージの連想はその地の歴史へ関心を向ける行動でもあったりする。その揺らぎを剥き出しのまま提示したのが『アワーミュージック』なのです。
68.猫に裁かれる人たち(When the Cat Comes、ヴォイチェフ・ヤスニー、1963)|テルチ歴史地区
時計台から鐘が鳴る。パカっと時計台の一部が開き、おじいさんが現れ、「昔々あるところに」と語り始める。そして時計台から街並みを見渡す。子どもたちや大人たちが映し出される。このバラバラになった町の人たちがメガネ猫をきっかけで一つになる寓話となっている。小さな町でサーカスが開催される。黒子を使った見事なパフォーマンスは町の人同様に、映画を観る者も魅了する。そして終盤にメガネをかけた猫が降臨する。猫がメガネを取ると、あら不思議。人々は赤、青、黄色などとサイケデリックな色に染まりはじめる。そして本能に任せて踊り、狼狽し、乱闘を開始する。乱闘は呪術を使っているかのようなもの。無の空間を押し合い引き合いしながらもみくちゃとなる。本作は、サイレント映画のような人間の運動にこだわった作品となっており、セリフはかなり抑えられている。人の性格を色で染めてしまう猫による騒動をダイナミックな運動で描いてみせた一本となっています。

※Wikipediaより画像引用
そんなユニークな作品『猫に裁かれる人たち』は、チェコの世界遺産テルチ歴史地区を舞台にしている。モラヴィアの真珠と呼ばれるこの地では、ルネサンス様式とバロック様式が織り交ざったパステルカラーの建物が所狭しと並んでおり、ファンタジー映画を盛り上げる空間を生み出している。このカラフルな壁は、家主に自由裁量が与えられていたことに起因する。家主は建設時や改築時に自由に外観を作り込むことができたため、壁の色はもちろん、建築様式もロココや古典スタイルといった多様性に溢れたものとなった。テルチ歴史地区が面白いのは、家主に自由裁量が与えられ、各々が独自の建物を建設・改築しているにもかかわらず雑多な印象を感じられない点にあります。町を俯瞰してみると歴史地区として一貫した空気感が流れているのです。
このような空間で子どもたちはテルチの街並みや学校に猫の痕跡を示す絵を貼り、軍団になって猫のイラストを掲げて走ったりする。大人たちは見つかった猫を取り上げて、大人の圧力で潰そうとするのだが、そこに時計台のおじさんが現れて魔法をかける。すると、老若男女、一つの方向に歩き始める。魔法を前に人々が一つになるフィクションとしての力強さを、近くからのショットと遠くからのショットを巧みに組み合わせて描く。まさしく、『猫に裁かれる人たち』においてテルチ歴史地区は影の主人公として映画を魅力的なものに押し上げているのです。
69.恐竜が教えてくれたこと(My Extraordinary Summer with Tess、ステフェン・ワウテルロウト、2019)|ワッデン海
オランダ、デンマーク、ドイツにまたがる世界最大級の干潟・ワッデン海。毎年1,000万~1,200万羽が通過する渡り鳥の東大西洋フライウェイの中心に位置しており世界規模の生物多様性を担っている場所として知られています。これらの国は1978年に3国ワッデン海協力協定を結び、保護区全体の管理を円滑に進める体制を整えており、また各国の保全活動が功を奏し大規模な生態系が維持されています。そのため、2009年に世界遺産に登録されました。
ワッデン海はリゾート地としても知られており『恐竜が教えてくれたこと』では、少年サムの過ごすバカンス地としてワッデン海に浮かぶテルスヘリング島が選ばれています。アンナ・ウォルツによる児童文学「ぼくとテスの秘密の七日間」を映画化した本作では、テルスヘリング島にやってきた少年サムが医者の娘に想いを馳せる。邦題はサムが「地球最後の恐竜は、自分が最後だということを知っていたのか」と思い悩む様から取られている。
鱈のフライを片手にサムが町を歩いていると庭で作業をしている少女に吸い寄せられる。彼女をガン見しているところがバレてしまいドイツ語で話しかけられる。強気な彼女テスは彼をサルサの練習に誘い仲良くなる。彼女は母とふたりで暮らしているのだが、生き別れた父がどうやらテルスヘリング島にいるらしい。サムは彼女のために行方不明の父を探そうとする。
ワッデン海はフランスのバカンス映画に出てくるリゾート地とは少し趣が異なる。確かに青空と白い砂浜が融和し、そこにアクセントとして緑が眼前に飛び込んでくる様は美しいのだが、画面からは少し肌寒さを感じる。荒涼と紙一重の空間は、バカンスという開放的な感覚と内に向かっていく孤独さが共存する場として機能しています。その対極を一期一会の出会いがつなぎ止め、そこで生まれる親密さが、個々の孤独を心理的、または物理的に結び付けていくのです。実際に、本作はバカンスを舞台にしているのだが、会話自体はどこか翳りがある。たとえば、兄ヨーレとの場面。彼は骨折してしまい折角のバカンスが台無しになっていることに苛立っている。彼が車椅子で散歩しているところを、サムが手伝おうとすると「やめろ、触ったらぶちのめすぞ」と怒る。ヨーレは、テスとの関係性を訊く。そして恋愛のアドバイスを始める。あくまで骨折により散々となったバカンスに苛立っており、目は合わせずともサムと会話自体はする。サムもそれに応えるため、ふたりの間に少しの隙間はありつつも一定の距離からは離れない。このような絶妙にヒリついた空気感をワッデン海の景色が作り上げていくのです。
70.007/ユア・アイズ・オンリー(For Your Eyes Only、ジョン・グレン、1981)|メテオラ
大人気スパイアクションシリーズ『007』。世界を股に国家の危機に立ち向かう英国秘密諜報部(MI6)諜報員ジェームズ・ボンドのスマートな活躍っぷりはいつ観ても興奮するものがあります。彼はしばしば世界遺産に赴きミッションをこなします。『007は二度死ぬ』においてボンドは姫路城にて武術の修業を行っている。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』ではイタリアのマテーラを舞台に激しいアクションが展開されています。
「死ぬまでに観たい世界遺産映画101」で007映画を扱うとしたらどこにしようかと思った際にひとつ紹介したい作品がありました。それは『007/ユア・アイズ・オンリー』です。シリーズ12作目ロジャー・ムーア演じるボンドが陸海空縦横無尽に駆け回りながらミッションを攻略していく本作。冒頭からハッキングされたヘリコプターが建物の隙間へと潜り込んでしまい絶体絶命な状態から脱するハラハラドキドキするアクションが展開されるほか、ボブスレーの試合会場にスキーで乱入し、前方を疾走するボブスレーを追いつつ、後ろから刺客に追われる荒唐無稽な展開に笑うポップコーンムービーへと仕上がっている。
そんな本作のクライマックスにてクリスタトスのアジトである崖の上の要塞へと侵入する。この特徴的な要塞は、ギリシャの世界遺産メテオラで撮影されました。
メテオラは11世紀頃、ギリシャ正教の修道士が世俗生活を断ち切り、敬虔な宗教活動に没頭する場所として移り住みました。当時は岩の麓で暮らしていたのですが、14世紀にセルビア人が侵略してきたことにより、岩の頂上に共同体をつくるようになりました。メタモルフォシス修道院やアギオス・ステファノス修道院などは現在でも使用されている修道院となっています。映画ではアジトに侵入したボンドが、小屋から籠を降ろす場面がある。これは実際に修道士が物資を輸送するために使用していたものとなっています。
ちなみに、メテオラは6000万年前に三角州の河川堆積物が地震や雨風によって削り取られ、巨大で独特な美的価値を有する自然美を生み出したということで登録基準(vii)も認められている複合遺産となっています。
また、多くの世界遺産では持続可能な遺産保護として観光による地域経済の活性化とのバランスを調整する必要があり、専門の機関が取り仕切っているのだが、メテオラの場合、文化スポーツ省が担当している。ギリシャでは、スポーツは文化に含まれるのではなく等価な存在であることに今回の執筆で驚かされました。
【目次】
【参考文献】
・すべてがわかる世界遺産1500(上巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局 、2024/3/22)
・すべてがわかる世界遺産1500(下巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局 、2024/3/22)
・羊飼いの暮らし──イギリス湖水地方の四季(ジェイムズ・リーバンクス、早川書房、2018/7/19)
・Sleeping Beauty Castle Walkthrough(Disneyland)
・バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮城群: ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、シャッヒェン、ヘレンキームゼー - 夢想から現実へ(UNESCO)
・ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観(UNESCO)
・■ 研究員ブログ192 ■ 第45回世界遺産委員会はサウジアラビアのリヤドで開催決定!(宮澤光、世界遺産検定、2023/2/1)
・プリモルスキー階段(UNESCO)
・ノンベルグ修道院サイト
・Фильм с трудной судьбой: «Тема»(ウラジーミル地域科学図書館)
・ゴダ-ル的方法(平倉圭、インスクリプト、2010/12/1)
・メテオラ(UNESCO)
※サムネイルの写真は『関心領域』の舞台になった「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」です。(筆者撮影)
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