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死ぬまでに観たい世界遺産映画101《第3章:中東編》

第3章:中東編


31.インディ・ジョーンズ 最後の聖戦(Indiana Jones and the Last Crusade、スティーヴン・スピルバーグ、1989)|エル・ハズネ(ペトラ)

スティーヴン・スピルバーグの不朽の名作シリーズ『インディ・ジョーンズ』のシリーズ3作目《最後の聖戦》は世界遺産映画の代表作でもあります。

ハリソン・フォード演じるインディアナ・ジョーンズが父ヘンリー・ジョーンズ・シニア(ショーン・コネリー)と共に、イエス・キリストの聖杯を探しに砂漠の奥地にある神殿を目指す。細い岩壁の隙間を縫うように進んでいき、突如現れる圧巻の神殿。これはヨルダンにあるエル・ハズネです。「宝物庫」を意味するエル・ハズネは隊商都市ペトラの構成遺産。紀元前2世紀にナバテア王国の首都として栄えました。この地は乾燥地帯ではあるものの、広大な貯水槽によるネットワークが形成されており、その独創的な水管理システムとアラビアの香料や中国の絹織物、インドの香辛料を運ぶ交易の場として発展していきました。しかし、ローマ帝国に併合されたため7世紀頃に廃墟と化した。19世紀にスイス人学者ヨハン・ルートヴィッヒ・ブルクハルトが発見したことで発掘調査が行われました。

映画では永遠の命を得ようとするナチスと戦いながら聖杯を手にしようとするジョーンズ親子の活躍が描かれていた。本作は大衆娯楽映画としてハラハラドキドキさせられる冒険の連続となっている。列車や戦車が爆走する中で、内側/外側を行き来しながら縦横無尽に戦っていく場面は大人になっても色褪せない面白さがあります。一方で頽廃芸術との戦いを描いた真面目な歴史ドラマとして観ることもできる。

映画の舞台となっている1930年代後半。当時のナチスは芸術を政府の管理下に置き、自由な創作を禁じる政策を行っていました。それに反するものを「頽廃芸術」と称し略奪、破壊を行っていました。映画の中では、ベルリンの街で陽気な音楽に合わせて焚書が行われている場面がある。兵士たちが業火の山に本を投げ入れる。その横で行進が行われている。考古学者として未知なる世界を探求しようとするジョーンズ親子に対して、遺産や美術品を恣意的に破壊すべきか手に入れるべきかを振り分け表層的な宝に目がくらむ存在としてナチスが描かれているのです。

遺産はペトラに留まらずピラミッドなど、常に墓泥棒や戦争による破壊に晒されている。適切に当時の文化を精査し、保護していく活動を阻害している。『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』は後にナチスの恐怖を描いた『シンドラーのリスト』を作るスピルバーグ監督による予行練習的一本であると共に考古学者が果たすべき目的を荒唐無稽なアクションで包み込んだ冒険活劇といえることでしょう。

ちなみにUNESCOによれば、ペトラの遺跡群は現在、観光と遺産保護との両立で課題を抱えています。インフラ整備やキャンプ場、レストランの建築が遺産の保全性に影響を与える可能性があると危惧されている。一方で地域経済や社会的持続性に貢献するために観光収入を増やす必要もあり、ペトラ遺跡公園運営計画に基づいて遺産の管理が進められています。

32.ゴルゴ13(佐藤純彌、1973)|ペルセポリス

さいとう・たかをによる人気漫画「ゴルゴ13」が実写映画化されているのをご存知だろうか。『新幹線大爆破』で知られる大衆映画の巨匠・佐藤純彌監督が高倉健主演に実写化したのです。この作品はユニークな手法が取られている。まず、全編イランで撮影が行われ、高倉健以外の役者は現地の俳優が起用されている。そして漫画のタッチを再現するために、登場人物のセリフはすべて日本語で吹き替えられている。

このような異色作だが、ロケ地も面白い。世界遺産になる前のイマーム・モスクやペルセポリスでアクションシーンが撮影されているのです。イマーム・モスクの上ではパルクールしながら戦う。ペルセポリスでは遺跡に紛れて銃撃戦を行ったりとまるで007のような大作でしか観られない光景が『ゴルゴ13』の世界で展開されるのです。特にペルセポリスは、今やガラスで覆われたり観光地として整備されていたりしていて剥き出しの遺跡としてのロマンが失われているため、本作での素材の味を活かしたロケーションは貴重なものとなっている。また、アケメネス朝ペルシアは繁栄した一方で度重なる他国との戦争に疲弊し、ペルセポリスは最終的にアレクサンドロス王率いるマケドニア軍の侵略を受けて滅亡した。政治戦の場所でもあるから『ゴルゴ13』の舞台として相応しいロケーションとなっている。

本作は拳銃コルトは俺のパスポート』時代、銃撃戦を如何にカッコよく撮るかにこだわっていた時代だけあって、イランの街並みを単に観光として収めるのではなく、その土地でしか撮れない画として活かしていくところにスマートさを感じるのです。

また、漫画の構図を徹底的に意識したカメラワークが特徴的でもある。役者全員が綺麗に画に収まるよう構成する。車を停車させ、門をくぐり遺跡に入る場面も、車が門の奥の光の領域に収まるように配置する。人質が死ぬ様子を真横から撮り、カメラが引くと岩影に隠れたゴルゴ13がいる。彼が走ると遠くに並走する人がいるなど、ダイナミックな構図が魅力的となっている。中でもゴルゴ13が遺跡に入っていく場面が印象的。水を掬うと、銃弾が掠める。標的が降参したと思うと、義足から銃が飛び出し、早撃ちが勃発する流れの空間・人・銃弾の三角関係が織りなす魅力は格別な映像体験といえよう。まるでセルジオ・レオーネの映画を観ているような豊穣な時間のアクションを楽しむことができる異色作、それが実写版『ゴルゴ13』なのです。

33.タタール人の砂漠(The Desert of the Tartars、ヴァレリオ・ズルリーニ、1976)|アルゲ・バム

小説家の万城目学がNHKラジオ深夜便にて紹介したことで注目されたディーノ・ブッツァーティ「タタール人の砂漠」。本作は、僻地の要塞に配属されたジョヴァンニ・ドローゴ将校がいつか訪れるであろうタタール人との戦闘を待ち侘びながら、ルーティンともいえる厳格な軍の仕事に身を投じていく内容となっています。「何も起こらないのにおもしろい」と評された本作は、会社での不条理な人間関係やタスクに振り回されながらも順応してしまう社会人の悲哀を形而上的空間としての要塞との関係性で幻想的に浮かび上がらせている。

そんな「タタール人の砂漠」は映画化もされている。『鞄を持った女』や『家族日誌』で知られるヴァレリオ・ズルリーニは小説ならではの幻想的な要塞をイメージに落とし込むべくイランの世界遺産アルゲ・バムへと向かいました。

アルゲ・バムは、ササン朝ペルシア時代に建てられ交易ルートの重要なオアシス都市として数百年間に渡り栄えた要塞です。1722年にアフガン人に侵攻されて以降、住民はこの地を放棄して廃墟となった。荒涼とした地に日干しレンガを積んだだけの三重構造の要塞は人間心理を描くのに格好の場所となりました。

ドローゴ将校が派遣される要塞の内側では、青く綺麗な軍服を纏った兵士たちが日々鍛錬をしている。しかし、要塞の見張りから砂漠を見渡しても人の気配が感じられない程に空虚が広がっている。複雑で堅牢な要塞の中では、ドローゴ将校だけでなく多くの兵士たちがいつかタタール人が攻めてきて、その戦いに打ち勝つことによって名誉を得る未来を待ち望んでいる。禁欲的で異様な軍の儀礼、領域の外側との接触のなさは感覚を麻痺させていき老いや心身の病に鈍感となる。映画も原作同様、時間的行間がある。気がつけば数年経過している様に哀愁を感じる。面白いことに上映時間は約2時間半と長尺の部類に入るのだが、体感時間が比較的短く感じる。そのため、ドローゴ将校と同じ時間の流れを観客も体感できるのです。

そして、アルゲ・バム特有の廃墟でありながら複雑な堅牢さは、待つべき戦争が訪れない空気、そして外の社会と隔絶させた孤独、その中での脆さを両立させるイメージを与える。侵攻によってあっけなく放棄された歴史も相まって本作と共鳴するものがある。

映画の魅力を底上げするアルゲ・バムだが、世界遺産に登録された背景は複雑なものとなっている。2003年にこの地で大地震が発生し、壊滅的な被害を受けました。そのため、翌年に「バムとその文化的景観」として世界遺産としてだけでなく危機遺産にも登録されました。約10年後の2013年に危機遺産を脱した。

34.ヘブロンでの任務(Mission Hebron、ロナ・シーガル、2020)|ヘブロン:アル・ハリールの旧市街

頻繁に日本でも報道されるイスラエル・パレスチナ問題。世界遺産の領域でも激しい軋轢が生じている。パレスチナは2026年現在、4件の世界遺産が登録されているのだが、そのうち3件は緊急的登録推薦でのものであった。緊急的登録推薦とは、災害や戦争・紛争などにより破壊の危機に晒されている遺産に対して、通常の推薦プロセスを省略して世界遺産リストに登録するかの審議を行うこと。顕著な普遍的価値が認められる場合かつ緊急度が高い遺産にのみ認められる例外措置となっています。

パレスチナは2012年に「イエス生誕の地:ベツヘルムの聖教教会と巡礼路」が漏水による建物崩壊の危機に瀕していたため、緊急的登録推薦を行い世界遺産に登録された。

次に「オリーブとワインの土地ーバティールの丘:南エルサレムの文化的景観」が緊急的登録推薦で世界遺産に登録されたのだが、これが物議を醸しました。当遺産は、ICOMOSから顕著な普遍的価値は認められないと不登録勧告が下されていた。しかし、イスラエルがこの地に分離壁を設置する計画がありバティールの農民が自分の土地に入れなくなる危険性から緊急的登録推薦で強硬的に世界遺産へ登録したのです。基本的に世界遺産委員会のスタンスとして、政治問題と世界遺産の価値は分けて考えるのだが、この遺産は極めて政治的な登録となりました。

そして2017年に「ヘブロン:アル・ハリールの旧市街」も同様に緊急的登録推薦で世界遺産に登録されたことにより、アメリカとイスラエルが猛反発し、UNESCOを脱退することとなった。アメリカは世界遺産委員会を運営するための分担金を多く支払っていた国だけに、運営資金に大きな影響をおよぼすこととなりました。

そんなヘブロンではユダヤ人入植者とイスラエル軍との間で激しい衝突が発生しています。イスラエル軍の立場から、この対立を描いた短編ドキュメンタリー『ヘブロンでの任務』を観ると事態の深刻さがわかる。

本作はヘブロンの作戦に従事した6人のイスラエル兵にインタビューをする。間には実際の軍事作戦の映像が挿入されるものとなっている。兵士にとって退屈ほど嫌なものはないとし、警備の任務の際にはじっと街を観察していると語る。その言動からは、どこか戦闘を欲しているような空気感が感じられる。

兵士たちの士気を高めるために甘やかす部屋が用意されているといった衝撃的な証言が飛び出してきます。ケーキやクッキー、グリルなどが用意されていた。そして、パレスチナ人を撃ったらピザのクーポン配布されるキャンペーンが行われていた。これらのサービスに対して素晴らしかったと嬉々として語るのです。すぐそばで非人道的行為が行われているにもかかわらず、加害者側は悦楽に浸る。退屈さを紛らわすためにシステマティックに快楽を与える仕組みのグロテスクさはある意味一見の価値があると言えよう。

35.迷子の警察音楽隊(The Band's Visit、エラン・コリリン、2007)|ネゲヴ

イスラエル南部のネゲヴ砂漠は、紀元前3~2世紀にかけてナバテア人が乳香や没薬の商売のために通過した歴史を持つ。この地では城塞や宿、農業のための灌漑施設などが建てられ開拓されていきました。砂漠と聞けば未開拓な不毛の地といった印象を受けるのだが、高度に文明が発展し栄えていたのです。

イスラエル映画『迷子の警察音楽隊』は、かつて商人がネゲヴの町へ立ち寄り休息や文化交流した歴史を思わせるような旅路を描いています。エジプトの警察音楽隊が出張でイスラエルのペタフ・ティクヴァ(Petah Tikva)にあるアラブ文化センターを目指す。しかし、アラビア語は一般的にpの音がなくbの音で代用して発音されるため、バスのチケット発券の際に「ベタハティクヴァ」と発音。それが架空の町ベタ・ティクヴァ(Beit Hatikva)と勘違いされてしまう。かくして、警察音楽隊は荒野へと放たれてしまう。隊長は大きなミスを犯した責任を感じつつもプライドが高く、荒野を彷徨いながら意地でも問題を解決しようとする。しかし、食料も乏しくひたすら歩き続ける不毛さから不満の声が高まる。

そこで、町の食堂で昼食を取り、泊めてくれる人を探す。映画はその場しのぎのイスラエル人との交流を描いている。この関係性は地味なもので、エジプト人もイスラエル人も互いに怪しみながらも食事を共にし、ダンスフロアで踊る。旅する者を迎え入れる中継地点として機能しているのです。

映画は廃墟のように見える荒野のロングショットと人間が集まり言葉だけではない空気感や身体表象が織り成す空間を対比させることによって文化交流の味わい深さを表現しています。また、アキ・カウリスマキ映画のように大きく人間は変わらないし、ドライに思える距離感はありつつも、時にしっとりとした関係性やユーモアが垣間見れる瞬間を捉えております。

そんな本作は第20回東京国際映画祭で最優秀作品賞にあたるサクラグランプリを受賞したほか、国際的に評価されブロードウェイミュージカルにもなった。ミュージカル版は『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』として日本でも上演されました。

※Beit Hatikvaは日本語記事を調べるとベイト・ハティクヴァと書かれていることがあるが、ペタフ・ティクヴァとの類似性や実際の発音を聞いて比較した際にこれだと、なんで聞き間違いが発生したのかが伝わりにくいので当記事ではベタ・ティクヴァと表記しました。

36.The Giant Buddhas(クリスチャン・フレイ、2005)|バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

2001年3月、タリバン政権は偶像崇拝禁止のイスラム教信仰を理由にバーミヤン渓谷の遺跡を爆破した。磨崖仏だけでなく壁画など遺跡の8割が失われてしまった。その後、アメリカによるアフガニスタン侵攻でタリバン政権は崩壊し、国際的な修復と保護活動が本格化しました。世界遺産の文脈では、2003年に仏龕が崩壊する危険性や盗掘などのリスクから危機遺産として登録され、修復作業を行っている。

スイスのドキュメンタリー作家クリスチャン・フレイは、タリバン政権による遺跡破壊の周辺事情を追った『The Giant Buddhas』を発表している。映画はまず、バーミヤン渓谷に住む人々に取材するところから始まる。70年に渡り洞窟で生活してきた一族。穴に火をくべ、ナンを作り、微かな灯りの中で食事を共にする。ロングショットで岩壁に空けられた穴からいくつかの煙が上がるところが映り、集落がそこにあることを示していく。タリバンはこの集落を軽蔑しており、追い出そうとしている。「タジキスタンとかウズベキスタンへ行っちまえ!」と圧をかけられているようだ。

クリスチャン・フレイはこの地の歴史を深堀りしていくため、中国の僧侶・玄奘の旅に着目する。彼は16年にもおよぶ行脚でアフガニスタンにたどり着く。その時に目撃した遺産の様子が日記に記されている。7世紀頃には既に存在していたことがわかります。

そして本作が興味深い点は、タリバン政権による破壊行為の思わぬ影響にあります。まず、UNESCOは専門家を送り込んで崖に遺された破片を集めて復元しようと考えているのだが、その近くで貧しく迫害された住民の困惑がある。また、中国の楽山大仏の近くでは観光名所としてバーミヤンの磨崖仏のレプリカを作ろうとする動きがあったらしい。カメラはそのレプリカの場所へ向かうのだが「入れません」と断られる。

クリスチャン・フレイはスペクタクルのような事件により、世界の関心がアフガニスタンへ向かいつつも、本当に当事者へ歩み寄れているのか。事件を消費しているにすぎないのではといったことを、玄奘の旅に自分を重ねながら描いていく。バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群は遺跡そのものと事件にばかり目が向いており、その地に住む人々と遺跡との関係性は関心領域外へと追いやられてしまっている気がする。世界遺産は顕著な普遍的価値を有する遺産を人類全体の宝として保護していくためのフレームではあるが、そこに潜む欠点に踏み込んだ一本ともいえよう。

37.二つの季節しかない村(About Dry Grasses、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、2023)|ネムルト・ダー

辺鄙な田舎の村でくすぶっている美術教師サメットが新学期に授業を始めるところから始める。「親には言うんじゃねぇよ、俺が叩いたとか蹴ったとか」といきなり体罰の気配を感じる。生徒の声からも、特定の生徒を贔屓にしている厭な教師であることがうかがえる。そんなサメットは職員室ではなく、物置小屋のような場所を拠点にしているのだが、ある日、流出したセヴィムのラブレターと思われるものを入手。この部屋でニヤつく顔を見せないようにしながら読み始める。そこへセヴィムが現れ「手紙を返して」と懇願されるのだが、「俺は知らないよ」としらばっくれる。執拗で陰惨な問答が行われる。

これは因果応報のように校長室へと返ってくる。別の日に職員室へ呼び出されたサメットは生徒から不適切な接触があったと告発されていると言われる。「誰だ?」とキレだすのだが、コンプライアンスがしっかりしているため、関係者は一切告発者の名を発しない。一方で、この事件は内々で処理されることとなる。表沙汰にはならなかったものの、村で噂をされるかもしれないという被害妄想と自己弁護に脳が支配され、心の拠り所を探す中で義足の女ヌライをターゲットにする。

第76回カンヌ国際映画祭にて女優賞(メルベ・ディズダル)を受賞した『二つの季節しかない村』は、加害者である男がその加害性を否定するために心の避暑地を見つけようとする醜悪さを辛辣に描いています。カメラはサメットの会話を捉え、その端々にプライドの高さや冷笑を見出している。例えば、ヌライとの会食の場面で、国際平和について語る彼女に対して「世界全てを救うのは無理だ」と冷笑し、その振る舞いに対し詰められると、なんとかマンスプレイニングを成功させようと詭弁を捲し立てながら勝利し、肉体関係へと持ち込んでいく。彼の利己的な側面はその前に生徒に「勉強なんてしたって無駄だ、お前らはブルジョワのためにジャガイモやテンサイを育てることしかできないからな」と教師として最悪な呪いの言葉をぶちまけている。生徒に対するむき出しの暴力性に対して、冷静さを装いつつもヌライをコントロールしようとする展開にゾッとさせられる。

本作の終盤では、トルコの世界遺産ネムルト・ダーにて自慰ポエムを独白しながら山を登り、回想する場面で明らかとなる。「セヴィム、いろいろあったが、お前はいい女だ」と語りはじめます。内なる他者として女学生を召喚し、疑似的に許しを与える凶悪さがここにある。だが、それは妄想の中で完結している訳ではなく、すでにヌライを避雷針にすることで達成されているのです。この場面でネムルト・ダーへ行くことは重要な意味を持っています。ネムルト・ダーはコンマゲネ王国のアンティオコス1世がネムルト山の山頂に自分を埋葬することで神聖化しようとした遺跡。つまり、サメットがネムルト山を登ることは、自分は悪くない存在であることを昇華させていく行為として観ることができるのです。

38.永遠の語らい(A Talking Picture、マノエル・ド・オリヴェイラ、2003)|アヤ・ソフィア

インド・ボンベイを目指してリスボンから地中海の航海へ出る。ベレンの塔、ポンペイ、エレクテイオン神殿にギザのピラミッドと世界遺産を巡りながら文明の交流を描いた永遠とわの語らい』はポルトガルの名匠マノエル・ド・オリヴェイラがアメリカ同時多発テロを受けて、静かに欧米至上主義を批判した一本となっている。

マノエル・ド・オリヴェイラ監督は『アブラハム渓谷』や『家宝』など、しばしば物語の装置として水の流れを利用している。ドウロ河の流れに船や列車を連動させる一方で、その土地に縛られた者の物語を展開することによって映画の本質を捉えている。つまり、映画とは人生に流れる時間の一部を抽出して繋ぐ芸術様式なのです。『永遠の語らい』はオリヴェイラが得意とする水の流れと点として散りばめられる物語を通じて、文明間の対話の歴史を掘り下げています。

クルーズ船は世界各国の港を訪れる。そしてそれぞれの観光地に降り立ち、ガイドや現地民との対話を通じて歴史へとアクセスする。船の中では乗客が各々の母国語を用いて人生について語っていくものの、ポルトガル人の親子がそのテーブルに着くと、唯一の共通言語である「英語」に切り替わる。英語は植民地化された言語であることが強調される。映画は土地を巡っていく過程で、文明間のパワーバランスの記憶が引き出されていく。特に重要なのはイスタンブルのアヤ・ソフィア。イスタンブルはアジアとヨーロッパの境目に位置するため、激動の歴史を歩んできた。395年にローマ帝国の分裂に伴い、ビザンツ帝国の首都になったが、1054年にキリスト教会が分裂し、ギリシャ正教会の本拠地となった。1453年にオスマン帝国の首都になると、アヤ・ソフィア大聖堂はキリスト教大聖堂からイスラム教モスクへと改築された。

映画は美しく静謐に世界を捉えながら、登場人物から語られるのは歴史の複雑なうねりの中で上書きされていく文化についてとなっている。映画は気が付けば「英語」で対話していることによるパワーバランスを受容しながらも、他の文化へ歩み寄ろうとする様を描く。しかし、皮肉なことにそのアクションが悲劇的な結末を迎えることでアメリカ同時多発テロへの追悼を行う。本作の原題は「語る映画(UM FILME FALADO)」となっている。世界遺産は第二次世界大戦が大量の破壊をもたらした反省から、文化をいかに伝えていくかを重視しており、世界遺産条約では教育・広報に関する章が設けられています。本作は映画の持つイメージと語りの特性を利用して、文化対立の歴史を伝え国際平和への祈りを捧げた一本といえよう。

【目次】

【参考文献】

すべてがわかる世界遺産1500(上巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局 、2024/3/22)
すべてがわかる世界遺産1500(中巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局 、2024/3/22)
ペトラ(UNESCO)
タタール人の砂漠(ブッツァーティ、岩波書店、2013/4/17)
東京外国語大学言語モジュール アラビア語 有声・両唇・破裂音

※サムネイルの写真は『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のロケ地でもある「エル・ハズネ(ペトラ)」です。(Wikipediaより引用)


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CHE BUNBUN 映画ブログ『チェ・ブンブンのティーマ』の管理人です。よろしければサポートよろしくお願いします。謎の映画探しの資金として活用させていただきます。