死ぬまでに観たい世界遺産映画101《第8章:アフリカ編》
第8章:アフリカ編
90.カイロ・タイム 異邦人(Cairo Time、ルバ・ナッダ、2009)|カイロの歴史地区
ガザ地区で働く国連職員の夫とのバカンスを楽しむため、妻のジュリエットはエジプト・カイロへと降り立つ。しかし、夫はトラブルによって到着が遅れるとのことで独り寂しく過ごすこととなる。待てども彼は来ないのでガザにまで迎えに行こうとするものの、途中で止められ彼女は再びカイロの町へと埋没する。フランツ・カフカの小説を思わせる不条理さを前にかつて夫の警備をしていたエジプト人タレクが歩み寄り、町を案内していく。これにより、不安で見えていなかったカイロの魅力を知ると共に、社会の複雑さを受け入れていく。
ジュリエットは雑誌VOUSの編集者として活躍している。タレクと夜のひと時を過ごしていると、物売りの子がヘアピンを買ってと歩み寄る。止めるタレクの手を振り払い、彼女は子どもとやり取りをする。「ジプシー経済、ストリート・チルドレンの記事を書こうかしら」と語る彼女に対して、「読者はエジプトの貧しい子に興味を持つ?」と尋ねるタレク。対して、「子どもたちは見放され自力で生きているわ。誰も気にしていない」と語る。彼女自身《VOUS》がフランス語から来ていることを知らないようなタレクに対して若干、話の通じない人かのように少し見下した、でもそれを悟られないような丁寧さで自分の活動の意義について語っているのだが、「あなたはよそ者だ。複雑な事情がある」と返される。映画の前半では、確かにカイロを彷徨っているのだが、町と人と対話せず表層をなぞっている彼女の姿が映し出され、映画の中盤以降では町の複雑さに吸い込まれていく構造となっている。彼女の滞在は長くない。だからカイロ、ないしエジプト社会の深部までたどり着くことはできないが、観光によって見える世界の変化を『カイロ・タイム 異邦人』は繊細に描いています。
DVDパッケージではピラミッドが強調されているが、本編ではカイロの歴史地区にフォーカスが当たっている。ガザへ行こうともカイロへ引き戻された彼女は、スルタン・ハサン・モスクへと訪れる。壁で囲まれ天井がアーチ状となっているイーワーンが四方を取り囲むチャハル・イーワーンの中庭へ足を運ぶ。ショットは建物が生み出す影と、光によって浮かび上がるアーチの輪郭、中央の水場が重厚に映し出される。礼拝する人々、市民が集うカフェでチェスやシーシャを嗜む、市場を巡る。エジプト人のありのままの生活、複雑な世界をそのままに受容していくのです。彼女のバカンスは観る者に本来あるべき旅のひとつの側面を魅せてくれました。
91.猛獣境ゴロンゴロ(Serengeti shall not die、ベルンハルト・グジメック、1960)|セレンゲティ国立公園
1950年代のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞は自然をテーマにした作品が多かった。ウォルト・ディズニーが手掛けた冒険シリーズ3作やルイ・マルが海洋学者 ジャック=イヴ・クストーと制作した『沈黙の世界』が受賞している。1959年の第32回アカデミー賞では、米ソ宇宙開発競争を描いた『The Race for Space』と一騎打ちとなった結果、セレンゲティ国立公園での活動を撮った『猛獣境ゴロンゴロ』が受賞しました。
本作は、ドイツ人獣医であるベルンハルト・グジメックが息子のミヒャエルと共にセレンゲティ国立公園の生態系の豊かさとそれを脅かす状況を世界に訴えかけるものとなっています。
世界遺産に詳しい方は、邦題に《ゴロンゴロ》とあるのでンゴロンゴロ保全地域の話ではと思うかもしれない。確かに本作は、ンゴロンゴロ・クレーターを中心に語っていく内容ではある。実はこれには複雑な事情があります。以前はセレンゲティ国立公園の中にンゴロンゴロ・クレーターがありました。1940年代頃からマサイ族は人口増加に伴い、ンゴロンゴロ・クレーターで狩猟・放牧生活を行うようになります。タンガニーカ政府は1951年にセレンゲティを国立公園に指定し、狩猟および放牧を禁じたのだが、マサイ族がそれに反発。その結果、ンゴロンゴロ・クレーターは国立公園から分離されることとなりました。
『猛獣境ゴロンゴロ』は、ハワード・ホークス『ハタリ!』さながらの緊迫感ある。小型機を低空で飛ばし、動物の群れを数えていく。シマウマを捕獲する途中でミヒャエルが車から投げ出され意識不明となる。さらには、マサイ族との対立も描かれており、軍が狩猟するマサイ族を捕まえる場面や小型機に槍が刺さる場面もある。もちろん、自然ドキュメンタリーとしてガゼルの出産やフンコロガシの行動などといった動物の生態系を大小余すことなく撮影しているわけだが、淡々と強烈なイメージが叩きつけられる。本作は、自然保護のためにマサイ族を悪として描いている問題点はあるものの、批判の矛先は外国人にも向けられている。裕福な欧米人がトロフィーハンティング目的でこの地を訪れ、ゾウやライオンを無暗に殺している問題を取り上げている。映画はすべての人々の文化的共通財産として動物は保護されるべきと訴えかけるのです。
この作品が重要なポイントとして、ベルンハルト・グジメックはタンガニーカが今後独立することを想定している点にある。タンガニーカが独立後、マサイ族との軋轢や欧米人の狩猟問題で再び美しい自然が破壊されないよう、このドキュメンタリーで自分たちの活動内容を記録し、タンガニーカだけでなく世界に伝えていく必要性があると語っている。その熱量の灯は半世紀以上経った今でも消えないのです。
92.ナオト・インティライミ冒険記 旅歌ダイアリー2 後編(加藤肇、2018)|ケープ・コースト城
シンガーソングライターであるナオト・インティライミが世界を旅しながら音楽と向き合う旅歌ダイアリーシリーズ。2の後編ではセネガルの世界遺産であるゴレ島を諦めるシーンがある。
ゴレ島は1978年に世界初の世界遺産のひとつとして登録されました。17~18世紀、三角貿易の中心地としてゴレ島が機能しており、奴隷貿易が行われました。その非人道的な歴史を忘れないようにする負の遺産として世界遺産に登録されたのです。
長期に渡る旅の中で訪れる倦怠が、彼をゴレ島から遠ざけた。そのかわりに彼はガーナのケープ・コースト城へと向かう。ゴレ島の翌年に世界遺産に登録されたケープ・コースト城は、黄金海岸と呼ばれた金の産地・ガーナにおける重要拠点であるが奴隷貿易で栄えた歴史を有している。そのため、ゴレ島と同様に登録基準(ⅵ)、負の遺産として世界遺産に登録されました。
ケープ・コースト城を旅する中で映画は強烈なアクシデントに遭遇する。ガーナの奴隷博物館前で、怖い集団に取り囲まれるのです。しかし、カメラは止まらない。下手すると殺害される危険性があるにもかかわらず、緊迫感ある瞬間を撮り続ける。彼らは金を払えと強要する。しかし、ナオト・インティライミは落ち着いた姿勢で一銭も支払わない姿勢をみせる。そして、対話を始めるのです。『旅歌ダイアリー』1作目では植民地主義的上から目線で他国を見ていた印象が強かった彼だったが、他国にリスペクトを持ちながら会話をしていく成長は印象的。敬意を持ちながらその地を知ろうとする様に応えるようにケープ・コースト城があり、世界遺産というマクロな領域での国際平和における活動と、ナオト・インティライミが経験するミクロな世界で果たされる国際平和が結びつく瞬間に感動することだろう。
本作はシンガーソングライターであるナオト・インティライミならではの音楽を通じた国際交流の姿も収められています。たとえば、セネガルにてジェンベを教わるシーン。リズムが難しくなかなかコツが掴めない。しかし、ナオトは諦めることなく、セネガル人と音楽を通じたのコミュニケーションを取り続ける。そして、友情の証にジェンベまでゲットする。
またマダガスカルで、ナオトはバリハと呼ばれる竹の楽器を習いに行く。ミュージシャンでも全くもって歯が立たない楽器はあるんだと観客は気づかされる。何時間にも渡り、補講まで受けて習得しようとするが、やはり難しい。しかし、ナオトの表情に悲しみは一切ない。プライド故の苛立ちもない。しまいには、講師とのセッションで替え歌まで作ってしまう。軽やかなバリハのメロディーは奏でることができないが、ユーモアで旋律のコミュニケーションを図る姿に脱帽させられるのです。
93.シギ 1967-1973、言葉と死の発明(Sigui Synthèse 1967-1973、ジャン・ルーシュ、1981)| バンディアガラの断崖
『ある夏の記録』で知られているジャン・ルーシュ。彼は文化人類学者としてマリの世界遺産バンディアガラの断崖周辺のドゴン族に関して、長期に渡りフィールドワークしていたことはあまり知られていない。1951年の『断崖の墓場』から始まり断続的にドゴン族に関するドキュメンタリーを制作してきたジャン・ルーシュ。その集大成ともいえる作品が『シギ 1967-1973、言葉と死の発明』です。本作は以下8本、合計400分を超える内容を2時間に編集した総集編となっています。
・シギ零年
・シギ 1967、ユゴの鉄床
・シギ 1968、ティヨグの踊り手たち
・シギ 1969、ボンゴの洞窟
・シギ 1970、アマニの朗唱者
・シギ 1971、イディエリの砂丘
・シギ 1972、ヤメの腰巻き
・シギ 1973ー74、割礼の覆い
ドゴン族は60年に1度「シギの儀礼」が行われる。これは7年におよび村を転々としながら集落の男性ほとんどが参加する儀礼となっている。太鼓などの楽器を鳴らしながら練り歩く壮大な儀式の全貌を捉えていく。
映画はあくまでシギの儀式に焦点があてられているため、『シギ 1969、ボンゴの洞窟』で印象に残るあろうナイフで頭を削ってフケが削がれていくといった生活文化に関する場面はカットされている。
映画は1年ごとに異なるテーマを持つシギの儀式の特徴を掴もうとする。注目すべきは3年目の儀式だろう。ここではアナイという老人が紹介される。彼は今回2度目の参加となる。つまり推定120歳となり、怪しさはありつつも、老人から漂う異様なオーラに惹き込まれる。その後、白い特別な衣装を纏った男たちがY字の簡易椅子に座り、時が来るのを待つ。やがて太鼓を叩きならしながら行進をする。一度動き出すとダイナミックなうねりを魅せる。日本の盆踊りとは異なり、男たちは型となる踊りを逸脱し個性を魅せる。だが、俯瞰して観ると統率が取れている。この統率されたカオスに儀礼としての力強さを感じる。
映画の終盤になると、壁画を通じた文化の継承が行われる。ドゴン族がヘビやワニ、キツネとどのように対峙したのかの歴史が語られる。キツネは狡猾な象徴として知られているが、ドゴン族でも「嘘つき」というイメージがキツネに与えられている。男は「この世のすべてのウソをついたキツネとの戦った日が刻まれている」と解説する。現代において壁画を使ったナラティブの継承の文化はほとんどなくなってしまったため、貴重な文化資料となっている。
94.ダホメ(Dahomey、マティ・ディオプ、2024)|アボメーの王宮群
2021年11月、かつてフランスがダホメ王国から略奪した美術品26点がベナンへ返還されました。ダホメ王国はベナン南部にて17世紀初頭から300年に渡って栄えた王国となっています。奴隷貿易にて栄えた地であり、この一帯は奴隷海岸と呼ばれました。フランスのケ・ブランリー美術館に展示されていたダホメ王国の美術品がエマニュエル・マクロンの政策によってベナンの世界遺産アボメーの王宮群の構成遺産であるアボメー歴史博物館へ返還されました。2017年にマクロン大統領はブルキナファソの学生たちに「アフリカの遺産を返還することは最優先事項」だと語り、その過程でベナンにも美術品が返ってきたのです。
この歴史的瞬間を捉えた『ダホメ』が第74回ベルリン国際映画祭で上映され最高賞に輝いた。本作は68分とコンパクトにまとめながら、美術品返還問題の意義とその先へ眼差しを向けている。監督のマティ・ディオップは『アトランティクス』に引き続き霊的存在を通じて地続きの歴史を物語り、過去/現在/未来の点を繋ぐ。
冒頭、パリの夜道で恍惚と照らされるエッフェル塔の置物を売る移民が映し出される。たった数秒に満たないシーンだが、本作で最も重要な場面となっています。前半は、26番と呼ばれる置物が「誰もワシの本名を知らない」などと自虐的に観客へ語りかけながら、ベナンに輸送される過程を描く。後半は学生たちによる議論が行われる。本来は7,000点近くあるであろうダホメ王国美術のうち26点しか返還されていないことに対し政治的な目眩しなのではなどといった意見が飛び交う。マティ・ディオップは「教育・広報」の観点から美術品返還問題の意義を掴もうとする。実際にカメラの眼差しは、議論や演説されている声と市民生活のショットを重ねている。そして、展示された返還品をキラキラした目で眺める人々の姿を捉えていく。ここで、冒頭における置物売りのショットに意味が生じてくる。アフリカの移民がパリへ渡り、フランスの文化にしがみつきながら日銭を稼いでいる。しかし、植民地主義に抵抗するには自国の文化や歴史を知る必要があるのではないか。ユネスコは世界遺産条約の中で教育・広報を重視している。戦争や環境破壊が起きる要因として他国、他者への理解のなさがあると考え、世界遺産の背景にある歴史や保護技術を世界に伝えることで国際平和を実現しようとしているのだ。これは世界全体で見た時の思想であるが、個々の国で捉えた時に重要なことは自国の文化・歴史を知ることにある。
エドワード・W・サイード「オリエンタリズム」では、ヨーロッパにおける表層的な中東、アジア、アフリカに対する眼差しが強化されていく仕組みについて論じられています。まず、神話や魔術には自己を補完する機能があり、擬似的な経験として「事物が現に在る」がごとく存在している。 しかし、実際に現として現れるとそのまま残り続け他国の文化に対するイメージが強化されていく。19世紀、東洋研究者はテキストを中心に研究が行われてきた。そのため例えば、腕が8本あるインドの彫像を見ると興味を失ってしまう者がいました。
美術館・博物館の役割としてホンモノに触れる機会を与えることにある。確かに、映画の中では空間に留まらずダホメ王国の文化が幅広くベナン国民へ浸透する希望が描かれている。だが、本質的に重要なことは身近に自国を知るためのホンモノがあり、国民が文化・歴史を知ることで、ヨーロッパなどから注がれる植民地主義たる眼差しへ抵抗する思想が共有されることにあるといえよう。
95.ホテル・ルワンダ(Hotel Rwanda、テリー・ジョージ、2004)|ルワンダ虐殺の記憶の場所:ニャマタ、ムランビ、ビセセロ、ギソッチ
2023年の世界遺産登録から採用された概念「記憶の場」が適用された最初の世界遺産ルワンダ虐殺の記憶の場所:ニャマタ、ムランビ、ビセセロ、ギソッチ。1994年にルワンダのフツ族による武装組織「インテラハムウェ」によってツチ族に対する大量虐殺が行われました。ルワンダは1990年にツチ族の難民から構成される反政府組織「ルワンダ愛国戦線(RPF)」のルワンダ侵攻をきっかけとするルワンダ内戦で政情不安に陥っていました。1994年4月に発生したフツ族のジュベナール・ハビャリマナ大統領の暗殺事件をきっかけに大量虐殺が始まってしまったのです。
ルワンダ虐殺の記憶の場所は、人類が犯した非人道的な事象を記憶し後世に伝える場所として世界遺産登録を目指していたのだが、当初は近年の紛争の遺産として顕著な普遍的価値を証明するに乏しいとICOMOSが登録延期勧告を出していました。
しかし、2023年に新しい概念「記憶の場」を用いることでアルゼンチンの「ESMA博物館と記憶の場」、ベルギー/フランスの「第一次世界大戦(西部戦線)の慰霊と記憶の場」と共に世界遺産として登録されました。これはルワンダにとって初の文化遺産登録としても話題となりました。
1994年のルワンダ虐殺について知ることのできる映画がります。『ホテル・ルワンダ』は、ルワンダの主とキガリにあるホテル「オテル・デ・ミル・コリン」の経営者であるポール・ルセサバギナの物語を映画化している。アメリカでは数館で公開されたものの、口コミが話題となり翌月に2,300館に拡大され大ヒットしました。また、アカデミー賞では脚本賞を含む3部門にノミネートされました。ま日本では大規模な署名運動によって公開が決まり、単館からメジャー大作レベルの公開規模へと拡大し社会現象となりました。
映画はホテルの日常から始まる。ビールの調達を行う。町を車で巡っていると、フツ族によるデモが見える。カーラジオからは不穏なニュースが流れているが、その横で牧歌的な生活も営まれている。ホテルにジャーナリストが訪れる。彼らは「フツ族とツチ族はどう違うんだい?」と他の客やポールに尋ねる。外国人からすると全く見分けがつかないから。「定義ではツチ族の方が長身で上品、ベルギーの入植者が決めた」と語る。ヨーロッパによる人為的分断が紛争を激化させたことを示唆する。ジャーナリストは続けて「あなたは何族ですか?」と訊いて回る。ポールはフツ族であった。一方で客の中にはツチ族もいる。しかし、ホテルの中では諍いなく対等に接している。そんな中、虐殺の魔の手がホテルにまでおよぶ。武装組織は銃で脅す。ポールは、宿泊客を守ろうと金庫にしまってある金品や札、酒を交渉の材料にし惨劇を免れようと画策していく。やがて、国連軍やジャーナリストがホテルに集まり難を逃れたかに思えるが、ヨーロッパ人による差別的な態度や袋の鼠になっている状況を知り、武装組織との一触即発な対話を試み、苦渋の選択を強いられる。ドン・チードルによる人間臭い演技により壮絶なルワンダ虐殺の物語を知ることができるのです。
96.ヴィルンガ(Virunga、オーランド・ボン・アインシーデル、2014)|ヴィルンガ国立公園
コンゴ民主共和国にあるヴィルンガ国立公園は1925年にマウンテンゴリラの保護を目的に設立された自然遺産です。全世界の半数近いマウンテンゴリラの生息地として知られおり、世界遺産登録が始まり2年目にあたる1979年に自然遺産として登録されました。
しかし、隣接するルワンダでの虐殺による影響や密猟、汚職によりマウンテンゴリラだけではなくカバやゾウなどといった動物が虐殺されており、1994年より危機遺産に認定されています。
2014年にヴィルンガ国立公園の実態を描いたドキュメンタリー『ヴィルンガ』が制作されました。映画は冒頭で、コンゴ民主共和国が抱える複雑な歴史について説明しています。1885年、欧州諸国がアフリカを分割する中でこの地はベルギー領となる。1960年に独立を果たすものの、新たなる混迷の時代を迎える。これまで本国を搾取してきた外国企業がパトリス・ルムンバ首相に猛反発し暗殺する。90年代以降はルワンダ虐殺を起因とする内戦により、国内の資源は反政府勢力が掌握することとなった。この内戦では500万人もの人々が亡くなったのだが、先進国の電子産業はそんなことお構いなしにコンゴ民主共和国の資源を基に発展していった。ゼロ年代にようやく新政権が成立し、2006年には約40年ぶりの選挙が行われ、民主主義国としての一歩を歩み始めた。
ヴィルンガ国立公園の保護の物語はこのコンゴ民主共和国の歴史と密接に関わってくる。映画は国立公園を守るレンジャー隊に密着する。腕を失ったマウンテンゴリラ、野原に斬首され横転しているゾウの惨い姿が映し出される。レンジャー隊は動物を保護し、密猟者を捕まえるのが仕事であったのだが、調査する中で汚職の影がチラつく。イギリスの石油会社SOCOの代表がヴィルンガ国立公園で見つかった石油に目をつけて、レンジャー隊に賄賂を渡していたのです。映画は賄賂を渡す瞬間を捉えようと隠し撮りで黒幕との接触を試みます。また、同時期にM23反乱も発生しており、ヴィルンガ国立公園保護の困難さを物語ることとなっています。
先述の『ホテル・ルワンダ』と併せて観ると、利害関係によって非人道的であったり環境破壊を裏で推し進めてしまう先進国の業の深さが浮かび上がる。資源のためにコンゴ民主共和国を搾取してきた大文字の歴史の中にヴィルンガ国立公園で見つかった汚職の物語を加えることでこの国の根深い問題が見えてくる構造は興味深いものがあります。
97.禁じられた歌声(Timbuktu、 アブデラマン・シサコ、2014)|伝説の都市トンブクトゥ
モーリタニア出身のアブデラマン・シサコ監督が2014年のカンヌ国際映画祭コンペティションに出品した『禁じられた歌声』の原題《Timbuktu》は世界遺産の名を冠しています。マリの世界遺産である伝説の都市トンブクトゥは11世紀後半にトゥアレグ族の宿営地として栄えた場所。13世紀にマリ王国の支配下に置かれると岩塩と金の交易地として繁栄を遂げ、黄金の都と呼ばれるようになりました。15世紀からはソンガイ帝国アスキア朝が支配し、イスラム文化が浸透していった町となっている。トンブクトゥにはピラミッドに棘が生えたような独特な建物があり、映画でも一瞬登場する。これはサンコーレ・モスクであり、14世紀に元々聖域だったところを解体しメッカであるカアバ神殿の寸法に合わせて再建した建物となっています。この遺産はかつての大都市であるトンブクトゥの歴史の痕跡を伝える遺産として世界遺産リストに登録されているのだが、いくつか問題を抱えている遺産でもある。
まず、同じくマリの世界遺産であるジェンネの旧市街と共に急速な都市化によって遺産としての完全性(世界遺産の顕著な普遍的価値を構成する要素が全て含まれ長期的な保護体制が整えられている必要があるという概念)が脅かされている問題があります。
そしてもうひとつが映画の題材とも繋がる2012年のイスラム過激派による加害の問題です。2012年、イスラム過激派組織アンサール・アッ=ディーンがトンブクトゥを制圧しました。世界遺産としては霊廟が破壊されたことを機に、2005年に脱して以来2度目の危機遺産リスト登録となります。『禁じられた歌声』では、未婚のカップルが公開石打ち刑に処された事件を基に語られます。イスラム過激派のジハーディストによってトンブクトゥは占拠される。兵士たちが作った法により歌やサッカーといった娯楽が禁じられ、市民は抑圧される。しかし、中には抵抗する者もいる。たとえば、市場の女性は魚を売るのに手袋をしないといけないのかと勇敢に兵士へ苦言を呈する。
この作品が興味深いのは映画として過剰なスペクタクルに陥ることを拒絶している点にあります。イスラム過激派組織を扱った映画だと聞けば、激しい銃撃による死を連想するが、映画は静かに息苦しい世界を捉えていく。兵士が銃を撃つ場面も、その地の伝統的な置物が破壊される様を淡々と魅せていく。兵士たちはスピーカーで独自の法をアナウンスし、市民たちは上書きされたルールの中で日常を過ごす。音楽を奏でた罪で捕らえられた男はイスラム過激派組織がカメラを構える中で正座をし、懺悔させられるのです。不気味なまでの静けさが観る者に強烈な印象を与えていくのです。
98.アルジェの戦い(The Battle of Algiers、ジッロ・ポンテコルヴォ、1966)|アルジェの旧市街カスバ
第二次世界大戦後、フランス領アルジェリアでは民族解放戦線(FLM)が結成され独立の動きが高まっていた。対して、アルジェリア入植者(コロン)は「フランスのアルジェリア」を叫び、アラブ人を拷問・殺害していた。アルジェリア独立擁護派であるフランス本国と現地入植者との間に大きな溝ができ、コロンは白人の既得権を得るために1958年5月13日にアルジェリアで決起し、フランス政界は混迷を深めました。そんな中、シャルル・ド・ゴールが大統領に当選し、アルジェリアの独立に向けた仲裁に入る。アルジェリア独立に反発する派閥の勢力は凄まじく、秘密軍事組織(OAS)が結成されテロ活動が強化されるのだが、ド・ゴール大統領は非常事態を宣言し、フランス政府に対する反乱の首謀者への告発とFLMとの交渉を推し進めていきました。交渉は難航したものの、1962年にアルジェリアでの国民投票が行われ有権者の90%が独立に賛成したため、アルジェリア民主人民共和国が成立しました。
このような複雑な政治問題をドキュメンタリータッチで再構成した作品が『アルジェの戦い』です。監督のジッロ・ポンテコルヴォは、ジャーナリスト出身であり、第二次世界大戦中には反ファシストのレジスタンス勢力のリーダーを務めておりドキュメンタリー監督として映画界に入った人物です。そんな彼が、アルジェリア政府から財政的援助を受け、アマチュア俳優を起用、ニュース報道タッチでアルジェリア戦争を描き第27回ヴェネツィア国際映画祭にてロベール・ブレッソン『バルタザールどこへ行く』やフランソワ・トリュフォー『華氏451』、アニエス・ヴァルダ『創造物』を抑え最高賞・金獅子賞を受賞しました。
映画はアルジェリア戦争の舞台ともなったカスバで撮影されています。カスバは、1529年に海賊バルバロス・ハイレッディンがオスマン帝国の地方長官として城塞を築いたことから発展した場所であり、この旧市街は世界遺産に登録されています。迷宮のようなカスバはアルジェリア戦争におけるフランス軍とFLMとの複雑な関係性を象徴している。
映画は街中での銃撃戦はもちろん、拷問シーンや1956年のミルクバーカフェ爆破事件を再現しており背筋が凍るものとなっています。特に爆破テロの場面では、ドキュメンタリータッチからサスペンス映画のようなカット割りへとシームレスに切り替わっており、テロの実行者が爆弾を設置し、時間を確認するショットで緊迫感を煽り爆破の瞬間を捉える印象的な演出となっています。このような演出でもってアルジェリア戦争における痛ましい歴史を後世に遺した一本となっています。
99.シェルタリング・スカイ(The Sheltering Sky 、ベルナルド・ベルトルッチ、1990)|要塞村アイト・ベン・ハドゥ
戦後初の観光客だなと言われるや「観光客?旅行者よ」と劇作家のキットは語る。その心は「着いてすぐ帰る事を考えるのが観光客」と夫で作曲家のポールが代弁し、彼女は「旅行者は帰国しない事もある」と付け加える。夫婦は倦怠期を修復するかのように異国アフリカの地へやってきた。滞在期間は具体的に決まっていない。とりあえず1~2年とホテルのフロントに伝える。何もかもがアメリカと異なり幻想的なアフリカの地でふたりは過酷な運命を辿る。
ポール・ボウルズ「極地の空」を巨匠ベルナルド・ベルトルッチが映画化した本作は、倦怠期の荒涼とした心理と愛の渇望が生み出す刺激の波を黄金色に煌めくアフリカに託している。ベルトルッチの右腕撮影監督ヴィットリオ・ストラーロによるショットは、子どもたちがホテルに荷物を運ぶ何気ない画からも神々しさが零れているのだが、モロッコの雄大な大地が映し出されるともはや時間の感覚がなくなるほどに世界へと没入させられます。

ロケ地のリストが掲示されている。
※筆者撮影(2014年)
映画は反復するように荒野に突如現れる要塞村が映し出される。これはモロッコを代表とする世界遺産アイト・ベン・ハドゥであり、本作だけでなく『アラビアのロレンス』『グラディエーター』など多くの映画のロケ地になっている場所です。
アイト・ベン・ハドゥは7世紀に北アフリカの先住民であるベルベル人が築いた要塞村。建物はシンプルな家屋から、複数階建てのものがあり、後者はカスバと呼ばれています。カスバは1階が馬小屋で、2階が食料小屋、3階以上が居住スペースとなっている。また、村は通路や階段が複雑に張り巡らされており、外敵からの侵入を防ぐ役割を担っています。そして、現在でも村は使われており、観光名所ということもあってか、筆者が訪れた際には民族服や楽器を売る店が賑わっていました。

※筆者撮影(2014年)
特にこの地域ではカルカバと呼ばれるメガネのような形をした金属蓋をカスタネットのように鳴らす楽器が有名らしく、土産屋へ入ると強く勧められました。
映画は夫婦の倦怠期が持つ、引き寄せられては幻滅し離れ、容易に関係が修復されない様をアイト・ベン・ハドゥで表現しているように思えます。画面から滾る茹だるような暑さが時間を溶かし、ダラダラとした時間がアンニュイな空気を生み出し気持ちを狂わせる。酩酊たる時間の中で夫ポールは腸チフスを患い、キットは献身の中で一方通行な愛に絶望していく。耽美的世界に包まれた悪魔的映画といえよう。
100.フラワーショウ!(Dare to Be Wild、ヴィヴィアン・デ・コルシィ、2014)|ラリベラの岩の聖堂群
世界遺産を学ぶと最初期に覚える遺産である一方、一般的にあまり知られていない世界遺産としてラリベラの岩の聖堂群がある。1978年に最初の世界遺産として12件が世界遺産リストに登録されました。エチオピアの世界遺産ラリベラの岩の聖堂群は、あまりにも独特な造形であり一度見たら忘れられない迫力がある。通常、聖堂は地上に建てられる。または、ヴィエリチカ岩塩坑内の礼拝堂のように地中に建てられる。しかし、ラリベラの岩の聖堂群は、岩を掘って作られたものであり、地上からその姿を覗き込むことができる。ゲームの十字キーのような造形は唯一無二の聖堂として異彩を放っている。この聖堂群は12~13世紀にザグウェ朝7代国王であるラリベラの命令によって建てられました。
筆者が最も行ってみたい世界遺産であり今回の企画に合わせてこの遺産が登場する映画を探してみました。ラリベラの岩の聖堂群が登場する映画を探す前、かなり不安を抱えていました。数年前に東京外国語大学でエチオピアの公用語であるアムハラ語の勉強をしていた際に、エチオピアの映画事情を調べてみたことがあります。日本ではハイレ・ゲリマ『テザ 慟哭の大地』が紹介された程度でエチオピア映画はほとんど紹介されていない。MUBIなどのワールドシネマに強いプラットフォームでもエチオピア映画が紹介されることは少ない。アムハラ語の先生にも質問してみたのですが、エチオピアではそんなに映画は盛んではないとのことでした。
しかし、意外なところからラリベラの岩の聖堂群が舞台となった作品が見つかりました。それは『フラワーショウ!』です。毎年5月にイギリスで行われる園芸祭チェルシー・フラワー・ショーを扱った本作にて、主人公がエチオピアへ向かうのです。
メアリー・レイノルズは、幼少期から自然と人間は共存できると信じていた。そして庭のデザインで世界を変えることができると思い、チェルシー・フラワー・ショーへ出場することにする。植物学者のクリスティを相棒にするも、理想の高い彼に振り回されるメアリー。クリスティはアフリカの緑化計画に関心があり、活動を支援してくれる日本人作家の香織に会いにラリベラへ行くと語る。彼を追うようにしてメアリーもエチオピアの地を踏むのです。
クリスティは彼女をラリベラで一番有名なギョルギス教会へ案内する。「この教会は1つの岩から造られた。伝説では、作業員が途中まで造り天使が夜中に完成させた」とガイドのように彼は解説します。聖堂は内部だけでなく、地上から穴を覗き込むように敬虔な信者が取り囲み祈りを捧げている。聖堂の造形だけではなく、信仰のありかたも独特であることがわかるのです。メアリーはエチオピアでの経験を活かしてチェルシーでの造園づくりに励むのです。造園といったら、それこそイギリスが舞台なら地形の美しさを高めるために意識的に公園や庭園を造った湖水地方へ足を運びそうだが、対極の場所であろうラリベラの岩の聖堂群や厳しい環境のエチオピアからインスピレーションと社会問題に対する意識を高めていくアプローチは興味深いものであった。
101.【コラム】ヴェネツィア1964:人類のための歴史的記念物|Venezia 64, il monumento per l’uomo(2024)
2026年1月31日(土)、東京理科大学・富士見校舎にてNPO法人世界遺産アカデミーのイベント「ヴェネツィア憲章を考える ~ドキュメンタリー上映&講演会~」が開催されました。そこで上映されたドキュメンタリーが『ヴェネツィア1964:人類のための歴史的記念物』です。本作は、イタリア放送協会Raiがヴェネツィア憲章採択60周年を記念して制作されたドキュメンタリーであり、テレビ番組「イタリア:美への旅(Italia: viaggio nella bellezza)」の1話として放送された。厳密には映画ではないのだが、世界遺産を語る上で重要な概念が語られているためコラム枠として書いていきます。
本作は美術史家ロベルト・パーネの孫であるアンドレア・パーネの語りを軸に、ヴェネツィア憲章を巡る歴史的背景や、国際的な文化遺産保護にまつわる葛藤を関係者取材によって明らかにしていく内容です。
ヴェネツィア憲章とは、歴史的建造物の保存・修復に関わるユネスコの憲章です。1931年に前提となるアテネ憲章が歴史的記念建造物に関する建築家・技術者国際会議にて採択されたのですが、修復の際に近代的な材料や技術を用いることができる特徴がありました。しかし第二次世界大戦後、遺産の著しい破壊に対して当時の工法や素材で修復すべきか、経済復興を優先してブルータリズムといった現代的で機能的な建築を建てるべきかといったジレンマが世界的に広がっていきました。ヴェネツィア憲章は、このような建築家や技術者の葛藤を乗り越えるための国際的な指針として採択されました。アテネ憲章とは異なり、建造物単体だけでなく、都市景観などといった広域で美的価値・歴史価値を残そうとする方針が定められていました。
映画では、ヴェネツィア憲章の概念を引き継いで観光客が何気なく通り過ぎているそばでサン・マルコ広場が修復されている様子が映し出されています。2019年に発生した高潮による修復工事は、機能性の確保と素材を最大限に保護することを目的としています。広場のタイルに使用されている素材は、現在採取が制限されている地域にしかないものであるため、今ある素材を可能な限り用いて修復するアナスタイロシスの手法を用いています。

※筆者撮影(2025年)
映画はナポリ、ワルシャワ、ティラナと渡り、それぞれの遺産保護にまつわる物語を語っていきます。特にワルシャワパートが興味深いものがあります。第二次世界大戦後、壊滅的に破壊された街を市民たちが遺された情報を基に完璧に復元しました。しかし専門家によれば、この復元で再現されたバロック様式は正確なものではないため「偽バロック」にあたるとのこと。ワルシャワ歴史地区は1980年に世界遺産に登録されたのだが、街全体を復元したケースに世界遺産としての価値を与えて良いのかといった議論が交わされた。これを認めてしまうと歴史的価値を捏造するケースが出てくる危険性があったからです。ワルシャワの専門家は奥歯に物が挟まったような言い回しで例外的にワルシャワは世界遺産として認められたことと象徴的価値、つまり戦前の街並みを復元しようとしたワルシャワ市民の活動を歴史的なものとして遺す意味合いが強いと語っていました。
映画全体として、答えのない問題について語っているため事象を羅列しただけでぼんやりとしたものとなっていたのですが、最後に「《なんのために》よりも《誰のために》遺産を保護していくべきかが重要である」と締めくくっていた点に惹き込まれました。あくまで憲章は、議論するためのベースとなるものであり、時代の流れにあわせて脱構築していき、憲章が手段ではなく目的となってしまうことを防ぐべきである考えは重要だなと痛感させられました。
【目次】
【参考文献】
・すべてがわかる世界遺産1500(上巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局 、2024/3/22)
・すべてがわかる世界遺産1500(中巻) 世界遺産検定1級公式テキスト(世界遺産検定事務局 、2024/3/22)
・ジャン・ルーシュ──映像人類学の越境者(千葉文夫、金子 遊編集、森話社、2019/10/23)
・オリエンタリズム 上(エドワード・W・サイード、平凡社、1993/6/21)
・オリエンタリズム 下(エドワード・W・サイード、平凡社、1993/6/21)
・教養のフランス近現代史(杉本淑彦、竹中幸史、ミネルヴァ書房、2015/6/25)
・死ぬまでに観たい映画1001本 改訂新版(スティーヴン・ジェイ・シュナイダー総編集、ネコ・パブリッシング、2011/8/31)
※サムネイルの写真は『シェルタリング・スカイ』の舞台になった「要塞村アイト・ベン・ハドゥ」です。(筆者撮影)
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