社会貢献を口実に、『働く人』を犠牲にするのをやめてみた。| スタッフを「管理」するのをやめて「推し活」してる社長のnote ep.8
多くの会社が掲げる「社会のために」という経営理念。
なぜそれが現場に浸透せず、ときには暴走してしまうのかを、心理学と人類学の視点から考えてみました。
どうも、本と失敗からしか学べない男、タルイです。
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本日の内容はこちらです。

突然ですが、あなたの会社に「経営理念」はありますか?
ここに、よくある経営理念のタイプをまとめてみました。

ある人事系の調査では、経営理念の浸透は「必要だと思う」「やや必要だと思う」と答えた企業が98%にのぼりました。
理念は大切だ。
これは、多くの経営者が共有している常識と言っていいでしょう。
従業員1000人以上の企業では、ほぼ100%が経営理念を持っています。
ところが、同じような調査で「その理念は社員に浸透していますか」と尋ねると、景色は一変します。
「浸透している」と答えた企業は、わずか6%です。
必要だと思う企業は98%なのに、浸透している実感がある企業は6%しかない。
私は、この大きなねじれにずっと引っかかっていました。

そして会社が大きくなるほど、理念にはもう一つの要素が求められます。
それが「社会貢献」です。
私たちは社会のために何をする会社なのか。
株主や取引先、採用の場面で、社会的な大義を語ることが求められる。
だから大企業の理念には、「社会」という言葉が自然と入ってきます。
理念は必要であり、大きくなるほど社会貢献を掲げるべきだ。
これが世の中の常識ですね。
そのうえで、私の結論を先にお伝えします。
私は、社会貢献を理念とすることを、やめました。
冷酷な人間だと思われたかもしれません。
小さい会社だから必要ないんだろう、とも思われたかもしれません。
でも、どうか最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
なぜ理念は「後付け」になるのか
コンサルタント時代、私は経営理念をつくる仕事を請け負っていました。
社長の想いを言葉にして、額に入れて飾れる一文まで磨き上げる。
喜んでいただける仕事でしたが、毎回ひとつの疑問が残りました。
そもそも経営理念とは、起業する前に考えるものではないのか?
本来は理念が先にあって、その理念を実現するために会社をつくるはずです。
ところが現実は逆で、会社が先にあり、理念は後から、それも私のような外部の人間に依頼される。
とはいえ私も20年もやっていたので、内情はよくわかります。
開業したばかりの店は、まず儲けて存続することが最優先です。
理念どころではないのです。
ここは経営者の方を責められないと思っています。
私が請け負っていたのは、理念をつくる仕事だけではありません。
その理念を「浸透させる」仕事まで引き受けていました。
朝礼で理念を唱和する。
会議の冒頭でフィロソフィーを朗読する。
でも、それが効果を発揮したと感じたことは、一度もありませんでした。
唱和の声は少しずつ小さくなり、朗読の順番が回るたびに、みんな気だるそうにする。
言葉は立派なのに、部屋の空気だけが死んでいく。

あの6%という数字を、私は現場で何度も見ていたのだと思います。
なぜ理念は浸透しないのか。
後になって、心理学に答えが二つあると知りました。
ひとつは「心理的リアクタンス」。
人は「これを大切にしなさい」と押し付けられるほど、かえって反発します。
浸透させようとする行為そのものが、理念から心を遠ざけていたわけです。
もうひとつは「アンダーマイニング効果」。
自分の内側から生まれるはずの想いも、「やらされること」になった瞬間に熱が冷めます。
理念に共感していた人でさえ、義務になった途端に共感を失っていく。

私は、その仕組みを手伝っていたことになります。
後付けの理念は、飾りになる。
そして飾りを無理に貼り付けようとすると、かえって剥がれてしまうのです。
大義を本気で掲げたときに起きること
ただの飾りなら、まだ無害です。
本当に怖いのは、「社会のため」という大義を本気で掲げたときだと思っています。
たとえばワタミの理念。
「地球上で一番たくさんの『ありがとう』を集めるグループになろう」
本気で掲げられた言葉だったはずです。
しかしその会社では若い社員が過労の末に亡くなり、後に労災と認定されました。
創業者がつくった理念集に記された過酷な言葉は、長時間労働を強いた背景として遺族側から厳しく追及されています。
理念と現場のあいだに、大きな隔たりが生まれてしまったのです。
記憶に新しいところでは、ビッグモーターもそうでしたね。
同社の経営理念は、次の三つを柱としていました。
・お客様のニーズに合った質の高い商品、サービス、情報を提供する
・目標利益を確保して会社を存続発展させる
・社員の生活安定向上を図る
これらは「経営計画書」にも記載され、社内で徹底されていたものです。
では、ここで一緒に考えてください。
この三つの柱、ちょっとおかしくないでしょうか。
顧客満足・利益確保・社員の生活向上という別々の要素を同時に掲げながら、優先順位がないのです。
確かに、この三つは平時なら両立しそうです。
ですが、ぶつかったときにどれを取るかを示せないなら、基準として機能していません。
そして私がいちばん引っかかったのは、「利益を出す」ではなく「目標利益を確保する」という表現です。
最初に決めた数字を、何としても取りにいく。
そういうニュアンスが強く残ります。
すると、お客様も社員も目的ではなくなり、利益目標を達成するための手段になっていく。
だからでしょうか。
保険金の不正請求が、組織ぐるみで行われていました。
皮肉なことに、ビッグモーターの理念浸透率は6%どころではなかったように思えます。

他にもジャニーズ、ダイハツ、宝塚。
ここ数年、大義や伝統を掲げた組織ほど、大きな問題を起こしています。
私はこれを偶然だとは思っていません。
心理学に「モラル・ライセンシング(道徳の免罪符)」という考え方があります。
自分たちは良いことをしているという意識が、悪いことへのブレーキを弱めてしまう現象です。
社会のためだから。
会社のためだから。
その大義が、少しずつ現場の無理を正当化していく。

ただ私は、掲げた人たちが悪人だったとは思いません。
そもそも土台に無理があった、と考えています。
道徳は、150人までしか届かない
ここで紹介したい本があります。
1冊目は、ハンノ・ザウアー『MORAL 善悪と道徳の人類史』。
本書の中で、
人間の道徳は、数十人規模の小さな集団で協力して生きるために進化してきた。
と説明されています。
では、その数十人規模とは何人くらいまでなのか。
人類学者ロビン・ダンバーは、人が安定した信頼関係を築ける人数を約150人だと考えました。
いわゆる「ダンバー数」です。
150人くらいまでなら、顔と人柄を結びつけて覚えていられる。
それを超えると、相手は一人の人ではなく「組織の一員」という記号になっていきます。
つまり人間の道徳は、「社会全体」という巨大なスケールで働くようには設計されていないのです。

もちろん、150人を超える組織でも協力はできます。
ただ、それを支えるのは信頼ではなく、制度や役割やルールです。
誤解のないようお伝えすると、制度やルールそのものは悪ではありません。
問題は、仕組みで動く組織に、困っている仲間を自然と助けたり、自分の役割を超えて動いたりする行動まで求めてしまうことです。
そうした行動は、顔の見える関係の中からしか生まれません。
仕組みで動く組織の矛盾は、ここにあります。
熱量なしでは回らないのに、熱量を発生させる手段を持っていない。
「社会のために」という言葉を、何千人へ同じ温度で届けようとする。
そこに無理が生まれます。

ここまでの話を整理します。
→ 会社に理念は必要だ → だが理念は浸透しづらい → 大義を掲げると現場が無理をする → 大人数の組織は、そもそも道徳では動かない
だから私は、いったん社会のことを忘れることにしました。
私たちが選んだのは、半径5メートル

遠くにある大きな正義ではなく、手が届く範囲の幸せを目的にする。
目の前のお客さんを、ちゃんと幸せにする。
一緒に働く仲間を、ちゃんと幸せにする。
そして、その仕事を支えてくれている家族を、ちゃんと幸せにする。
組織を必要以上に大きくせず、互いの顔が見える人数で運営する。
そこなら、人間の道徳は無理なく働きます。
以下が、ウチの理念のすべてです。
なぜ存在するのか ── 半径5メートルの幸せ
私たちは、世界を変えるために存在するのではありません。
目の前のお客様、一緒に働く仲間、そして自分たちを支えてくれる家族。
手が届く距離にいる人を、ちゃんと幸せにするために存在します。
遠くの誰かのために、近くの誰かを犠牲にしない。
立派な社会貢献を語る前に、まず半径5メートルにいる人を不幸にしない。
半径5メートルの幸せを積み重ねた結果として、社会も少しずつ良くなっていく。
私たちは、その順番を大切にします。

どこを目指すのか ── 全員が店舗オーナーとして独立する
ワイルームSpaは、会社を大きくするための組織ではありません。
一人ひとりが技術と経営力を身につけ、自分の力で店舗を運営できるようになるための場所です。
誰かが上に立ち、誰かを管理し続ける組織ではなく、それぞれが自分の店を持ち、自分の人生のオーナーになる。
私たちが目指すのは、店舗数の拡大ではなく、オーナーの誕生です。

どう働くのか ── 自律と恩送り
自律とは、誰かに指示されるまで待たないことです。
自分で考え、自分で決め、その結果を引き受ける。
褒められる、叱られる、評価制度といった「社畜システム」に飼い慣らされていない状態です。
ただし、一人で何でも抱え込むことではありません。
必要なときに助けを求め、仲間と協力することも自律の一部です。
恩送りとは、受け取ったものを、与えてくれた相手だけに返そうとしないことです。
先輩から教わった技術を、次の仲間に渡す。
お客さんからいただいた信頼を、より良い施術として次のお客さんに渡す。
自律した人同士が恩を次へ送ることで、幸せが循環していく。
それを成立させる契約のかたちが、私たちの場合は業務委託でした。

大切にしている約束 ── クレクレ星人とヤレヤレ星人が通用しない組織をつくる
クレクレとは、自分は与えず、権利や利益だけを求める姿勢です。
仕事を教えてほしい。
集客してほしい。
評価してほしい。
報酬を増やしてほしい。
けれど、自分から何を差し出すかは考えない。
ヤレヤレとは、自分では動かず、他人に指示や命令をすることで仕事をしたつもりになる姿勢です。
あれをやれ。
これを直せ。
もっと頑張れ。
けれど、責任も行動も引き受けない。
クレクレとヤレヤレは、正反対に見えてよく似ています。
どちらも自分では責任を引き受けず、相手を動かすことで自分の利益を得ようとするからです。
私たちは、彼らを排除するのではありません。
クレクレとヤレヤレが通用しない仕組みをつくります。
求めるだけでも、命令するだけでも成り立たない。
それが、半径5メートルの幸せを守るための約束です。

それでも社会は変わる、と思う理由
ここまでを読んで、
「その範囲では社会は変わらない」と思われるかもしれません。
でも、恩送りには広がる性質があります。
私が推しメン(一緒に働く仲間のことを、うちではこう呼んでいます)を応援する。
推しメンがお客様を元気にする。
お客様が家族に優しくなる。
恩は、半径5メートルの円から、次の円へと渡っていきます。
実際、うちでは現在、推しメンが独立オーナーが誕生するフェーズにいます。
独立する人が増えるたびに、「半径5メートルを幸せ」を考える円も増えていく。
政治のように本来、顔の見えない何百万人、何千万人の利害を調整する仕組みを考えるのは難しい。
目の前の人との関係や、自分が直接責任を持てる範囲を大切にする思想
そちらのほうが自然だと私は思っています。

理念は、起業する前に考えるもの。
社会貢献は、あとから勝手についてくるもの。
半径5メートルを幸せを考える人が増えれば、その円はやがて隣の円とつながり、結果として社会も少しずつ良くなっていく。
私は、その順番を信じています。

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