“この家、楽しい”。──その一言に詰まっていた、子どものSOS。
「この家、楽しい」とつぶやいたその子は、どんな景色を見ていたんだろう。
怒るママと、なんでもOKなパパ。その間で揺れる子どもの気持ちに、私は何ができるんだろう──。
誰かの家庭にも、そして私の隣にも、きっとあるかもしれない。そんな家族の風景と、子どもの小さなSOSの話。
甘やかすパパと、怒るママ
──そのあいだにいる、子どもは。
近所に、よく遊びに来る子がいる。
ちょっとやんちゃで、繊細で、ものすごく頭の回転が速い子。
ある日、その子が友だちとケンカをした。
怒って、「もう帰る!」と騒いだその子は、でも最後にはこう言った。
「帰ったら、〇〇さん(私)の家に行く。」
──彼がほんとうに帰りたい場所は、自分のお家じゃなかったのかもしれない。
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“叱る役”と“逃げ場役”
その子の家庭の話を、私は詳しく知らない。
でも、断片的な話から、こんな風景が浮かんでくる。
・お母さんは厳しい。しつけに厳格で、言葉も表情もときに冷たい。
・お父さんは優しいけれど、少し過保護で、なんでも許してしまう。
つまり、家庭の中で「怒る人」と「許す人」に分かれてしまっている。
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境界のないやさしさが、こわい
子どもにとって、「どちらかが厳しくて、どちらかが優しい」という構図は、
一見バランスが取れているように見えるかもしれない。
でも実際には、どちらにも「本当の安心」はなかったりする。
怒られるのは怖いし、
なんでも許されるのも、実は“投げ出された”ような心細さがある。
子どもにとって必要なのは、
“怒られること”でも“許されること”でもなくて、
「分かってもらえたうえで、支えてもらえる」ことなんじゃないかな。
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「この家、楽しい」
その子は、ある日ふと、私の家でこう呟いた。
「この家、楽しい。」
私が、何か特別なことをしていたわけじゃない。うちに変わったおもちゃがあるわけでもないし、小学生が住む普通の散らかった家だと思う。
でも、ケンカしても無理に謝らせたりはしないし、ちょっとくらいの悪ふざけは全然構わない。
「そういうこともあるよね」って、できるだけおおらかに見守るようにしてる。
もちろん、大きく揉めてしまった時には、仲直りの手助はする。
そんな我が家の“当たり前”が、もしかするとそれが、その子にとっては
“はじめて呼吸ができた場所”だったのかもしれない。
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甘えさせることは、何でも許すことじゃない
“甘やかすこと”と、“甘えさせること”は全然違う。
甘やかすのは、『これ以上はやったらダメ』という境界をあいまいにして、本当は叱るべき場面で、事をなあなあにして見逃すこと。
甘えさせるのは、その境界を示しながらも「大丈夫だよ」、「失敗してもいいんだよ」と、受け止めること。
そして、親がその境界をぶれずに守ることで、
子どもは「この人は信じても大丈夫」という感覚を育てていくんだと思う。
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最後に
家庭の中で、“役割分担”のように「怒る人・甘やかす人」に分かれてしまうと、
子どもは安心の居場所を失っていく。
優しすぎるパパも、怒ってばかりのママも、
どちらもきっと、悪気はない。
けど、その真ん中で、子どもが小さなSOSを出しているのかもしれない。
忙しすぎる日々の中で、子どもに向き合うことは簡単ではない。
それでも、わたしは、子どもたちの小さな助けてから目を背けたくないなと思う。
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