第2章 都市と録音の時代: ジャズ、ブルース、そして広がる大衆音楽
地域の音楽が都市とレコードへ入り、アメリカ大衆音楽の骨格が固まりはじめた時代
20世紀初頭から1930年代にかけてのアメリカには、まだロックもソウルもR&Bもヒップホップも存在していなかった。
だがこの時代のアメリカでは、のちに世界各地の大衆音楽へ広がり、何度も組み替えられていくことになる要素が、すでに姿を現していた。
ブルースは一定の型を持つ音楽として整理され、ジャズは都市の芸術として成熟していく。クラシック・ブルースは黒人女性の声を大衆文化の中心へ押し出した。

さらに同じ時代、黒人教会ではブルースやジャズの感覚を取り込んだ新しいゴスペルが形を整え、南部の農村音楽は「ヒルビリー」と呼ばれるレコード市場へ入っていった。テキサスやオクラホマでは、そうした農村のダンス音楽がジャズやブルースと混ざり合い、のちにウェスタン・スウィングと呼ばれる音楽へ発展していく。
ハワイから広がったスティールギターは、巡業やレコードを通じてアメリカ本土へ浸透した。一方、ミルス・ブラザーズやボズウェル・シスターズらは、複数の声そのものを一つのアンサンブルとして組み立て、新しいヴォーカル表現を作り始めていた。
そして1930年代後半、都市ジャズの編曲とダンスフロアの熱が結びつき、ジャズはビッグバンド時代=「スウィング・エラ」へと雪崩れ込んでいく。
ブルースは誰もが使える言語になった
ブルースは、アメリカ南部のアフリカ系アメリカ人社会で、フィールドハラーやワークソング、スピリチュアルなど、さまざまな黒人音楽文化を背景に形づくられた。初期のブルースには小節数やコード進行が一定しないものも多く、地域や演奏家によってさまざまな形があった。
しかし20世紀初頭から1920〜30年代にかけて、楽譜出版、舞台、レコードといった音楽産業が広がると、ブルースは地域の演奏の場だけでなく、繰り返し演奏され、録音され、遠くへ流通する音楽になっていく。その過程で、すでに演奏の中で使われていたさまざまな型のうち、12小節のコード進行やAAB型の歌詞構造が、代表的な形式として広く定着していった。
AAB型では、一つの行を歌い、それを繰り返したあと、三行目で応答や結論を返す。この単純な構造は、歌詞を即興的に組み立てやすく、12小節の和声進行とも結びついて、ブルースを特徴づける重要な型の一つになった。
A行:出来事や感情をそのまま語る
A行:同じ内容を繰り返し、あるいは少しずらして語る
B行:意外なオチ、ひねり、転換を与える
この詩形は、西洋音楽でも最も基本的な三つの和音
I(主和音)
IV(下属和音)
V(属和音)
と噛み合い、12小節という定型が実用の中で安定していく。
その結果ブルースは、
12小節のコード進行
AABの歌詞構造
ブルーノート(♭3度、♭5度、♭7度)
コール&レスポンス
という、明確な組み立ての原理を持つ音楽になった。
この形式や語法は、のちのR&B、ロックンロール、ロックなどでも繰り返し使われていく。
重要なのは、形式化がブルースの生命力を奪ったわけではないことだ。
12小節という共通の足場の中でも、演奏者はその枠の中で、
リズムの揺らし方
強弱のコントロール
装飾音やブルーノートの入れ方
フレーズの切り方と休符
叫ぶか、ささやくか
といった無数のニュアンスを作ることができた。
ブルースは、南部の地域社会に根ざした多様な表現から、広く共有される音楽語法へと広がり、アメリカ大衆音楽の重要な文法の一つになっていった。
ジャズは都市の音として成熟し、アメリカの芸術形式になった

同じ時期、港町ニューオーリンズで生まれた雑多な音楽文化は、グレート・マイグレーション(大移動)を含む人口移動と都市化の流れのなかで、シカゴやニューヨークへと重心を移していく。
黒人労働者の移住
巡業バンドの北上
鉄道という移動手段
レコード会社とラジオ網の発達
これらが重なり、ジャズは南部のローカルな音から、録音され、全国で聴かれる都市の音へと変身していった。
この転換の中心にいたのが、
シカゴでソロ表現を決定的に押し広げた ルイ・アームストロング
ニューヨークで都会の夜の風景を音として描いた デューク・エリントン
の二人だった。
アームストロングは、ブルースや歌にも通じるフレージングをコルネット/トランペットで自在に展開し、楽器が人間の声のように語るソロを作り上げた。
それまで集団即興が大きな役割を担っていたジャズの中で、彼は一人のソロイストが長い即興を組み立て、演奏全体の中心に立つ可能性を決定的に押し広げた。
こうした変化を通じて、ジャズはソリストのいる音楽として定着していく。
一方エリントンは、黒人バンドが演奏し、客席の大部分を白人客が占めるという矛盾を抱えたハーレムのコットン・クラブで、
ビッグバンドの管弦楽的アレンジ
都市の夜景を思わせる和声と音色
《Mood Indigo》のような、音色配置と和声感が際立つ作品
を通じて、ジャズの作曲、編曲、音色設計の可能性を大きく広げた。
ジャズはダンス音楽としての機能を保ちながら、より複雑な作曲や編曲、音色表現を備えるようになっていった。
ジャズはダンスや娯楽の音楽として広がる一方、作曲や編曲、即興によって独自の芸術表現を深めていった。
都市のスピード感
黒人文化の誇りと苦闘
白人社会との緊張と融合
即興による自由と危うさ
これらを同時に背負う、アメリカを象徴する芸術形式へと変貌していく。
都市ブルース(クラシック・ブルース)は、黒人女性の声を世界に届けた
ジャズが都市のクラブとラジオで存在感を増していく一方で、レコード産業の中心には、ブルースを歌う黒人女性が位置づけられていく。
ベッシー・スミスらが体現したクラシック・ブルースは、
ヴォードビル巡業団で鍛えられた、舞台性の高い歌唱
ジャズ・コンボを伴った都市的なサウンド
恋愛、金、酒、差別、女としての怒りとユーモア
といった主題を、観客が自分の話として受け取れる形で提示した。
ベッシー・スミスのレコードが数十万枚単位で売れたことは、
黒人向け市場(Race Records)が巨大であること
黒人女性が大衆文化の中心に立ちうること
を、レコード会社に思い知らせた。
彼女たちの歌は、南部農村の嘆きと都市生活のストレス、そしてジェンダーと人種差別の重なり合う現実を、笑いと涙を混ぜながら歌い上げることで、黒人女性の生を世界へ可視化していく。
クラシック・ブルースは、次のような役割を果たした。
ブルースを舞台とレコードで広く届ける歌のジャンルとして確立する
黒人女性歌手をレコード市場のスターへと押し上げる
ジャズの演奏家たちとも交わりながら、都市の大衆文化の中にブルースを定着させる
一方、同じ1920〜30年代には、南部を中心に、ギターを伴奏に歌うカントリー・ブルースも商業録音されるようになっていた。デルタ・ブルースもその流れの一つである。
ブルースは一つの姿にまとまったのではない。都市の舞台では歌手を中心とするクラシック・ブルースが発達し、南部ではギター弾き語りなどを中心とするカントリー・ブルースが、それぞれレコードの中へ入っていった。
教会、農村、ハワイ、そして声のアンサンブル
同じ1920〜30年代、ジャズとブルースだけが新しい形を作っていたわけではない。
シカゴの黒人教会では、トーマス・A・ドーシーらによって、ブルースやジャズにも通じるリズムや節回しを取り込んだ宗教歌が広がり、現在モダン・ゴスペルと呼ばれる音楽が形を整えていった。歌手と会衆のコール&レスポンス、手拍子、ピアノの強いリズムは、教会を共同体の音楽空間にしていった。
南部では、それぞれの土地や家庭で受け継がれてきたバラッド、フィドル音楽、賛美歌などがレコードに録音され、「ヒルビリー」という商業市場が作られていった。カーター・ファミリーやジミー・ロジャーズの成功によって、地域の中にあった歌が全国へ届くようになる。1930年代のテキサスやオクラホマでは、さらにフィドルを中心とするダンス音楽がブルースやジャズ、ポピュラー音楽を取り込み、ウェスタン・スウィングへと発展していった。
一方、ハワイで生まれたスティールギターは、巡業や博覧会、レコードを通じてアメリカ本土へ広がった。弦の上でバーを滑らせ、音程を切れ目なく動かす奏法は、ハワイアン音楽の枠を越えてアメリカのギター文化へ入り込んでいく。ソル・ホオピイのような奏者は、そこへジャズやポピュラー音楽の感覚まで取り込んだ。
そして1930年代には、楽器ではなく複数の声そのものをアンサンブルとして組み立てる音楽も成熟していた。ミルス・ブラザーズは声で管楽器まで再現し、ボズウェル・シスターズは声をジャズのアレンジのように動かした。インク・スポッツは高いリード、低い語り、柔らかなハーモニーにそれぞれ役割を与え、黒人教会のカルテットではゴールデン・ゲート・カルテットが声だけで強いリズムと掛け合いを作った。
これらは互いに完全に切り離された音楽ではなかった。レコード、ラジオ、巡業、ダンスホール、教会といった異なる場所を通じて音楽が広がるなかで、リズム、楽器奏法、歌唱、編曲の方法はジャンルの境界を越えて行き来していた。
同じ1930年代、都市ジャズでは大編成を動かす編曲やリフの方法も磨かれていた。ハーレムとカンザスシティで形づくられたその音は、やがてビッグバンドによるスウィングとして全米を踊らせることになる。
ロバート・ジョンソンの登場
都市ブルースが産業化し、舞台とレコードで磨かれていく一方で、
同じ時代の南部農村では、そうした回路から外れた場所で鳴り続けたブルースもあった。

ロバート・ジョンソン(1936〜37年録音)のブルースは、農村ブルースの孤独と緊張感を極限まで研ぎ澄ませた存在となった。
彼が残した録音は、当時の大衆市場で巨大な成功を収めたわけではない。
だが後年、再発見と再評価の波の中で、彼の演奏・歌唱・言葉遣いは「デルタ・ブルース像」の中心に据えられ、ロック世代の想像力を強烈に刺激することになる。
後年の再評価の過程で生まれたのは、単なる人気ではない。
都市で商品化されたブルースと、南部農村で鳴り続けていたブルースという二つの姿が並べて語られることで、ロバート・ジョンソンという存在が特別な意味を帯びていく。
20世紀初頭〜1930年代は、アメリカ音楽史における骨格形成の時代だった
20世紀初頭から1930年代にかけてのアメリカは、後の大衆音楽が何度も参照することになる骨格が、はっきりと姿を現した時代だった。
この時代に確立・発展したもの:
12小節ブルースとAAB詩形
ジャズにおけるソロと即興の発展
大編成を動かす編曲とスウィングの形成
クラシック・ブルースと黒人女性歌手の商業的成功
ブルースの感覚を取り込んだモダン・ゴスペル
「ヒルビリー」市場の成立とカントリーの商業化
農村のダンス音楽とジャズが交わったウェスタン・スウィング
ハワイアン・スティールギターの全米への普及
世俗音楽と宗教音楽の双方で発達したヴォーカル・アンサンブル
録音によって残され、後世に再評価されることになるカントリー・ブルース
つまりこの時代には、後の大衆音楽を形づくる重要な要素の多くが、すでに姿を現していた。
ただし骨格は、自然発生だけで固まったのではない。
ここには、都市と産業と技術という見えない力学がある。
録音と放送が、音楽を「場」から「メディア」へ変えた
都市のナイトライフが、演奏の形とスターの像を作った
人種分離と市場の分割が、レコードの売り方とジャンルの輪郭を形づくった
そして大恐慌という現実が、音楽の需要と供給の条件を変えていった
こうした条件の束のなかで、ブルースとジャズだけでなく、ゴスペル、カントリー、ハワイアン、ヴォーカル・グループなど、それぞれ異なる場所にあった音楽が新しい形を獲得していった。
音楽そのものだけでなく、音楽が生きる環境が、その姿を変えていったのである。
