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特養の申込みは、手書き地獄の上に、心乱れる苦行だった | 老後の暮らしを整える

なんとかかんとか老夫婦で支え合い、自宅で暮らしてきた父と母が、この夏、父の入院を機に、あっけなく次のステージに移ることとなった。

父の入院のタイミングで、母は、数年ほど前からショートステイでお世話になっていた施設に、ショートステイのロングステイという、言葉的にはちょっと謎なしくみでもって、お世話になることになった。

父の入院が急だったにも関わらず、ケアマネさんのおかげで、母にとって、ストレスの少ない環境を整えていただいたことには、感謝しきれない。

父の退院のタイミングで、父が、家に帰るのは不安だけれど、介護施設には行きたくない、とごねたため、一悶着の後、父と母は、同じサ高住にお世話になることに決まった。

サ高住での生活にも、ようやく慣れてきたかな、という頃、父は、再び体調を崩し、再入院した。そして、肺の機能がだいぶ落ちていることがわかった。

本人はリハビリをして、家に戻るという希望も、うすーくは抱いているようではあるが、主治医からは、近い将来、車椅子の生活になること、介護なしでの生活は難しいだろう、といわれている。

父の入退院でばたばたしている間、母は、新しい環境にも慣れた様子で、淡々と暮らしている。スタッフの方も、本当によくしてくださっている。

そうこうしているうちに、ケアマネさんが手続きを進めてくださり、父も母も、介護認定が「要介護3」となった。

母は、7年前、初めて認知症の診断を受けた際に「要介護1」となった。その後、だんだん家事ができなくなり、着替えや食事など、自分の身の回りのこともおぼつかなくなってきた。それでもずっと「要介護1」のままだった。

今思えば、数年に渡って、父と母の状況をみながら、ケアマネさんが、父と母にとってベストのサポート体制を築いてくださっていたのだ、と思う。

いよいよ、父と母が自宅で暮らしていくのが難しいと判断するやいなや、あっという間に「要介護3」へと、変更申請が通った。

そして、半年ほど前に「要支援2」になったばかりの父も、母と同じタイミングで、「要介護3」となった。

母はともかく、父が、このタイミングで「要介護3」となったのには、ちょっと驚いた。介護認定というのは、必ずしも段階を踏むものではないようだ。

「要介護3」というのは、日常生活全般に介護がなければ生活が困難、という状態とされ、特養(特別養護老人ホーム:常時介護が必要となった高齢者が、長期にわたって介護をサービスを受けながら生活できる公的な介護保険施設)への申込みができるようになる。

今、父と母がお世話になっているサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)でも、引き続き暮らしていくことはできる。ただし、サ高住というのは、賃貸住宅に暮らしながら、外部の介護サービスを利用する、というしくみになっている。介護いただく内容が重くなるに従い、当然のことながら、費用も嵩むようになる。

父と母が暮らす地域にも、複数の特養があるものの、いずれも満床で、申込をしてからの順番待ちになるという。ケアマネさんからのアドバイスで、3ヶ所の特養に、申込みをすることになった。

3ヶ所の特養のホームページを確認する。

ひとつは、母がショートステイでお世話になっていたところだ。施設も新しく、スタッフの方も感じがよかった。父と母が暮らしていた家からも、車で数分の距離で、父の病院にも近く、家族にとって、もっとも便利な場所にある。

ふたつめは、かつて祖母がお世話になっていた施設だ。だいぶ山の中にはいったところにあり、家族が会いに行くにも、ちょっと不便になってしまう。

みっつめは、そう遠くではないものの、駅向こうにあり、まったく土地勘がない場所にある。電話で問い合わせた印象は、アットホームな雰囲気だった。申込書を提出する際に、見学させていただくことになった。

ふたつの施設は、ホームページから申込書をダウンロードできた。もうひとつの施設は、電話で問い合わせ、書類一式を私宛に郵送してくれることになった。

特養の申込みについては、施設ごとに多少の違いはあるものの、大まかには、以下のようになっている。

  1. 申込書(基本的には家族が記入することになっているようだ)

  2. ケアマネさんからの意見書

  3. 主治医からの意見書

  4. 介護保険、健康保険のコピー

  5. 年金収入を証明するもの

2 と 3 については、ケアマネさん、主治医に依頼をする。

ケアマネさんからは直接施設に書類を手渡してくれるものの、主治医からの意見書は、家族から施設に提出する、というのが基本のようだ。私は遠方のため、私宛の返信用封筒とあわせて、依頼をした。

介護保険、健康保険証については、ケアマネさんとも相談の上、父の入院以降、弟が責任もって管理をすることになっていた。が、弟と父との間でどんなやりとりがあったのかは謎だけれど、弟は父に預けた、という。

入退院を繰り返し、介護を必要としているひとに、コピーを送ってもらうことなど、できるはずがない。父のお見舞いの折に、保険証一式を私が預かり、ケアマネさんに保管をお願いしてきた。(上記の 4 と 5 も入手完了だ)

そして、ようやく申込書の記入だ。もちろん、すべて手書きだ。

施設によっては、申込書のほかにも、支払いや医療行為に関する念書など、何枚もの用紙がある。

そのすべてに、父と母の住所、氏名、私の住所、氏名、なんなら、弟の住所、氏名も記入しなければならない。

私の今の住まいは、市ではなく、町なので、県の後に、郡がはいる。住所がやたらに長い。何十回も、住所を手書きさせられるのは、地獄でしかない。

私は、シャチハタの住所印を注文した。1700円弱で、2日後には家に届く。自宅住所がシャチハタになっただけで、ストレスが激減した。

父の入退院の手続きでも、書類の手書き地獄をみたことを思い出し、すぐに、親の認印と住所印も、シャチハタのものを注文した。今後も、親の住所記入や認印を求められることは、たくさんあるだろう。

シャチハタ、サイコーだ!

シャチハタのおかげで、手書き地獄はだいぶ軽減された。

それでもまだ、特養の申込書は、私を痛めつける。

父、母が、今後の生活を支えてもらう場所、施設への申込書だ。申込むほうよりも、申込みを受ける側の責任のほうが、圧倒的に重い。

父や母の健康状態、生活の細かな動作がどこまでできるか、家族構成、それぞれの家族がどこで、どんな生活を送っているのか、父や母が今までどんな人生をたどってきたのかなど、ひとつひとつ記入をしていく。

お世話になる施設のかたに、より、父や母のことを理解してもらいたいと思う一方で、私にとっての父や母のイメージと、今の父や母のギャップに、どうしても心が乱れてしまう。

父はこんなひとだったんです、母はこんなひとでした、と伝えたい思いもあるけれど、家族として、今の父に対してサポートしてほしいこと、今の母に対してサポートしてほしいことは、まったく別のことのようにも思えてくる。

父の老い、母の老い、衰えを、ていねいに説明しなければならない。

だんだん、泣きたい気分になってくる。

同世代の友人たちも、高齢の親を、介護サービスに委ねている。ああしてほしいのに、どうしてこうなるんだろうと、不満を漏らすことも多い。

そんな友人たちの気持ちもわからなくもないけれど、たくさんの高齢者たちのサポートをする上で、介護に関わるスタッフの方々は、日々、プロとしての判断、を求められているのだろう、と思う。やはり、安全性を優先せざるを得ないことも、ときには効率を優先せざるを得ないこともあるだろう、と思う。

母が認知症の診断を受けてから、ケアマネさんほか、医療関係の方々、デイサービスやショートステイのスタッフの方々、たくさんのプロフェッショナルに、サポートいただいてきた。ときに、え?と思うこともあったけれど、後から振り返ると、そのすべてに理由があって、プロとしての判断があってのことだった。

家族の判断というのは、どうしても、感情的、短期的なものに偏りがちなのだ。

父が、母が、今回申込みをするどこかの特養に、いずれ、お世話になるときが来るだろう。私は、その施設のスタッフの方々に、あれこれリクエストをする気持ちにはなれない。

私たち家族が、親を、お願いする立場にあるのだ。

施設のサポートのなかで、足りないと思うことがあるならば、家族が補えばいいと思う。施設のスタッフの方、ケアマネさん、プロに相談しながら、家族としてやりたいこと、できることを考えればいい。

先日、親に会いにいった際に、先に書類が整ったふたつの特養を訪れ、申込みをしてきた。もうひとつの施設も、書類が整い次第、郵送する手筈になっている。

ケアマネさんからは、申込みをすることは大事だけれど、「要介護3」では、特養に入るのは厳しいだろう、といわれている。

父は、入退院を繰り返すようであれば、サ高住のほうが、柔軟に対応できるので、様子をみましょう、とのこと。

そして、母については、もう数ヶ月経ったら、「要介護4」への変更申請をしましょう、とのこと。母の症状は、ゆっくりではあるけれど進行しており、「要介護4」になると、特養への入所の優先順位があがるという。

老いゆく父と母を、私は、ただただ遠方から見守っているだけ。それで心が乱れるとかいっているのは、同居する高齢の親をサポートしているひとからしたら、なにを甘ったれなと、笑われるだろう。本当に、ご家族の介護をされている方に対して、私は頭があがらない。

そして、私の父や母のような、市井のひとであっても、人生の幕引きというのは、なかなかにたいへんなことなのだ、としみじみと思うばかりである。


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