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怪異ハ浸食スル①ドッペルゲンガー編/ホラー小説部門

【あらすじ】+各話へのリンク
主人公の四方悠(よもかたゆう)は好奇心旺盛でオカルト好きな男の子。
怪異に遭遇したり、怪異を求めたりしているうちに、悠の人生が奇妙な方へずれてゆく。
八話の短編ホラー小説集。各話はつながり、最後にひとつの結末を迎える。

第一話『小学四年生/ドッペルゲンガーのようなものを見る』
第二話『小学六年生/未確認生物を探す』
第三話『中学二年生/降霊術を試す』
第四話『中学二年生/呪物を生み出す』
第五話『高校一年生/自己責任で手紙を読む』
第六話『高校二年生/心霊動画を撮りに行く』
第七話『大学一年生/事故物件に侵入する』
第八話『社会人/異世界へ迷い込む』完結


第一話『小学四年生/ドッペルゲンガーのようなものを見る』


高速道路を下りると、窓の外には夏のいなかの風景が広がった。

空も雲も、遠くに連なる山々も田んぼも、色が濃くてぎらぎらしている。強い日差しを窓ごしに感じて、ぼくは外をかけまわりたくなった。

「ここまで来たらあと少しだ」

お父さんがハンドルをにぎって前を向いたまま、ひとりごとのようにつぶやいた。

「サービスエリアでゆっくりしすぎたけれど、そんなに遅れずに着けそうね。悠、萌、トイレは大丈夫?」

お母さんが顔を後ろに向けた。

「ぼくは大丈夫。萌は寝てるよ」

チャイルドシートに体を固定された四つ下の妹は、さっきからおとなしく、車のゆれに身をまかせている。ぼくもつられそうになったけれど、寝ちゃうのはもったいない気がして、ずっと起きていた。

「お父さん。おじいちゃんちまで、あとどれくらい?」

「三十分くらいだな」

早く着かないかな。なにして遊ぼう。ごはんはなんだろう。きっとごちそうだ。

わくわくしながら、緑の稲が波のようにゆれるのをながめていたら、遠くの道がへんなふうにゆがんでいるのが目に入った。

「お母さん、あれなに? 左の遠くの方、ゆがんでるよ」

「どれ?」

「道の向こうがゆらゆらしてる。あれだよ」

「空気がゆがんで見えるやつ? かげろうだったかな。お父さん、知ってる?」

「かげろうだな。暑い空気と冷たい空気がとなりあっていると、日光が冷たい方にまがって、あんなふうに見えるんだ。蜃気楼の一種だよ」

「へぇ。すごいね」

かげろう。田んぼ。畑。大きな工場。お店。家。窓の外の景色はどんどん流れてゆく。つぶれた飲食店。古びたスーパー。小高い山と神社を見て、ピンときた。

「お父さん、そろそろ着くよね?」

「悠。よく分かったな。じいちゃんち、見えてきたぞ」

身をのりだして前の窓から外を見ると、道の先に見覚えのある家があった。ぐんぐん近づいて、すぐに車は、生垣でかこまれた敷地の中に入りこんだ。

右にトラクターが置いてある倉庫、前方に大きな和風の二階建ての家が建っている。

家の玄関の戸も縁側の窓も全開になっていて、ぼくが車から降りるより先に、おじいちゃんとおばあちゃんが玄関から出てきた。

「おじいちゃん、おばあちゃん、来たよー」

「よう来た、よう来た。ちょっと見ないうちに大きくなったなぁ」

「まあまあ、本当に、あっという間に成長して」

おじいちゃんもおばあちゃんも、ぼくのことが見えているのか疑問になるくらい、目を細めている。しわしわの顔が、もっとしわしわだ。

「さあさあ、みんな上がって。ひと息ついてね」

おばあちゃんにうながされて玄関に入ると、柴犬のごん太がしっぽをぶんぶんふって出迎えてくれた。

リビングは広い和室で、まんなかに大きな座卓があって、座布団も敷いてあった。澄んだ音がして縁側を見ると、軒下で風鈴が気持ちよさそうにゆれている。

おばあちゃんがスイカを出してくれた。ぼくは早く遊びたかったからすぐに食べ終えた。

「お母さん、外にいてもいい?」

「いいけど、すぐにお墓参りに行くから遠くに行かないでよ」

ぼくは庭で、なにかおもしろいものがないか探した。

しゃがんでアリの行列を見ていたら、日差しが強いせいか、頭がなんだかふわふわしたけれど、それがおもしろかった。

急に立つとふわっとして目がチカチカして、目線の先、生垣の上に、白くてもやもやしたものが見えた。

人の頭くらいの大きさの、けむりみたいな雲みたいなもの。生垣の上からのぞいているみたいに、そこにとどまっている。へんなの。これもかげろうかな。じっと見ていたらだんだんうすくなって消えてしまった。

「悠、お墓に行くよー」

お母さんの声がして振り向くと、玄関からみんながぞろぞろ出てきていた。

お父さんの車と、おじいちゃんの軽トラに分かれて乗りこみ、お寺へ向かった。すぐに着いて、駐車場で車から降りると、ぼくは一番のりで門をくぐった。

「ばあば、これなぁに?」

「これは、大晦日のときにつく鐘よ」

「あれは?」

「あれはお坊さんのお家。奥にある立派な建物は本堂といって、仏様が祀られているところ。本堂の裏にお墓があるのよ」

おばあちゃんが萌に説明するのを耳にしながら奥へ進み、本堂の中にある仏様の像に手を合わせてから、墓地に入った。

『四方家之墓』は奥の方にある。

「掃除もお花も済ませておいたから、お水をかけてあげてね」

みんなで順番に、桶の水をひしゃくですくって、ていねいに墓石にかけた。おじいちゃんがお線香をそなえてしゃがんだので、ぼくもまねをして、手を合わせて目をつぶった。

心の中でご先祖様にあいさつをしてから立ち上がると、目線の先、少しはなれたところにある墓石と墓石の間に、白くてもやもやしたものが浮いているのが見えた。

また出た。さっきと同じやつだ。

じっと見ていたら、まばたきするごとにうすくなるみたいに、ゆっくりと消えていった。

「悠、どうした?」

おじいちゃんがぼくの顔をのぞきこんだ。

「あそこに、けむりみたいな、へんなものがあったんだけど」

「やめとけ、やめとけ。墓でへんなものが見えても、じっくり見るもんじゃねぇ」

おじいちゃんが冗談っぽく笑った。それでもぼくは気になって、けむりがあったところに行ってみた。でも、なにもなかった。

おじいちゃんちに戻って、迎え火、というものをみんなでやって、そのあとはお父さんと萌とごん太と散歩に出かけた。

いっぱい遊んでから帰ると、リビングの座卓には、ぎっしりと食べ物が並んでいた。

ごはんがたっぷり入ったおひつ、お刺身の魚、いか、えび、カニカマ、ツナマヨ、卵焼き、お吸いもの、漬物、のり、シソ、から揚げもある。

「手巻き寿司だ。やったぁ。いただきます」

「はりきって用意しすぎたわ。たくさん食べてね」

おばあちゃんに言われたとおり、ぼくは好きな具を巻いてたくさん食べた。から揚げはそのまま食べても、卵焼きと一緒に手巻き寿司にしてもおいしかった。

ごはんのあとは、おばあちゃんが買っておいてくれた、花火をやることになった。

おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんは縁側に座って、お父さんとぼくと萌は庭に出た。

お父さんに見守られながら、萌に「これつけて」「つぎはこれと」せがまれながら、ぼくはろうそくにともった火を花火につけた。

勢いよくふきだす色とりどりの火がきれいで、ぼくは手に持った花火を軽くふった。けむりが風に流れてゆくのをなんとなしに見ていたら、倉庫の手前でけむりがかたまっているのが目に入った。

すぐに、あれは花火のけむりじゃないと気がついた。

もっとはっきりしていて白くて濃い。さっき見たかげろうみたいだけど、もっと大きくて、もやもやしていなくて、りんかくが人のかたちをしている。

真っ白な人みたいだ。そこにとどまっているけれど、こっちに来ようかやめようか迷っているように、ゆらゆらしている。

ちがう、ゆがんでいる? 乱れた映像のように、とぎれて、ちぎれているような。

あれは、なに? かげろうなんかじゃない。もしかして、ゆ、ゆうれい?

人のりんかくをしているだけ。目も鼻も口もない。それなのに、への字の形をした目とおわんの形をした口で、にたりといやな笑みを浮かべているイメージが、ぽんっと頭に浮かんでしまった。むかでが背中を走ったみたいにぞわっとした。あわてて目をそらす。

「お父さん、あそこにへんなのがいる。人みたいなの」

倉庫を指さしながら目を戻したけれど、もうなにもなかった。

「うん? どこだ?」

お父さんは倉庫のまわりや前の道を見てくれた。

「花火の残像でも見えたのかもしれないな」

のんびりとお父さんが言ったので、ぼくはそれで納得して、花火の続きをした。

テレビを観て、お風呂に入って、二十一時になると、ぼくと萌は、リビングのとなりにある和室で、眠りについた。

 

まぶたを開けると、木目の天井と照明の豆電球のあかりが目に入って、すぐにおじいちゃんの家に来ていることを思い出した。

部屋の中はうす暗く、明け方っぽかった。体を起こしてガラス障子をゆっくり開いて縁側に出て、カーテンを開いて外を見た。やっぱり明け方だ。空が白み始めている。

一日の始まりは気持ちいい。今日はなにをしようと考えながら、そのまま外をながめていたら、倉庫にあるトラクターの影で、なにかがもぞもぞ動いているのが目に入った。

またへんなものが出たと体がこわばったけれど、ちがった。ちゃんとした人だ。

おじいちゃん? ちがう、若い人だ。キャップをかぶって、Tシャツにハーフパンツをはいて、リュックを背負っている。

まさか、泥棒?

ぼくは怖くなって、すぐに和室に戻り、いびきをかいているお父さんの体をゆすった。

「お父さん、知らない人がいる」

か細いぼくの声に、起きたのはお母さんの方だった。

「悠、どうしたの?」

「庭に、知らない人がいる」

お母さんは、ぼくがやったより乱暴に、お父さんの体をゆすった。

「起きて、お父さん、起きてってば!」

「んだよ」

ようやくお父さんが目を覚ました。

「庭に知らない人がいるって、悠が」

「なんだと?」

お父さんは起き上がると、どすどすと足音を立てて縁側に行き、窓から外をながめた。

「あれ? 礼司か?」

笑いを含めたような声で言って掃き出し窓を開くと、沓脱石にあるぞうりを足にひっかけて庭に出た。そして、外にいる人としゃべり始めた。

「なんだ、礼司さんか。大丈夫。お父さんの弟よ。会ったことあるでしょ」

お母さんはぼくの背中をぽんぽんと叩くと、素早く着がえて和室から出ていった。

上で物音がした。二階で寝ているおじいちゃんたちが起きたみたいだ。萌はまだ寝ている。ぼくも布団の上に寝ころがった。

しばらくすると、ふすまの向こうがさわがしくなった。

「礼司、なにしに来た。また金の無心か」

おじいちゃんの声。むしんってなんだろう。

「ちがうって。お盆だから帰ってきただけだって」

「嘘をつくな。金に困ったときしか連絡をよこさないくせに、この放蕩息子が」

萌が身じろぎした。ふすまが開いて、お母さんが入ってきた。難しい顔をしている。

「ケンカしてるの?」

「そうみたいね」

「なんで?」

「分からない。ちょっと早いけど、悠も起きて着がえちゃって」

着がえを済ませると、萌も起きた。

「うるさいなぁ」

くぐもった声で言って目をこする。萌も着がえを済ませた。

「さわぎが落ち着くまで、散歩にでも出ていた方がいいかしら」

「ぼく、トイレ行きたくなってきた」

「じゃあちょっと様子を見てきて」

スパイになったようで楽しくなった。ふすまを開くと、お父さんとおじいちゃんと礼司という人が立っていて、みんながこっちに顔を向けた。

「ああっ、えっと、悠だ、そうだろ? 大きくなったな」

礼司さんとやらが笑顔を浮かべた。その顔に見覚えがあった。はっきりした眉毛に、ひげがうっすら生えた角ばったあごが、おじいちゃんとお父さんに似ている。

「ほら、親父も兄貴も。子どもの前でする話じゃないだろ。やめようぜ」

なんだかじゃまをしてしまったような気がして、「ぼく、トイレ行きたいだけだから」と言って、素早くリビングを横切った。

「悠。俺は、おまえのお父さんの弟だ。覚えているか? 最後に会ったのは、まだ小学校に上がる前だったか? 今はいくつになった?」

言いながら、礼司という人が廊下までついてきた。

「十歳だけど」

「学校はどうだ。楽しいか。こんないなかじゃつまらんだろ。どっか遊びに連れて行ってやろうか。って言っても、この辺なんもないか」

「礼司さん、出てきちゃっていいの? おじいちゃんたちと話は?」

「礼司さんなんてよそよそしいな。前はおじちゃーんって呼んでくれたくせに」

「覚えてないよ」

クラスにいる、お調子者のしゃべり方に似ているなと思いながら、軽くあしらってトイレに入って用を足して出ると、叔父さんはまだ廊下にいた。

「おじいちゃんたちと、話、しなくていいの?」

「やだよ。怖え」

「むしんってなに?」

「聞こえてたか。たいしたことじゃないから気にすんな」

「倉庫でこそこそと、なにをしていたの? ぼく、泥棒かと思って、怖かったよ」

「見てたのか。すまんな。えっと、カギを持ってくるのを忘れてな。どうしようか考えていたんだ」

「電話するとか、ピンポンするとか、あるのに」

「起こすのも悪いと思って」

「でも、みんな起きちゃったよ」

「確かに、そうだな」

リビングに戻った。おじいちゃんとお父さんはあぐらをかいていて、こっちを見たけれどなにも言わない。ふすまが勢いよく開いて、萌が飛び出してきた。

「うわ、びっくりした。なんだこの子。あっ、二人目か。そうだろ、兄貴」

「萌だ。もうすぐ六歳だ」

「おじちゃん、だれ?」

「お父さんの弟の礼司だよ。萌、ちゃん。初めまして、ではないか。赤ちゃんのとき」

「じゃま。もえはトイレにいきたいの。しらないひとと、しゃべっちゃだめなんだよ」

「おお、その自由っぷり。楽しいな」

叔父さんが笑って、なんとなく場の空気がゆるんだ気がした。

難しい話は始まらなくて、キッチンでおばあちゃんとお母さんが動いて、座卓に、ごはんとお味噌汁と、ハムがついた目玉焼きと、きんぴらごぼうと、漬物、のり、納豆が並んで、みんなでそれをかこんだ。

「味噌汁がしみるわ。おふくろの手料理、ひさしぶりだ。うれしいな」

「まったく、調子いいこと言って。それで、仕事はどうなの?」

「あー、えっと、うまく、いってるよ。うん」

「いい人はできた? そろそろ身を固めてくれないと、心配でしょうがないよ」

「あー、そういうことは、やっぱり、慎重にならないと。兄貴はいい嫁さんをもらってうらやましいなぁ。ははっ。悠くんも萌ちゃんもかわいいし」

ぼくは、叔父さんを観察しながら、もくもくと箸を動かした。おじいちゃんとお父さんんにすごく怒られていたみたいだけど、悪い人には見えなかった。むしろ、大人っぽさを感じなくて、おもしろそうな人だなと思った。

朝ごはんが済むと、叔父さんはぼくにつきまとった。ぼくといることが、おじいちゃんとお父さんの攻撃を避ける方法だと思っているみたい。

「夏休みの宿題は済んだのか?」

「きちんと進めているよ」

「えらいな。俺はいつも、ぎりぎりであわててやっていたぞ」

「叔父さん、ぼくにつきまとわないでよ」

「そう言うなよ。今日はなにをするんだ? 町を案内しようか」

特に予定はない。昨日の白いものが頭をよぎって、調べてみようかなと思い立ち、叔父さんに見たものをぜんぶ話してみた。

「なんか、くねくねみたいだな」

「なにそれ?」

叔父さんが説明してくれた。『2ちゃんねる』という、インターネットにある巨大掲示板というもので流行っている、怖い話らしい。白くて人のかたちをした、正体不明のなにか。田んぼとかに現れて、くねくね動いて、じっと見たらだめなんだって。その正体が分かると、精神がおかしくなってしまうから。

ぼくが見たものと似ている。ちょっと怖くなった。

「作り話だろうけど。蜃気楼とか、ドッペルゲンガーとか、生霊とか、熱中症になったせいで見た幻覚とか、いろいろ考察がなされている」

「なんだ。だったら、ぼくの見たものも、幻覚かな」

「それは、調べてみないと分からないだろ。おし。墓に行ってみようぜ」

「行くの?」

「調べたいんだろ。行こうぜ。ここにいてもたいくつだろ」

叔父さんにうながされるまま、おじいちゃんの家を出て田んぼ沿いの道を歩いた。昨日、車で行ったけれど、歩いてみるとたいした距離はなくて、すぐにお寺に着いた。

「変わんないな。ここも」

叔父さんが目を細めてつぶやいた。日差しが強くて、セミがさわがしかった。へんなものが出るような雰囲気はまったくない。

墓地に入っても、四方家のお墓の前に立ってあたりを見まわしても、白いもやもやはどこにもなかった。叔父さんはしゃがんで、静かにお墓に向かって手を合わせた。

「こんなはずじゃなかったんだよ。俺なりに頑張ってきたのに」

誰に聞かせるでもなく、ひとりごとのように叔父さんがつぶやいた。

「いなかじゃ、なにも試せないと思った。こんなところで、むだに人生を費やしたくなかった。もっと挑戦したかった。人が多くて、チャンスも多そうな都会で」

聞いてはいけないような気がしたけれど、ぼくは黙って、それを聞いた。

「うまくいかなかった。会社をおこして金を稼ぐはずだったのに。親父と兄貴にすごいなって言ってもらいたかったのに。認めてもらいたかっただけなのに。なんでだよ。なんでうまくいかないんだよ」

クラスのお調子者は、たまに寂しそうに見えることがあった。心の内をかくすために、おちゃらける。同じような雰囲気を叔父さんに感じた。

「ドッペルゲンガーが見えるなら、俺も見てみたい」

叔父さんは手を合わせるのをやめて、立ち上がった。

「なあ、悠、お前は現実が楽しいか? だったらこんなこと知らない方がいいかもしれない。でもな。現実がいやになると、どうでもいいことに身をゆだねたくなるんだ。例えば、くねくね。おかしくなれるなら、それでかまわない。俺を、現実から遠ざけてくれるなら、それは俺にとって救いでしかねぇよ」

頭がぼうっとしてきた。キィィィィン。耳鳴りがした。

叔父さんの後ろ。昨日、白いもやもやが見えたあたりに、見えた。

今までで一番はっきり見えた。けむりっぽくない。りんかくがはっきりしている。人のかたちをして、白いマネキン人形みたい。

首、腕、腰、脚。ぐにゃり、ぐにゃり、かく、かく、ぐにゃり。動いている。人ができない、人の関節ではできない、気持ちの悪い、動き。それを続けている。まるで、ぼくに見せつけて、あざ笑っているかのように。

見たら、正体が分かったら、なんだっけ。どうなるんだっけ。

叔父さんが、ぼくの顔をのぞきこみ、ゆっくり後ろを向いた。

「ああ、そういうことか」

叔父さんがつぶやく。

「そりゃ、おかしくなるよな。あんなのを見たら。ははっ。なるほどな」

「なにが見えたの?」

ぼくが見ているものは幻覚だ。暑さで頭がやられたんだ。きっとそうだ。だから、叔父さんとぼくはちがうものを見ている、はず。

「悠は、知らない方がいい。でも」

なぜか分かった。叔父さんが今、見ているものが。目に見えなくても、ぼくはそれを知っている。への字の目。おわんの口。

「あんな顔をした自分に見られていると分かったら、狂いたくもなる」

はははっははは、機械的な笑いが、叔父さんの口からもれた。

「だって、だってさ。自分からはどうやってもはなれられないから、狂ってしまった方がラクなんだ。ははは、ははっはははははっははっは」

あれを見るとおかしくなる。そうじゃなくて、おかしくなりたい人に、あれが見える。そんな考えが頭に浮かんだ。

「ただの幻覚、暑さのせいだよ。あんなの見ちゃだめだ。早く帰ろう」

ぼくは叔父さんの腕を引いて、ゆっくり墓地から出た。はははははははっははっは。

田んぼ沿いを、引き返した。はは、は、は……。う、うううう。

笑い声は、いつしか泣き声に変わっていた。

叔父さんの気持ちが、なんとなく分かってしまった。分からない方がいいのかもしれないけれど、分かってしまった。

もしかしたら、ぼくも、いずれ。


『ドッペルゲンガー編』完
『怪異ハ浸食スル』②未確認生物編に続く


#創作大賞2026
#ホラー小説部門


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