【創作大賞】ゼッケンをもらえるだけで嬉しかったのか。
創作大賞2026の中間選考が発表されました。
実は、少女の恥じらいを醸しながら、
「#創作大賞2026」タグをこっそりつけていたのです。
おじさんでも、いいよね、と。
だから、気になっていた。
いや、正直に言うと、かなり気になっていた。笑
でも、残念ながら、網戸に阻まれた虫の如く不通過です。
Xを観ると、悲喜こもごもの感想がツイートされている。
これに人生賭けてきたくらいの内容も。
その熱感、臨み方をまざまざと見せつけられる。
いろいろ思うところがあった。
これは記録として残しておこうと思う。
来年noteやっているはわからないけど。
noteとの出会い、暗黒期
ちょっとしたきっかけがあって、
今年の2月にnoteでアカウントを作った。
とりあえず、お作法に則って、「はじめてのnote」を書いてみた。
でも、昔のブログを知っている身としては新鮮みがない。
すぐにやめてしまった。
それから、1ヶ月後、なぜかドリカムの記事を書いた。
全然読まれないなと、悪態をつき、またやめた。笑
それから、2ヶ月後。
仕事でAIをよく使うので、AIのことを書いてみることに。
みんな、そういうのが好きなんでしょう?
そんなよこしまな思いも持ちながら。
よこしま2本を書いた後、これはダメだなと思った。
そこで、「全校朝会」になぞって、エッセイ風に気持ちを書き殴った。
ここまでが暗黒期。笑
まだ、創作大賞の黒いバナーは知らない。
妄想作品を書くか
5月下旬、1本の作品を書き終えていた。
「今朝、パンツがなかった」
なんで書こうと思ったのか、きっかけは忘れた。
でも、妄想のほうが自分らしさが出る。
若い時分、ネットでの音楽活動や表現をやっていた。
そもそものクリエイター気質。
少し火がついたのもあった。
その後、婚活を揶揄った、30%OFFの女。
同じく妄想系の鼻を鍛える。を公開した。
まったく反応がなかった。
なぜかAIは、30%OFFを絶賛していた。
あれから時間が経ったが、あんまり……
AIの評価はあてにならないことを学んだ。笑
黒いバナーは華麗にスルー。
転機が訪れる?
3作品書いていた頃、
こういう中途半端な長さの読み物は、
ショートショートや掌編に分類されることを知った。
同じジャンルに投稿している人が、
どんなことを書いているのかを見るようになっていた。
案外、私のようにふざけている人は少なく、
ふざけたい人の多くは、日記やエッセイを書いているようだった。
ショートショートは、面白い設定といい意味の裏切り。
掌編は、感傷に浸れるとか、読後感がある。
そんな甘い分析をした上で、
これらの調味料を、意識的に使う必要があるなと思った。
ただただ、面白い妄想を書くだけでは、読んでもらえないのだと。
そこで、面白い設定といい意味の裏切りを意識して、自販機を書いてみた。
そしたら、初めてコメントがついた。
それは、ふたつ、みっつと増えていく。
すごく驚いたのを覚えている。
それまでは、どうせ、私の作品なんて、知りもしないんでしょう。
そう言いながら、左の手のひらに、右手の人差し指をぐりぐりさせながら、いじけていた。
なのに、きちんと反応がもらえるんだと知った。
嫌いだった彼が、意外にいい奴だったと、
ときめく女子のように、noteが好きになった。笑
反応がつかない=悪い作品ではない。
コメントしにくい、密かなスキの作品というのもある。
でも、反応がないと、本当に好きなのかわからない。
反応してもらいたい作品を書いたら、そうなった。
その事実が嬉しかった。
よし。
この路線で書くのがよいのだなと、調子に乗った。
占い師、完璧超人、暴言と、
思いついた設定と反転を書いて、ハイペース投稿になった。
まだ、よっし温泉の源泉が湧き出ていた頃だ。笑
このくらいの時期に、創作大賞を知ることになる。
創作大賞タグをつけることに
note初心者であった私は、
記事にコメントがついたことで、いけると思ったのか。
まるで闇に吸い込まれるように、
あの忌々しい黒いバナーを押すようになっていた。笑
締切が7/8だと知る。
応募ジャンルを調べたが、ショートショートや掌編がない!
条件に合致するのは「オールカテゴリ」のみ。
ただ、昨年の受賞作を見ると、ノンフィクション系が多かった。
実験や体験が好まれるようで、なんか合っていないような……
とりあえず、創った作品にはタグをつけておくことにした。
noteでは読み合う「スキ」文化がある。
でも、その頃から、自分の言葉で伝えないと、相手も答えてくれない。
挨拶回りが大事だと知った。
人様の記事にも、コメントするようになっていた時期。
その顔、がヒットする
6/27に「その顔、お金になります。」を公開した。
締め切りまで、あと11日前。
明らかにそれまでの作品とは違う反応がついた。
確かに上手に書けたとは思った。
最後のオチは何度も推敲した。
でも、反応ほど、狙ってはいなかった。
今思うと、私のくだらない逸れ道が少ない作品だ。笑
ただ、その反応は読者からの評価ではある。
万が一、創作大賞の中間を通るなら、これかなと。
でも、なんというか綺麗すぎる。
綺麗だから、ウケた。
でも、綺麗ならプロはもちろん、アマでも書ける人がいる。
ここがいわゆる作品の難しさというか。
エッセイとも違う、作品としてのまとまりが必要。
寄り道が少なく、スマートなほうが読みやすい。
でも、やっぱり脱線したいと思ってしまう自分がいる。
それは上手な人が書けばよい。
脱線すると、事故になる。笑
プロは、事故を楽しめない。
はなから、ごった煮のような美味さを求めない。
最近エッセイを書いたり、
エッセイっぽい妄想脱線作品を書いているが、
そのほうが合っているのかなとも思い始めている。
結局、間に合ったのは?
それから、締め切りまでに、
「愛の体重計」「自称 特別指名手配マニア」を書き上げた。
※ 四つん這い以降の作品は、創作大賞に応募していません。
指名手配はもっと推敲すればよかった。
評判がよかった、祝福する女が間に合えば……
偉そうにいろいろ妄想していますが、井の中の蛙。
井戸の深いところに、おじさん蛙が棲んでいる。
ペロペーロ。
違った、ゲロゲーロ。
創作大賞で思ったこと
AIで文章が上手に整えられる時代なので、
相対的に、身体性が重要視されているように思う。
その人ならではの実体験+作者の思考性。
そこに、発見・気づきが入ると強い。
いわゆる発明やプロットは、もう出尽くしているようにも思う。
思考や妄想だけだと、結構厳しいかも。
特に物語は、何を書いても、何を読んでも、既視感。
物語は世界観、キャラクターを好きになってもらう。
それを刷り込むための文量が必要だ。
大福京子やペロペロといったシリーズものを書いているのも、
そんなことを思っている、私の必然なのかもしれない。
エッセイなら、身体性が足りないのか。
創作なら、既視感の罠か、賞の形式にはまっていないのか。
そもそも通過率は0.26%。
なんだろうな。
花形の100mやマラソンレースに参加できない感じというか。
本当は1500mなのにみたいな。
いや、そもそも筋トレもしてないし、準備不足もあるが。
競技会に参加できたぞ、みたいな。
いや、そもそもこのレースに参加すべきだったのかとか。
私の狭いnote界隈でも、通過者がいなかった。
素晴らしい書き手がたくさんいるのにね。
そんなことも思いながら……
創作大賞のタグを貼るとき、ぺっと、貼ってしまっていた。
ゼッケンをもらえるだけで嬉しかったのか。
強者のそれにあてられるのは辛うございますね。
参加賞のみなさま。
愛すべき、多くの同士よ。
今、モスバーガー。
モスチーズはトマトとチーズとミートソースのごった感。
食べる人を、平気で汚しにまいります。
でも、美味しゅうございます。
窓から見える景色は、雨模様です。
よっしの作品はこちらからご覧いただけます。
創作系エッセイも書いています。
