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『さよならの向こう側』第1回 モヒートの香りが引き寄せる二人 #創作大賞2025 #恋愛小説部門

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日比谷の夕暮れは、どこか懐かしい匂いがした。

雨が来る前の湿った空気と、
都会のビルの谷間をすり抜ける風。

見渡せば、夕暮れのグラデーションが
ゆっくりと広がっていた。

予約したのは「THE GREY ROOM」のテラス席。

ガラス張りの壁越しに、
東京タワーのシルエットが際立っていく。

※このお話はフィクションです。お店のメニュー、営業時間などは事実と異なる場合があります。

遠くまで見渡せるこの高さは、
下界の喧騒から切り離されたようで
静かに、時間だけが流れていた。

重厚なソファ、モノトーンを基調としたインテリア、
バーカウンターから漂うスパイスとハーブの香り。

僕はほんの少し緊張しながら、姿勢を正していた。
このインターナショナルな雰囲気に、ではなく
今から ここに現れる人に向けて。

約束の時間から数分後、
テラスへ続くガラス扉が開き、明日香が現れた。

「変わらないね、
 こういうおしゃれな場所では。
 意外と、緊張しいだよね」

彼女の言葉に、僕は苦笑する。

「見抜かれてる。
 10年経っても、人って変らないものだね」

明日香は、都会的なグレーのワンピースに身を包み、
やわらかな顔で うふふ、と笑った。

10年前、同じ会社で働いていた頃よりも
少し穏やかな雰囲気をまとっている。

ふたりが席について間もなく、
若い外国人の女性スタッフが近づき、
流暢な日本語で問いかけた。

「お飲み物は何になさいますか?」


「モヒート」
「モヒート」



と、僕たちの声がぴたりと重なった。

一瞬の静けさ。
視線が合って、すぐに笑いがこぼれる。

「懐かしいね…」

「…あの夜、覚えてる?」

「うん。
 私が初めてモヒートを飲んだ日ね。
 残業続きの金曜、会社の近くのバーで、孝輔がすすめてくれた」

「君、すごく緊張してたからさ。
 初めてちゃんと話せた気がしたよ、あの夜」

風が吹き抜け、フレッシュミントと
ライムの香りが空気に混じった。

明日香はグラスに視線を落としたまま、
少しだけ口元を緩めた。


「3年前…離婚したの、わたし」

僕はグラスを持ちかけた手を止めた。
視線を明日香に移し、ゆっくりと息を吐く。

「……そうだったんだ」

「なんていうか、気が付いたら
 静かに終わってた感じ。
 いろんな意味で」

「大変だったね…
 …月並みでごめんだけど」

「ううん、もう平気。
 今は、自分の時間をちゃんと持ててるし
 終電つづきの、あの頃と違ってね」

夜の帳がゆっくりと降りはじめ、
テラスの照明が暖かく灯り出す。

街がまるで模型のように広がる中、
僕たちだけが
高層の空間に取り残されたようだった。

僕は、グラスを持ち上げた。
「じゃあ…再会に。10年ぶりに」
「乾杯」

氷がグラスの中で静かに鳴る音が、
日比谷の夜に溶けていった。

「俺さ、あの頃、けっこう頑張ってたんだよ。
 君に認めてもらいたくてさ」

「ふふ、何よそれー、
 あなたの承認欲求は、誰にでもでしょ?」

「言えなかったから。
 あの頃は…言っちゃいけない気がして」

明日香は、いいの、と首を振って

「……ごめん、離婚のこと、ちゃんと言えてなくて」

拝むポーズをし、少しおどけた。

その笑顔に、10年前にはなかったものが
確かにあった。

風が少しだけ冷たくなり、
空には ひとつめの星が滲み始める。

グラスの中のモヒートは、ゆっくりと溶けていく。

けれど、ふたりの間に流れるものは、
今も確かに少しずつ温度を上げていた。

(つづく)

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※このお話はフィクションです。登場するお店のメニュー、営業時間などは事実と異なる場合があります。


今回の舞台THE GREY ROOM



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